松村長為

江戸時代末期の旗本
松村忠四郎から転送)

松村 長為(まつむら ながため、生没年未詳)は江戸時代末期の旗本仮名は忠四郎。

経歴 編集

弘化年間(1846年ごろ)に支配勘定から勘定に昇進[1]。居所は神田明神下(現・千代田区外神田3丁目6)にあった[2][3]安政2年2月8日(1855年3月25日)に下田奉行支配組頭に昇進して、永々御目見以上の家格を与えられる[4]。安政6年6月8日(1859年7月7日)に神奈川奉行支配組頭に転じる[4]文久2年に賄頭次席、文久3年7月21日(1863年9月3日)に馬喰町御用屋敷代官三席となり、元治元年7月19日(1864年8月20日)に江戸廻代官へ進む[4]。慶應2年から4年ごろにかけて橘樹久良岐郡一帯を支配した[5]。同2年5月、生糸加工改めについて江川代官らと勘定奉行に上申した[5]慶應3年12月24日(1868年1月18日)に布衣を許された[4]

慶應4年6月20日(1868年8月8日)、新政府によって武蔵知県事に任ぜられ[6]武蔵のうち10万石余を支配するが[5]、8月8日(9月23日)に病気を理由に依願免官となる[7]。後任は古賀一平[7]

脚注 編集

  1. ^ 『大成武鑑』弘化2年 NDLJP:2547204/25・『大成武鑑』弘化4年 NDLJP:2571304/27
  2. ^ 『下谷絵図』嘉永4年(1851年) NDLJP:1286207
  3. ^ 『諸向地面取調書』下田奉行并支配・箱館奉行并支配 - 国立公文書館デジタルアーカイブ
  4. ^ a b c d 村上直、和泉清司、佐藤孝之、西沢淳男 編『徳川幕府全代官人名辞典』東京堂出版、2015年。ISBN 978-4-490-10863-7 
  5. ^ a b c 神奈川県県民部県史編集室 1983, 695頁.
  6. ^ 『復古記』 明治元年6月20日 NDLJP:1148312/202
  7. ^ a b 『復古記』 明治元年8月8日 NDLJP:1148337/85

参考文献 編集

  • 神奈川県県民部県史編集室 編『神奈川県史 別編1 人物』神奈川県、1983年。