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林 幹(はやし かん、1894年 - 没年不詳)は、日本の俳優である。東京府東京市浅草区(現在の東京都台東区浅草)出身。別名は海上 晴帆(うながみ せいはん)。音読みが同一の俳優林寛とは別人である。

はやし かん
林 幹
別名義 海上 晴帆 (うながみ せいはん)
生年月日 1894年
没年月日 不詳年
出生地 日本の旗 日本 東京府東京市浅草区(現在の東京都台東区浅草
職業 俳優
ジャンル 新劇劇映画現代劇時代劇サイレント映画トーキー
活動期間 1910年代 - 1960年代
配偶者 海上美乃
主な作品
朝日さす前
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目次

人物・来歴編集

1894年(明治27年)、東京府東京市浅草区(現在の東京都台東区浅草)に生まれる[1]

旧制・早稲田実業学校(現在の早稲田大学系属早稲田実業学校高等部)を中途退学したが、早稲田大学坪内逍遥に入門し、文学を学ぶ[1]島村抱月沢田正二郎ら演劇人と親交を結び、新劇の世界に入る[1]。「創生劇」を主宰、日比谷野外音楽堂で公演を行った[2]

1920年(大正9年)、日活向島撮影所の革新運動に参加し、同撮影所第三部が製作した田中栄三監督の『朝日さす前』に主演する。以降、同部の消滅まで出演をつづけた。関東大震災以降の1925年(大正14年)、兵庫県西宮市東亜キネマ甲陽撮影所で映画出演する[3]

1928年(昭和3年)6月、加藤精一佐々木積とともに帝国劇場専属俳優となる[4]

1936年(昭和11年)、お告げを受け、天崇教を創立する[1]。教祖としての名は「海上晴帆」である[1]第二次世界大戦後、1948年(昭和23年)に宗教法人登録を行う[1]

1952年(昭和27年)、黒澤明監督の『生きる』で映画界に復帰、以降、東宝作品を中心に出演する[3]。初期の岡本喜八監督作品の常連で、体格がよく貫禄のある役どころが多かった。

出演作品編集

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  1. ^ a b c d e f 『宗教年報』、文部省、1950年、p.115.
  2. ^ 『名古屋新劇史』、松原英治門書店、1960年、p.21.
  3. ^ a b 林幹、日本映画データベース、2010年1月21日閲覧。
  4. ^ 『近代歌舞伎年表 京都篇』、国立劇場近代歌舞伎年表編纂室、八木書店、2002年 ISBN 484069222X、p.689.

外部リンク編集