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艦歴
発注 1942年戦時建造補充(改マル5計画)追加計画
起工 1943年8月8日[1]
進水 1944年2月3日[1]
就役 1944年4月28日[1]
その後 1944年8月4日に戦没
除籍 1944年10月10日
性能諸元
排水量 基準:1,262t
公試:1,530t
全長 100.00m
全幅 9.35m
吃水 3.30m
主缶 ロ号艦本式缶2基
主機 艦本式タービン2基2軸 19,000hp
速力 27.8kt
航続距離 18ktで3,500
燃料 重油370t
乗員 211名
兵装 40口径12.7cm単装高角砲 1基
40口径12.7cm連装高角砲 1基
25mm連装機銃 4基
25mm単装機銃 12基
61cm4連装九二式魚雷発射管 1基4門(予備魚雷なし)
九四式爆雷投射機 2基、爆雷投下軌条×2、(二式爆雷 36発)

(まつ)は大日本帝国海軍駆逐艦[2]松型駆逐艦(一等駆逐艦松型)(丁型)の1番艦[3][4]。日本海軍の艦名としては樺型駆逐艦」に続いて2代目である。舞鶴海軍工廠1943年(昭和18年)8月上旬から1944年(昭和19年)4月末にかけて建造された[1]。起工から竣工まで約8ヵ月であった[5]。竣工後、小笠原諸島や硫黄島方面への護衛任務に従事する[6]。同年8月4日、小笠原方面船団護衛中に米軍機動部隊の水上艦艇(巡洋艦、駆逐艦)と交戦、撃沈された(スカベンジャー作戦)。竣工してから約3ヵ月の艦歴であった[6]

目次

艦歴編集

竣工まで編集

駆逐艦(まつ)は、丁型駆逐艦の第5481号艦として舞鶴工廠で建造[7][8]1943年(昭和18年)8月8日、起工[7][5][注 1]

同年12月22日、命名[2]。同日附で駆逐艦一等の部中に松型が新設され、その1番艦に定められる[4]1944年(昭和19年)2月3日に進水し[12]、本籍を舞鶴鎮守府に定められる[13]。 3月25日、松・冬月の艤装が急がれる中、舞鶴海軍工廠では松型4番艦「」が進水する[14][15]。また秋月型12番艦「花月[16]や松型8番艦「[17]、同型11番艦「[18]の建造も始まっている[15][19]。 同日附で、米井垣雄少佐[注 2]は松艤装員長に任命される[22]。 4月27日附で米井少佐は本艦初代駆逐艦長に任命された[23]。 4月28日、竣工[19][24]。訓練部隊の第十一水雷戦隊(司令官高間完少将海軍兵学校41期[25])に編入され、5月1日に舞鶴を出港してに移動した。

護衛任務編集

6月2日附で松駆逐艦長は、米井少佐から吉永源少佐[26](駆逐艦天霧沈没時の艦長[27][28])に交代した[注 3]

「松」は6月18日まで瀬戸内海方面で慣熟訓練を行った後[31]、軽巡洋艦「長良」、駆逐艦「清霜」とともに横須賀に回航され[32]、第十一水雷戦隊に加勢された他の軽巡洋艦、駆逐艦および輸送艦とともに、小笠原諸島方面への輸送作戦に投入された[33]。 吉永少佐(元天霧艦長)と共に内地に帰還した志賀博大尉(旧姓保坂、天霧水雷長)によれば[27]、松と竹は横須賀海軍工廠ポンツーンで艤装工事を行っており、吉永は松駆逐艦長として、志賀は竹艤装員[28](竣工後は竹水雷長)として、隣同士の艦に着任したという[34]。 同海軍工廠で「松」は機銃を増設、上陸作業用の十m運貨筒を搭載した[35]。軽巡「長良」と秋月型駆逐艦「冬月」および第4号輸送艦とともに硫黄島への輸送部隊の第一陣に加わり、6月29日に横須賀を出撃した[36]。硫黄島への輸送任務を終えて父島を経由し、7月2日に横須賀に帰投した[37]。帰投後、「松」は横須賀鎮守府横須賀防備戦隊甲直接護衛部隊に編入された[38][39]

