松本 平蔵(まつもと へいぞう、1849年嘉永2年) - 1923年大正12年)5月17日)は、日本の実業家日東製粉初代社長

経歴 編集

熊谷安永年間より糸繭商、穀物商を営む家に生まれる[1]1906年明治39年)、日露戦争特需により乱立した製粉会社が供給過剰のため軒を並べて業績不振に陥った[2]。そのため経営難に陥った熊谷製粉会社を引き受け「松本米穀店製粉部」とする[3][4]1914年(大正3年)に法人化し「松本米穀製粉株式会社」を設立[3]1930年昭和5年)に名古屋製粉と群馬県の新田製粉を合併し、日東製粉株式会社に名称変更する[3]。私財を投じて鉄道開設にも尽力し、1899年(明治32年)、秩父鉄道株式会社創立と同時に取締役監査役につく。荒川砂利採取、熊谷商工会、高崎水力電気と多方面に功績を残す。1923年(大正12年)5月17日75歳で没す。長男は衆議院議員、熊谷市名誉市民松本真平

脚注 編集

  1. ^ 郵便はかき (熊谷市文化財日記)2020年11月30日閲覧。
  2. ^ 二ップンの歴史1879年(明治12年) (日本製粉株式会社)2020年11月30日閲覧。
  3. ^ a b c 『日東製粉株式会社65年史』(1980.05)(日東富士製粉)2020年11月30日閲覧。
  4. ^ 1982『熊谷人物事典』日下部朝一郎(熊谷デジタルミュージアム)

参考文献 編集

  • 1982『熊谷人物事典』日下部朝一郎