松本恵二

日本のレーシングドライバー

松本 恵二(まつもと けいじ、1949年12月26日 - 2015年5月17日)は、日本のレーシングドライバー京都府出身。現役時代の異名は「勝負師[1]

松本 恵二
Keiji Matsumoto
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1949-12-26) 1949年12月26日
出身地 京都府
死没日 (2015-05-17) 2015年5月17日(65歳没)
デビュー 1969年
車番 8
過去所属 チーム・ルマン
トムス
ホシノレーシング
ニスモ
童夢
優勝回数 全日本F2/F3000 11勝
過去参加シリーズ
1976 - 1977
-
1978 - 1986
1983 - 1989
1987 - 1992
全日本F2000選手権
富士GC
全日本F2選手権
全日本耐久選手権
全日本F3000選手権
選手権タイトル
1979
1983
全日本F2選手権
富士GC

経歴編集

  • 1969年 - T-1レース(ツーリング1,300cc以下)でデビュー。初出場6位入賞。
  • 1973年3月 - 鈴鹿300km・TSレース予選でコースレコードとなるタイムでポールポジションを獲得。
  • 1976年 - 全日本F2000選手権 ランキング17位
  • 1977年 - 鈴鹿500kmで森泰章とのコンビで優勝。
  • 1977年 - 全日本F2000選手権 ランキング9位
  • 1978年 - 全日本F2選手権 ランキング5位
  • 1979年 - 全日本F2選手権 チャンピオン(3勝)
  • 1980年 - 全日本F2選手権 ランキング4位(1勝)
  • 1981年 - 全日本F2選手権 ランキング4位(1勝)
  • 1982年 - 全日本F2選手権 ランキング3位
  • 1983年 - 富士GC チャンピオン
  • 1983年 - 全日本F2選手権 ランキング8位(1勝)
  • 1984年 - 全日本F2選手権 ランキング5位
  • 1985年 - 星野一義萩原光とともにマーチ・85G/日産をドライブしてWEC-JAPAN優勝。
  • 1985年 - 全日本F2選手権 ランキング2位(1勝)
  • 1986年 - 全日本F2選手権 ランキング4位(2勝)
  • 1987年 - 全日本F3000選手権 ランキング4位
  • 1988年 - 全日本F3000選手権 ランキング12位
  • 1989年 - 全日本F3000選手権 ランキング14位
  • 1990年 - 全日本F3000選手権 ランキング4位 (2勝)
  • 1991年 - 全日本F3000選手権 ランキング12位
  • 1992年 - 全日本F3000選手権 引退。
  • 2015年5月17日 - 肝硬変のため逝去[2][3]。享年65。