7月6日、松は硫黄島への輸送任務に向かう第4号輸送艦の護衛に指定され[40]同日横須賀を出撃[要出典]。7月8日、兄島にて航行不能に陥った第153号特設輸送艦を神風型駆逐艦旗風が曳航するのに伴い、第4号輸送艦とともに硫黄島での揚搭作業終了後これの護衛に当たるよう指示される[41]。この際、旗風からは近海で活動する潜水艦を懸念して横須賀防備戦隊司令部に対して更に護衛艦2隻の増派が要求されていたが[42]、修理や当面の任務作戦実施上の都合から増派不可能との返答がなされている[43]。7月12日、松ら2隻の護衛のもと、旗風は館山 に到着、曳航した第153号特設輸送艦を仮泊させた[44]

7月8日、第二護衛船団司令官清田孝彦少将は呉防備戦隊司令官へ転任[45]高橋一松少将(海兵40期)[注 4]が第二護衛船団司令官となる[45]

7月15日、日本海軍は秋月型駆逐艦霜月冬月により第41駆逐隊を、松型4隻(、松、)により第43駆逐隊を、それぞれ編制する[47][48]。第41駆逐隊司令には脇田喜一郎大佐、第43駆逐隊司令には菅間良吉大佐が任命された[49][注 5]

7月16日、神風型駆逐艦旗風、第4号輸送艦、第204号特設輸送艦および第152号特設輸送艦とともに同日編成された『第三七一八船団』の甲分団に組み込まれ[50]、7月18日に横須賀を出撃し硫黄島への輸送任務に就いた[51]

沈没編集

7月23日、南方諸島への緊急輸送作戦を実施するにあたり、連合艦隊より空母「瑞鳳」(第三航空戦隊)と第十戦隊所属の第61駆逐隊(初月秋月)および第4駆逐隊(野分山雲)が派出され、輸送作戦護衛に協力することになった[52][53]。 「瑞鳳」は本来の搭載航空隊ではなく、対潜哨戒を主目的とする第九三一海軍航空隊より九七式艦上攻撃機12機を受け入れた[54][55]。 7月25日、松は上記の瑞鳳と護衛の駆逐艦4隻、丁型海防艦2隻(第4号第12号)および第二護衛船団司令部とともに横須賀防備戦隊乙直接護衛部隊に編入された[56]。 7月29日、「松」は第二護衛船団司令部(司令官高橋一松少将)[45]旗艦として、『第三七二九船団』を指揮する[57]。駆逐艦「旗風」、第4号海防艦第12号海防艦第51号駆潜艇と、第109師団(司令官栗林忠道中将)指揮下の歩兵第145連隊主力を乗せた輸送船5隻を護衛し、館山を出港して父島へ向かった[58][59]硫黄島の戦いに備え、硫黄島の戦力を増強するための輸送作戦である[60]

第四八〇四船団(「松」沈没時)[61]
  • 昌広丸(石原汽船、4,739トン)
  • 利根川丸(松岡汽船、4,997トン)
  • 延寿丸(岡田商船、5,374トン)
  • 第七雲海丸(中村汽船、2,182トン)
  • 龍江丸(大連汽船、5,626トン)
  • 護衛:松 旗風 第4号海防艦 第12号海防艦 第51号駆潜艇[62]

