林山主
出自編集
経歴編集
弘仁13年(822年)内位の従五位下に叙せられると、天長3年(826年)従五位上、天長6年(829年)正五位下と嵯峨朝末から淳和朝にかけて順調に昇進した。またこの間、諸陵頭・縫殿頭を歴任し、但馬権介も兼ねた。天長8年(831年)従四位下に至る。
人物編集
公平な性格で、人に対する愛憎の気持ちを持つことがなかった。古くからの廷臣で声望のある国家の功臣であった[2]。
官歴編集
『日本後紀』による。
弘仁13年(822年)内位の従五位下に叙せられると、天長3年(826年)従五位上、天長6年(829年)正五位下と嵯峨朝末から淳和朝にかけて順調に昇進した。またこの間、諸陵頭・縫殿頭を歴任し、但馬権介も兼ねた。天長8年(831年)従四位下に至る。
公平な性格で、人に対する愛憎の気持ちを持つことがなかった。古くからの廷臣で声望のある国家の功臣であった[2]。
『日本後紀』による。