レース戦績編集

全日本F2000選手権/全日本F2選手権/全日本F3000選手権編集

チーム 使用車両 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 順位 ポイント
1976年 マツモトレーシングユニオン マーチ・752 BMW FSW SUZ
Ret
FSW SUZ
8
SUZ
Ret
17位 3
1977年 DIATONEレーシング マーチ・752 BMW
シェブロン・B35/B40 BMW
SUZ
7
SUZ
5
NIS
3
SUZ
6
FSW
9
FSW
10
SUZ
7
SUZ
Ret
9位 32 (34)
1978年 シェブロン・B35/B40 BMW SUZ
7
FSW
4
SUZ
6
SUZ
4
SUZ
9
NIS
2
SUZ
11
5位 50 (60)
1979年 マーチ・782 BMW
マーチ・792
SUZ
9
NIS
1
SUZ
3
FSW
1
SUZ
5
SUZ
1
SUZ
5
1位 79 (90)
1980年 マーチ・782 BMW
マーチ・802
SUZ
6
NIS
3
SUZ
Ret
SUZ
Ret
C SUZ
1
SUZ
4
4位 42
1981年 DHL マーチ マーチ・802 BMW
マーチ・812
SUZ
1
SUZ
11
SUZ
2
SUZ
9
SUZ
13
4位 37
1982年 マーチ・822 BMW SUZ
2
FSW
4
SUZ
2
SUZ
2
SUZ
7
SUZ
Ret
3位 55 (59)
1983年 フットワーク レーシングメイト マーチ・832 BMW SUZ
5
FSW
DSQ
NIS
Ret
SUZ
1
SUZ
Ret
FSW
10
SUZ
7
SUZ
8
8位 36
1984年 LM SPORTS マーチ・842 BMW SUZ
3
FSW
Ret
NIS
9
SUZ
3
SUZ
15
FSW
8
SUZ
Ret
SUZ
1
5位 39
1985年 マーチ・85J BMW (R1-2)
マーチ ヤマハ・OX66 (R3-8)
SUZ
1
FSW
6
NIS
Ret
SUZ
3
SUZ
9
FSW
6
SUZ
5
SUZ
2
2位 67 (69)
1986年 CABIN RACNG マーチ・86J ヤマハ・OX66 SUZ
1
FSW
5
NIS
1
SUZ
5
SUZ
5
FSW
5
SUZ
Ret
SUZ
Ret
4位 72
1987年 マーチ・87B コスワース・DFV
ローラ・T87/50
SUZ
13
FSW
3
MIN
3
SUZ
4
SUZ
4
SUG
3
FSW
Ret
SUZ
4
SUZ
3
4位 78
1988年 株式会社童夢 マーチ・87B 無限・MF308
マーチ・88B
ローラ・T87
童夢・F101
SUZ
13
FSW
6
MIN
Ret
SUZ
Ret
SUG FSW
Ret
SUZ
16
SUZ
Ret
12位 1
1989年 WATANABE 童夢 レイナード・89D 無限MF308 SUZ
14
FSW
6
MIN
6
SUZ
Ret
SUG
Ret
FSW
6
SUZ
6
SUZ
Ret
14位 4
1990年 レイナード・90D 無限MF308
ローラ・T89/50
ローラ・T90/50
SUZ
3
FSW
Ret
MIN
1
SUZ
1
SUG
Ret
FSW
14
FSW
Ret
SUZ
7
FSW
13
SUZ
Ret
4位 22
1991年 HOYU 童夢 童夢・F102 無限・MF308 SUZ
Ret
AUT
Ret
FSW
2
MIN
Ret
SUZ
Ret
SUG
Ret
FSW
24
SUZ
12
FSW
C
SUZ
18
FSW
Ret
12位 6
1992年 DUNLOP 童夢 童夢・F103 無限・MF308 SUZ
13
FSW
Ret
MIN
Ret
SUZ
Ret
AUT
Ret
SUG
Ret
FSW
9
FSW
Ret
SUZ
9
FSW
14
FSW
NC
NC 0

ル・マン24時間レース編集

チーム コ・ドライバー 使用車両 クラス 周回 総合順位 クラス順位
1986年   NISMO   星野一義
  鈴木亜久里
日産・R86V C1 64 DNF DNF
1987年   NISMO   星野一義
  高橋健二
日産・R87E C1 181 DNF DNF