8月2日、輸送船団は父島に入港した[57][63]。続いて8月3日、硫黄島へ進出した[64][65]。『第四八〇四船団』と改称後[54]8月4日午前8時に父島を出航した[62][66]。 しかし、10時30分に父島北西20海里の地点にさしかかったところで、スカベンジャー作戦のため来襲した第58任務部隊(司令官マーク・ミッチャー中将)の艦載機に発見された[67]。一部資料では、米軍は空母「瑞鳳」を仕留めるために行動していたとする[65][54]。 この時、「瑞鳳」は駆逐艦4隻(初月、秋月、山雲、野分)に護衛されて小笠原諸島硫黄島方面への船団護衛に従事[68][69]、8月2日に横須賀へ帰投[70][71]。 同日附で直接護衛部隊から除かれていた[72]。翌日には第九三一海軍航空隊より借りていた九七艦攻10機(事故で2機喪失)も返却している[73][54]

8月4日、第一空母部隊(ホーネットIIフランクリンカボット)と第二空母部隊(バンカー・ヒルレキシントンIIサン・ジャシント)から攻撃隊が発進した[74]。第4804船団にも米軍機動部隊接近の報告は入っていたが、「我々(第4804船団)を見間違えたのだろう」「敵機は父島を空襲するから、一刻も早く北上せねばならない」という空気だったという[75]。 米軍機動部隊より飛来した艦載機は、二波に分かれて第4804船団を襲った[67]。 「松」は第一次空襲で5機撃墜を報じた[76][77]。だが数次に亘る空襲後の第四八〇四船団および父島在泊艦艇は全滅状態となる[66][78]。 健在艦は「松」と第4号海防艦(至近弾と機銃掃射により浸水被害、戦死4、負傷21)[79]、「利根川丸」を残すのみとなり、損傷した第12号海防艦(戦死6、負傷50)は別途で横須賀に向かっていた[74][80][注 6]。 ミッチャー中将は第四八〇四船団を全滅させるために、クリーブランド級軽巡洋艦ビロクシ」(USS Biloxi, CL-80)、「モービル」 (USS Mobile, CL-63)、「サンタフェ」(USS Santa Fe, CL-60)の大型軽巡3隻および駆逐艦12隻の混成部隊(L・デュ・ボース少将、米第13巡洋艦隊)を分離させて、第四八〇四船団が彷徨っている海域に急行させた[82]。米艦隊の行動は、日本側も観測していた[83]。また第四八〇四船団からは、水平線上に敵空母と艦載機が着艦する様子が見えたという[84]

18時ごろ、第4号海防艦はデュ・ボース少将の艦隊を発見して砲戦を開始した[85][86]。「松」も18時30分に砲撃を受けたことを報告した[87]。第四八〇四船団は利あらずと更なる退却を続けていたが、第4号海防艦と「利根川丸」を逃がす為、高橋少将(松座乗)は『四号海防艦は利根川丸を護衛し戦場を離脱せよ』と命令する[85][79]。「松」は反転すると、単艦でデュ・ボース少将の艦隊を迎撃していった[86]。19時15分、巡洋艦および駆逐艦10隻と交戦中と打電[66][88]。交戦地点は聟島の南西約20kmであった[89]

19時40分、「松」は第4号海防艦に対し『われ、敵巡洋艦と交戦中。これより反転、突撃す』[注 7]と最期の打電をおこなう[79][90]。この後、「松」は消息不明となった[66][91]。 第4号海防艦と「利根川丸」は離脱中にB-24型重爆サイパン島より発進)の夜間空襲をうけ[92]、利根川丸は被弾して沈没した[93][94]。 「松」乗組員は吉永艦長以下全員が戦死し、高橋少将以下第二護衛船団司令部員全員もこれに殉じた(米側によれば松乗組員6名を救助)[66]。その最後の戦いの詳細は不明であるが、アメリカ側の記録では、聟島北東25海里地点で、モービルが指揮下の駆逐艦とともに「松」と「利根川丸」を撃沈したとある[95]。第4号海防艦は三重県鳥羽で燃料を補給し、8月7日横須賀に帰投した[96]。第12号海防艦はB-24と応戦しつつ[96]、横須賀へ帰投した[94]。また駆逐艦「旗風」も内地にたどり着いた[97][57]

