メインメニューを開く

板倉 勝全(いたくら かつまた、1830年12月20日文政13年11月6日) - 1858年9月28日安政5年8月22日))は、備中国庭瀬藩の第10代藩主。重宣系板倉家11代。

上野国伊勢崎藩酒井忠恒の三男。正室は永井尚典の娘。子は娘(益田某室)。官位は従五位下、摂津守、越中守。

先代藩主板倉勝成の養嗣子となり、嘉永元年(1848年)10月8日、養父の死去により家督を継いだ。安政5年(1858年)2月19日、家督を養子の勝弘に譲って隠居し、同年8月22日に29歳で死去した。法号は明覚院殿義山源大居士。

血筋編集

板倉重郷(板倉家宗家3代)の女系子孫である。

板倉重郷―堀田正休室―酒井忠菊室―酒井忠恭……酒井忠恒―板倉勝全
(『寛政重修諸家譜』に一部基づく)