林家 正雀(はやしや しょうじゃく)は落語家の名である。


林家はやしや 正雀しょうじゃく
Hayashiya Shôjaku
林家(はやしや) 正雀(しょうじゃく) Hayashiya Shôjaku
中陰光琳蔦(画像は中陰蔦)は、林家彦六一門の定紋である。
本名 井上いのうえ しげる
別名 竹の家すゞめ[注 1]
生年月日 (1951-12-25) 1951年12月25日(72歳)
出身地 日本の旗 日本山梨県大月市
師匠 林家彦六
二代目橘家文蔵
弟子 林家彦丸
林家彦三
名跡 1. 林家茂蔵
(1974年)
2. 林家繁蔵
(1974年 - 1978年)
3. 林家正雀
(1978年 - )
出囃子 都風流
活動期間 1974年 -
活動内容 古典落語
配偶者 あり
所属 落語協会
公式サイト 林家正雀公式サイト 「雀の御宿」
受賞歴
1979年 第8回NHK新人コンクール最優秀賞
1996年 平成8年度芸術選奨大衆芸能部門新人賞

林家 正雀1951年12月25日 - )は、山梨県大月市出身の落語家である。落語協会所属。本名∶井上 茂出囃子は『都風流』。

林家彦六最後の弟子であり、師匠・彦六の怪談噺、芝居噺の継承者としても知られている。

経歴 編集

山梨県立都留高等学校時代[1]に、進学するか、落語家に入門するかで悩み、六代目三遊亭圓生宅を訪ねて弟子入り志願するも、断られたため日本大学[1]文理学部国文学科に進学を落研(日本大学文理学部落語研究会)入りした。

1974年2月、八代目林家正蔵に入門。入門時の正蔵の年齢は78歳だった。前座名は「茂蔵」、 後に「繁蔵」に改名。

1978年9月、柳家〆治古今亭菊弥立川談之助と共に二ツ目昇進。「正雀」に改名。1982年に師匠・彦六が死去。兄弟子・林家上蔵と共に兄弟子・二代目橘家文蔵一門に移籍する。

1983年9月、柳家小里ん蝶花楼花蝶林家源平と共に真打昇進。兄弟子・上蔵時蔵を追い抜いての昇進だった。

芸歴 編集

人物 編集

  • 五代目円楽一門会の定席である両国寄席にも賛助出演している。
  • 趣味は、歌舞伎鑑賞。
  • 彦六一門の名物料理であった「林家の牛めし」のレシピを受け継いでおり、自身の落語会などで来場客に振舞われることもある[2]

演目 編集

師匠・彦六の持ちネタであった芝居噺・怪談噺などを受け継ぐなど、古典・新作双方のネタを演じる。

古典 編集

怪談噺 編集

廓噺 編集

新作 編集

自作 編集

他作 編集

など

逸話 編集

  • 開運なんでも鑑定団に出演。棟方志功の弁才天像を出品し、本人評価額は100万円だったが、偽物で1000円だった。
  • 国立演芸場の平成16(2004)年5月定席公演(11日~20日)では、芸道人情噺「名人小団次」をかけ、噺に登場する市川小団次は宙乗りを考案した人物ということで、高座の上で宙乗りを行った[3]

受賞 編集

出演 編集

インターネット 編集

著書 編集

弟子 編集

真打 編集

二ツ目 編集

出典 編集

  1. ^ a b 気になる人にズバリ!聞ックス!(YBSラジオ)”. 2016年5月28日閲覧。
  2. ^ 2020.12.26.「林家正雀 噺の世界」 - 墨亭 -BOKUTEI- 2020年12月27日
  3. ^ 『平成14年7月号 横井洋司の写真館』東京かわら版、2016年6月28日、45頁。 

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 鹿芝居狂言作家としてのペンネーム。

出典 編集

外部リンク 編集