10月10日、駆逐艦「松」は松型駆逐艦[98]、帝国駆逐艦籍[99]、第43駆逐隊[100]のそれぞれから除籍された。

歴代艦長編集

艤装員長
  1. 米井恒雄 少佐:1944年3月25日[22] - 1944年4月27日[23]
駆逐艦長
  1. 米井恒雄 少佐:1944年4月27日[23] - 1944年6月2日[26]
  2. 吉永源 少佐:1944年6月2日[26] - 1944年8月4日 戦死、同日付任海軍中佐[101]

参考文献編集

  • 雨倉孝之「松型駆逐艦長の奮戦記」『歴史群像太平洋戦史シリーズ43 松型駆逐艦』学習研究社、2003年、ISBN 4-05-603251-3
  • 岡本孝太郎『舞廠造機部の昭和史』文芸社、2014年5月。ISBN 978-4-286-14246-3
  • 海防艦顕彰会『海防艦戦記』海防艦顕彰会/原書房、1982年
  • 木俣滋郎『日本空母戦史』図書出版社、1977年7月。
  • 木俣滋郎『日本水雷戦史』図書出版社、1986年
  • 木俣滋郎『日本海防艦戦史』図書出版社、1994年9月。ISBN 4-8099-0192-0
  • 隈部五夫ほか『海防艦激闘記 護衛艦艇の切り札として登場した精鋭たちの発達変遷の全貌と苛烈なる戦場の実相』潮書房光人社、2017年1月。ISBN 978-4-7698-1635-5
    • (38-67頁)当時四号海防艦機雷長・海軍中尉寺島健次『殊勲の丁型四号海防艦 硫黄島出撃記 乗艦十二度に及ぶ出撃で対空対潜対艦戦闘を生き抜いた機雷長の体験
  • 佐藤和正『艦長たちの太平洋戦争 34人の艦長が語った勇者の条件』光人社〈光人社NF文庫〉、1993年5月(原著1983年)。ISBN 47698-2009-7
    • 実戦即訓練 <海防艦「第四号」艦長・水谷勝二少佐の証言>(太平洋戦争時、駆潜艇3号艇長、海防艦第4号艦長、潜水母艦「駒橋」艦長等)
  • 駆逐艦「天霧」先任将校志賀博「雑木林の真価」『海軍兵科将校』光人社、1985年3月。ISBN 4-7698-0264-1
  • 志賀博ほか『駆逐艦物語 車引きを自称した駆逐艦乗りたちの心意気』潮書房光人社、2016年4月。ISBN 978-4-7698-1615-7
    • 元三十五突撃隊・海軍二等兵曹正岡勝直『されど"雑木林艦隊"恥ずることなかれ 雑木林といわれた松型十八隻、橘型十四隻、樅型三隻、若竹型六隻の闘魂
  • 重本俊一ほか『陽炎型駆逐艦 水雷戦隊の中核となった精鋭たちの実力と奮戦』潮書房光人社、2014年10月。ISBN 978-4-7698-1577-8
    • 戦史研究家伊達久『日本海軍駆逐艦戦歴一覧 太平洋戦争時、全一七八隻の航跡と最後
  • 多田実『何も語らなかった青春「学徒出陣五十年、歴史を創ったわだつみの若者たち」』三笠書房、1993年
  • 福井静夫福井静夫著作集 軍艦七十五年回想記 日本駆逐艦物語』第5巻、阿部安雄・戸高一成/編集委員、光人社、1993年1月。ISBN 4-7698-0611-6
  • 松永市郎『思い出のネイビーブルー 私の海軍生活記』光人社〈光人社NF文庫〉、1994年2月。
  • 山本平弥ほか『秋月型駆逐艦<付・夕雲型・島風・丁型> 戦時に竣工した最新鋭駆逐艦の実力と全貌』潮書房光人社、2015年3月。ISBN 978-4-7698-1584-6
    • 当時艦政本部部員・海軍技術中佐遠山光一『マスプロ防空駆逐艦"松型"の誕生と背景 駆逐艦発達史の中に位置づけた丁型=松型十八隻と橘型十四隻の新機軸
    • 戦史研究家伊達久『丁型駆逐艦船団護衛ダイアリィ 松型十八隻と橘型十四隻の太平洋戦争
  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • 『昭和18年9月~12月 達/12月』。Ref.C12070121100。
    • 『昭和18年11月~12月 内令5巻/昭和18年12月(4)』。Ref.C12070182900。