エピソード編集

  • 緻密さと大胆さを併せもったレースぶりで、国内レースで星野一義や中嶋悟と並ぶトップ・ドライバーだった。
  • 普段は静かな京都弁で話し、気さくで温厚な人柄だが、レースになると勝負師になった。カーナンバーは「8」がお気に入りで、可能な場合にはほぼ「8」をつけトレードマークでもあった。このカーナンバー「8」は、のちに松本が監督となる童夢レーシングのエースナンバー格として使用された。
  • カーグラフィック誌での対談企画で、星野一義は松本と出会った第一印象を「背が高くてかっこいいし、見た目は負けるけどコースでは絶対に勝つと勝手に意気込んでたら、喋ると京都弁で顔のイメージと違ってて驚いちゃったね 笑」と述べている[1]
  • 現役時から京都市左京区でカー用品やレーシングカート、レーシング用品などを扱うショップ「モータースポーツメイジュ」を開いており、一般自動車用のオリジナルホイールなども展開。松本自身の乗るレーシングマシンやヘルメットにもショップのマークである「MJ」ロゴが常に貼られていた。レーシングチーム「メイジュレーシング」として参戦もし[4]全日本F3選手権森本晃生羽根幸浩を擁して参戦した。松本の逝去後もレーシングカートへの参戦など活動は引き継がれている。
  • 1986年から1987年にかけ、日本たばこ産業(JT)の『キャビン』のイメージキャラクターを先代の三浦友和から引継ぎ、テレビCMに出演。人気を集め1986年ベストドレッサー賞も受賞した。
  • キャビンは松本の参戦する全日本F2選手権富士GCで松本のメインスポンサーとなり、マシンがキャビンのイメージカラーである赤いカラーリングとなった。モータースポーツに大企業が参入し始めた時期であったが、松本は大きなプレッシャーを感じており、中嶋悟とのバトルを制して優勝を果たしたレース後「今までで一番の緊張だった。ビッグ・スポンサーを得た初戦で、スタート前には心臓が止まるかと思うほど緊張していた」とコメントした[5]
  • 酒が好きであった。シーバスリーガルを愛飲していた[6]
  • 富士GCではウイングカーだったため、1981年第2戦でホームストレート走行中に突然車体が大きく舞い上がり、イン側のコースサイドに裏向きになって着地する大クラッシュに見舞われた。1983年第3戦前のプラクティス時にもコースアウトを喫した際、バリアに激突後大きく宙を舞い、フェンスを飛び越えて丘の上まで飛んで行った。幸いなことにいずれも軽傷でマシンからすぐに脱出した。
  • オートバイロードレーサーの清水雅広がレースデビュー直後のノービス時代、松本恵二レプリカのヘルメットを使用していた[7]
  • レーサーを主人公とした六田登の漫画『F』で女性ファンにサインを頼まれている松本に漫画の主人公・赤木軍馬が絡むシーンが描かれている。松本の台詞は京都弁で「なんや」の一言であった。
  • 1995年に童夢入りした中野信治の全日本F3000およびフォーミュラ・ニッポン参戦時に松本は童夢の監督であり、師匠的存在である[8]。中野がF1にデビューした1997年にはヨーロッパラウンドのGP現場を訪れピットで視察する姿が報じられた。中野は松本を「レースに関しては詳細に昔の色々な出来事を覚えている」「厳しいけど、心根はとても優しい人」と語っている。
  • レーシングドライバーの脇阪寿一は弟子の一人であり、自身の持っているテクニックを教えることで自身のレース生涯を託していた。脇坂曰く「無償の愛を与えてくれた人。若手育成名目で金をもらっている人間もいる中で、自分の命を削ってでも我々を育ててくれた。だから早くに死んでしまったんですけど」と最大限の謝辞を述べている。

ほかにも弟子に、田中実道上龍などがいる。

脚注編集

[脚注の使い方]
  1. ^ a b あの頃のオレ達へ 星野一義+松本恵二 大いに語る カーグラフィック 2014年12月号
  2. ^ 全日本F2などで活躍。松本恵二さん亡くなる”. オートスポーツweb (2015年5月18日). 2015年5月18日閲覧。
  3. ^ 松本恵二さん死去 全日本F2王者”. 京都新聞 (2015年5月19日). 2015年5月20日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2017年1月14日閲覧。
  4. ^ 松本さんが興したメイジュレーシング・今年から娘婿の崇さんが引き継ぐ「松本の名前をしっかり引き継いでいきたい」 東京中日スポーツ 2015年5月22日
  5. ^ 1986全日本F-2選手権第1戦BIG2&4 開幕男・松本恵二 ヤマハF-2初優勝 時速180キロのデリカシー オートスポーツ vol.445 22 - 25頁 三栄書房 1986年4月1日発行
  6. ^ 岡山に流れた師弟の涙。松本恵二“最後の弟子”川端伸太朗2年目の成長 オートスポーツweb 2016年4月13日
  7. ^ グランプリ・イラストレイテッド ヴェガ・インターナショナル 1987年
  8. ^ 松本恵二さんを偲んで 中野信治公式ウェブサイト 2015年5月日

関連項目編集

外部リンク編集