松浦 賢(まつうら けん、1945年 - )は、日本の自動車技術者、レースエンジニア愛媛県出身。レース用エンジンのチューナーとして有名である。2017年現在は株式会社ケン・マツウラレーシングサービス顧問[1]

略歴編集

17歳でオートバイレースに出場し始め、19歳になると自動車レースにも出場し始める。1964年にケン・マツウラレーシングサービスを設立[2]1968年には吉村秀雄率いるヨシムラ・コンペティション・モータース(現・ヨシムラジャパン)に入社し、エンジンチューナーとして修行を積んだ[3]

1973年には欧州に渡り、BMWでレーシングエンジンのメカニックとして研修を受けたとされるが[4]、本人はBMW側に教えに行ったとしている[5]。帰国後主に富士グランチャンピオンレース(富士GC)や全日本F2選手権等のレースで使用されるBMWエンジンのチューニングを手がけ、日本におけるレーシングエンジンチューナーの第一人者として名を馳せた。

1980年代後半にはF3000用に使われるフォード・コスワース・DFVエンジンのチューニングを手がけるようになり、一時はヤマハ発動機と協力してDFVを5バルブ化したコスワース・ヤマハOX77エンジンの開発を手がけた。以後もDFVエンジンのチューナーとしての活動は続き、1990年代半ばまで全日本F3000選手権向けに独自にチューニングしたDFVエンジンの供給を行っていた。全日本F3000→フォーミュラ・ニッポンではその後無限・MF308エンジンのチューニング等も手がけている。

近年は自ら及び自社の名前を前面に出したレース活動を行うことは少なくなっているものの、2010年にはF4用の2,000ccエンジンをトムスと共同で開発したほか[6]、古巣のヨシムラがスーパーバイク世界選手権(WSB)参戦のため開発したエンジンにパーツを供給するなど[7]、主に裏方としてレース活動に携わり続けている。2014年からはスーパーフォーミュラ及びSUPER GT・GT500クラスで使用される燃料リストリクターの供給や、2リッター直4ターボのNREのメンテナンスを行っている[8]。またWECに参戦するトヨタ・TS050 HYBRIDのエンジンチューニングも手がけている[1]

なお年齢的な問題もあり、本人は既に第一線を退いている。会社は息子が継いでおり、2017年現在は「レースよりも市販車関連の業務のほうが若干多い」という[1]

人物編集

趣味は釣り童夢創業者の林みのるや、レーシングカーデザイナーの由良拓也などは釣り仲間だという[9]。自らの会社でも自動車関連以外に釣り用のリールなどの製造・販売を手がけている。

中嶋悟を発掘した人物でもある。1976年鈴鹿サーキットで行われたGCレースで中嶋と接点を持った松浦は、中嶋が活動資金難のためレース活動を辞めようと考えていることを知り、「エンジンの費用はこっちで持つから中嶋を乗せてくれ」とヒーローズレーシング代表の田中弘に売り込みをかけ、その結果中嶋は翌1977年より全日本F2及びFJ1300への参戦が実現した[10]

出演編集

脚注編集

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c 「父の会社は最先端、どころか時が止まってた」 - 日経ビジネスONLINE・2017年6月16日
  2. ^ 株式会社 ケン・マツウラレーシングサービス - 愛媛ものづくり企業『すご技』データベース
  3. ^ (2)F1に見る夢 - 愛媛県生涯学習センター
  4. ^ 花輪さん、やすらかに。 - F1 STINGER・2012年3月23日
  5. ^ 「修行? いや、BMWには教えに行ったんだよ」伝説のエンジンチューナー、ケン・マツウラ氏語る - お仕事は「世界耐久選手権」です(日経ビジネスONLINEコラム )
  6. ^ 2010年に登場する2つのJMIA 2リットルF4エンジン - 日本自動車レース工業会・2009年12月2日
  7. ^ 2010年WSBK&鈴鹿八耐挑戦記 エンジン ピストン&コンロッド編 - ヨシムラジャパン・2010年4月12日
  8. ^ “新エンジンの重要部品である燃料リストリクター公開”. SUPER FORMULA. (2014年3月20日). http://superformula.net/sf/apf/ap/NList02.dll/?No=NS018674 
  9. ^ OCEAN FRY開発 - 童夢・2009年6月3日
  10. ^ 『F1走る魂』(海老沢泰久文藝春秋1988年
  11. ^ エンジンに生命をふきこめ! - NHKアーカイブス
  12. ^ 五畳半の狼 #621 松浦賢(レースエンジニア)(1) - 釣りビジョン

外部リンク編集