    • 『自昭和19年1月至昭和19年7月内令/昭和19年2月(2)』。Ref.C12070194500。
    • 『自昭和19年1月至昭和19年7月内令/昭和19年7月』。Ref.C12070195500。
    • 『昭和19年9月~12月 秘海軍公報 号外/10月(2)』。Ref.C12070497400。
    • 『昭和18年8月1日~昭和18年8月31日 舞鶴鎮守府戦時日誌』。Ref.C08030356900。
    • 『昭和18年9月1日~昭和18年9月30日 舞鶴鎮守府戦時日誌(1)』。Ref.C08030357000。
    • 『昭和19年1月1日~昭和19年1月31日 舞鶴鎮守府戦時日誌』。Ref.C08030359900。
    • 『昭和19年2月1日~昭和19年2月29日 舞鶴鎮守府戦時日誌』。Ref.C08030356000。
    • 『昭和19年3月1日~昭和19年3月31日 舞鶴鎮守府戦時日誌』。Ref.C08030357500。
    • 『昭和19年4月1日~昭和19年4月30日 舞鶴鎮守府戦時日誌』。Ref.C08030357600。
    • 『昭和19年5月1日~昭和19年5月31日 舞鶴鎮守府戦時日誌』。Ref.C08030357700。
    • 『昭和19年4月1日~昭和20年2月28日 呉鎮守府戦時日誌(5)』。Ref.C08030329700。
    • 『昭和18年12月5日~昭和19年7月31日 第4駆逐隊戦時日誌戦闘詳報(7)』。Ref.C08030145900。
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    • 『昭和19年7月1日~昭和19年11月15日 第10戦隊戦時日誌(2)』。Ref.C08030050900。
    • 『昭和18年11月15日~昭和19年11月30日 海上護衛総司令部戦時日誌(3)』。Ref.C08030137500。
    • 『昭和18年11月15日~昭和19年11月30日 海上護衛総司令部戦時日誌(4)』。Ref.C08030137600。
    • 『第931海軍航空隊戦時日誌 自昭和19年7月1日至昭和19年7月31日』。Ref.C13120406000。
    • 『第931海軍航空隊戦時日誌 自昭和19年8月1日至昭和19年8月31日』。Ref.C13120406100。
    • 『昭和19年8月4日~昭和19年8月5日 父島方面特別根拠地隊戦闘詳報 第4号』。Ref.C08030275300。
    • 『第十一水雷戦隊司令部『自昭和十九年四月一日至昭和十九年四月三十日 第十一水雷戦隊戦時日誌』『自昭和十九年五月一日至昭和十九年五月三十一日 第十一水雷戦隊戦時日誌』昭和18年12月1日~昭和19年5月31日 第11水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(4)』。Ref.C08030127100。
    • 『第十一水雷戦隊司令部『自昭和十九年六月一日至昭和十九年六月三十日 第十一水雷戦隊戦時日誌』(昭和19年6月1日~昭和20年6月30日 第11水雷戦隊戦時日誌(1))』。Ref.C08030127400。
    • 『第十一水雷戦隊司令部『自昭和十九年七月一日至昭和十九年七月三十一日 第十一水雷戦隊戦時日誌』(昭和19年6月1日~昭和20年6月30日 第11水雷戦隊戦時日誌(2))』。Ref.C08030127500。
    • 『昭和19年6月1日~昭和20年6月30日 第11水雷戦隊戦時日誌(3)』。Ref.C08030127600。
    • 『横須賀防備戦隊司令部『自昭和十九年七月一日至昭和十九年七月三十一日 横須賀防備戦隊戦時日誌』(昭和19年6月1日~昭和20年1月31日 横須賀防備戦隊戦時日誌(2))』。Ref.C08030363400。

脚注編集

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注釈編集

  1. ^ 当時の舞鶴工廠は、夕雲型駆逐艦3隻(浜波早波早霜《345号艦》)、秋月型駆逐艦「冬月《361号艦》」等の建造、損傷艦(不知火初春太刀風長波大波巻波名取長良木曾《11月10日到着》)等の修理を抱えていた[9][10][11]
  2. ^ 米井垣雄少佐は、重巡洋艦加古水雷長[20]、駆逐艦艦長[21]等を歴任した。
  3. ^ 後日、米井少佐は松型9番艦駆逐艦長に任命され(9月4日附艤装員長[29]、9月7日附駆逐艦長[30])、同艦沈没時(1945年1月5日)に戦死した。
  4. ^ 高橋少将は、吹雪型駆逐艦初代駆逐艦長[46]等を歴任していた。同期の将官は海軍兵学校卒業生一覧 (日本)#40期参照。
  5. ^ 脇田大佐、菅間大佐とも、陽炎型駆逐艦「雪風」駆逐艦長を務めた経歴を持つ。
  6. ^ 第12号海防艦乗組員によれば[81]、死傷者が続出したため一旦父島に引き返し、また船団に戻ってきたという。
  7. ^ 第四号海防艦の別記録では「四海防、四海防……ワレ敵巡洋艦ト交戦中。只今ヨリ反転コレニ突撃……」。

出典編集

  1. ^ a b c d 舞廠造機 2014, pp. 448a-449舞廠建造艦艇一覧、松(5481)
  2. ^ a b #達昭和18年12月、p.43〔 達第三百十九號 昭和十七年度及昭和十八年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦一隻、潜水艦七隻、海防艦十九隻及驅潜艇一隻ニ左ノ通命名ス|昭和十八年十二月二十二日 海軍大臣嶋田繁太郎|舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 松(マツ)|(以下略) 〕
  3. ^ 舞廠造機 2014, pp. 291-293帝国海軍駆逐艦・水雷艇建造小史(18)戦時急造艦―松型と同改(丁型)
  4. ^ a b #内令昭和18年12月(4)、p.24〔 内令第二千七百七十六號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス|昭和十八年十二月二十二日 海軍大臣 嶋田繁太郎|軍艦、航空母艦雲龍型ノ項中「天城」ノ下ニ「、葛城」ヲ加フ|驅逐艦、一等ノ部中末尾ニ左ノ一項ヲ加フ | |松型|松| (以下略) 〕
  5. ^ a b 舞廠造機 2014, pp. 292-293.
  6. ^ a b 山本ほか、秋月型 2015, p. 333.
  7. ^ a b #S1808舞鎮日誌p.9『(a)新造艦船 濱波、沖波艤装工事ノ促進/第三四五號、第三六一號、第五四八一號(八日起工)各艦ノ建造工事促進』
  8. ^ 福井、日本駆逐艦物語 1993, p. 291日本海軍駆逐艦艦名一覧/松(II)Matsu
  9. ^ #S1808舞鎮日誌pp.9-10『(b)修理艦船 名取不知火初春巻波太刀風長波(七日入港)長良(十六日入港)ノ損傷復舊工事ノ促進指導及大波(十二日入港)鴻(十七日入港)ノ修理工事促進竝ニ呂號三十六、三十七號潜水艦ノ出師準備作業促進指導ニ努メ何レモ豫定通工事進捗シ太刀風ハ豫定通工事完成三十一日出撃セリ』
  10. ^ #S1809舞鎮日誌(1)pp.9-10『(a)新造艦船 濱波沖波艤装工事ノ促進 第三四五號、第三六一號及第五四八一號各艦ノ建造工事促進第六一號、第四七號驅潜特務艇ノ兵装工事促進何レモ十一日、二十二日完成引渡|(b)修理艦船 名取長良不知火初春ノ損傷復舊工事ヲ初メ巻波長波秋風(九日入港)掃二十四(二十三日入港)大波鴻潜二十二(十七日入港)ノ修理工事促進竝ニ呂三六、呂三七潜水艦ノ出師準備作業促進指導ニ努メ何レモ豫定通工事進捗シ長波、呂三六潜五日、大波七日、巻波十五日、鴻十七日、呂三七潜二十二日工事完成出撃セリ』
  11. ^ #S1904舞鎮日誌p.9『(b)損傷艦船 長良 損傷復舊竝ニ改装工事四月二十日完成/名取 〃 四月二十七日完成』
  12. ^ #S1902舞鎮日誌pp.8-9『(2)重要ナル艦船兵器ノ造修(a)新造艦船 早霜 二月二十日完成引渡ヲ了ス/冬月 一月二十日進水艤装中/松 二月三日進水艤装中(略)|(b)損傷艦船 名取一九.五末 木曾一九.三末完成豫定ヲ以テ損傷復舊工事中木曾兵装公試終了損傷復舊工事概ネ完了/掃二十二損傷復舊ノ爲二月二十七日入港』
  13. ^ #内令昭和19年2月(2)p.6『内令第二百九十五號 驅逐艦 松 右本籍ヲ舞鶴鎮守府ト定メラル 昭和十九年二月三日 海軍大臣嶋田繁太郎』
  14. ^ 舞廠造機 2014, pp. 448b-449舞廠建造艦艇一覧、桃(5484)
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  68. ^ #S1812第4駆日誌(7)p.8『30日/0900出港瑞鳳護衛』、p.13『29日1353瑞鳳/瑞鳳61dg(涼月若月欠)4dg(山雲野分)ハ30日0900横須賀発概ネ船団ノ50浬圏内ヲ機宜行動船団行動変化ナケレバ左ノ如ク行動ス(略)』
  69. ^ #S1907十戦隊日誌(1)p.5『(2)野分、山雲 山雲入渠セザリシ外両艦共27日迄ノ経過概ネ満潮ト同断28日横鎮乙直接護衛部隊ニ編入30日初月秋月ト共ニ瑞鳳警戒艦トシテ父島方面ニ向ケ横須賀発輸送ノ護衛ニ任ズ』
  70. ^ #S1907十戦隊日誌(2)p.3『(ロ)第六十一駆逐隊(1)初月秋月 二日附乙直接護衛部隊ヨリ除カレ第二遊撃部隊ニ編入瑞鳳ヲ警戒三日内海西部着…』
  71. ^ #S1907十戦隊日誌(2)pp.4-5『(二)第四駆逐隊(1)満潮野分山雲 野分山雲乙直接護衛部隊ニ編入中ノ所二日横須賀着同日附同部隊ヨリ除カレ機動部隊本隊ニ復皈ス尚同日附司令駆逐艦ヲ満潮ニ変更セリ…』
  72. ^ #S1907十戦隊日誌(2)p.14『二 一〇〇五横鎮長官(宛略)横鎮電令作第五八〇號 瑞鳳第四駆逐隊(満潮缺)第六十一駆逐隊(若月凉月缺)?空艦攻十二ヲ乙直接護衛部隊ヨリ除ク』
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  78. ^ #父島方面戦闘詳報p.21『四日一六四九 松(宛略)第三次戰闘ニ於テ一六〇〇ヨリ一六三五迄ノ間ニ艦爆艦攻延五〇機ノ攻撃ヲ受ケ商船二隻沈没一隻大破敵尚攻撃中』、同戦時日誌pp.31-32『五日一八〇五父特根司令官(宛略)戰闘概報其ノ五』
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  83. ^ #S1904呉鎮日誌(5)p.22『四日一六三〇中部軍(宛略)父島東方約三十浬ニ敵巡洋艦、驅逐艦約十隻北上中ナルヲ海軍警備隊發見右艦艇ハ明朝〇四〇〇頃東京南方二百浬ニ達スル見込』/#父島方面戦闘詳報pp.19-20『四日一六五〇父特根司令官(艦)敵水上艦艇一〇隻九〇度方向ヨリ近接シツツアリ』
  84. ^ 海防艦激闘記 2017, pp. 54-57敵は巡洋艦戦隊ふしぎに声明ながらえて
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  88. ^ #父島方面戦闘詳報p.21『四日 松|四日一九一五父特根司令官 横鎮長官|敵巡洋艦、駆逐艦一〇隻ノ砲撃ヲ受ケ交戰中』
  89. ^ #父島方面戦闘詳報p.22『四日一九〇〇聟島見張所|四日二一〇二父特根司令官|聟島見張機密第〇四一九〇〇番電 敵巡洋艦四隻駆逐艦四隻聟島ヨリノ二三〇度二萬米ニテ砲戰味方艦一、炎上シツヽ??(二語不明)全速(以下十一語感ナシ)』』
  90. ^ 思い出のネイビーブルー 1994, p. 252当事、軽巡名取通信長だった松永市郎が受信した電文によれば、「吾、敵攻略部隊の包囲を受く、只今より突撃す」。
  91. ^ #S1811海護総司令部(4)p.12『驅逐艦松(略)四八〇四船團護衛北上中一八三〇「我敵巡洋艦ト交戰中」ノ發信アリタル後消息不明トナル』
  92. ^ 海防艦激闘記 2017, p. 57.
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  97. ^ 海防艦激闘記 2017, p. 54.
  98. ^ #内令(秘)昭和19年10月(2)、p.35〔 内令第一一五九號 艦艇類別等級別表中次ノ通改正ス|昭和十九年十月十日 海軍大臣|軍艦、巡洋艦二等長良型ノ項中「長良、」「、名取」ヲ、同航空母艦大鷹型ノ項中「大鷹、」ヲ、同敷設艦ノ部中「、白鷹」ヲ削ル|驅逐艦、一等神風型ノ項中「、朝風」「、夕凪」ヲ、同初雪型ノ項中「、敷波」ヲ、同白露型ノ項中「、五月雨」ヲ、同松型ノ項中「松、」ヲ削ル(以下略) 〕
  99. ^ #内令(秘)昭和19年10月(2)、pp.36-37〔 内令第一一六五號|呉鎮守府在籍 軍艦 白鷹|佐世保鎮守府在籍 軍艦 大鷹|舞鶴鎮守府在籍 軍艦 長良、軍艦 名取|右帝國軍艦籍ヨリ除カル|横須賀鎮守府在籍 驅逐艦 朝風、驅逐艦 五月雨|呉鎮守府在籍 驅逐艦 敷波|佐世保鎮守府在籍 驅逐艦 夕凪|舞鶴鎮守府在籍 驅逐艦 松|右帝國驅逐艦籍ヨリ除カル(以下略)昭和十九年十月十日 海軍大臣 〕
  100. ^ #内令(秘)昭和19年10月(2)、pp.35-36〔 内令第一一六二號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十九年十月十日海軍大臣|第十九驅逐隊ノ項ヲ削ル|第二十七驅逐隊ノ項ヲ削ル|第三十驅逐隊ノ項中「、夕凪」ヲ削ル|第四十三驅逐隊ノ項中「松、」ヲ削リ「槇」ノ下ニ「、桐」ヲ加フ 〕
  101. ^ 昭和20年10月8日(発令昭和19年8月4日付)海軍辞令公報(甲)第1944号 p.4』 アジア歴史資料センター Ref.C13072107900 

関連項目編集