林悌
林悌、林白湖(りん てい、りん はくこ、1549年-1587年)は、李氏朝鮮中期の文人、両班。その詩文は豪放快活、実生活でも逸話が多く、平安都事として赴任する途中、妓生黄真伊の墓に詣で盛大な法事を営んで罷免されたり、死の床で「中国をはばかり帝国と称しえない朝鮮などに生まれたのは痛恨事だから、自分が死んでも泣いてはならぬ」と遺言した[1]。
林悌 | |
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誕生 | 1549年??月??日 |
死没 | 1587年??月??日 |
職業 | 文人 |
ジャンル | 文学 |
ウィキポータル 文学 |
林悌 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 임제 |
漢字: | 林悌 |
発音: | {{{nihonngo-yomi}}} |
日本語読み: | りん てい |
逸話
編集病死する際に以下の言葉を残して悲嘆にくれながら死んだ[2][3][4]。黄文雄の校訂訳を付す[5]。
四海諸國, 未有不稱帝者, 獨我邦終古不能, 生於若此陋邦, 其死何足惜.
四夷八蛮が皆中原に入ったのにただただ朝鮮だけできずにいる。こんな情けない国に長生きしていてもどうにもならない[5]。 — 林悌、星湖僿說
著書
編集- 『白湖集』
脚注
編集- ^ 世界大百科事典『林悌』 - コトバンク
- ^ 林濬哲 北京大学比較文学與比較文化研究所招聘学者 (2005年). “조선중기 漢詩에서의 典型 意象의 계승과 美感의 확충(Ⅱ)”. 語文硏究 제33권 제3호(2005년 가을): p. 358. オリジナルの2018年3月4日時点におけるアーカイブ。 . "李瀷「星湖僿説」卷九, 「人事門」, 국역 성호사설(1976), pp.22~23. 「善戲謔」, “林白湖悌, 氣豪不拘檢, 病將死, 諸子悲. 林曰,‘四海諸國, 未有不稱帝者, 獨我邦終古不能, 生於若此陋邦, 其死何足惜.’命勿哭. 又常戲言,‘若使吾値五代六朝, 亦當爲輪遞天子.’ 一世傳笑.”"
- ^ “朝鮮半島歷史上第一個帝國,朝鮮半島歷史上第一個帝國大韓帝國”. 奧推網. (2021年5月5日). オリジナルの2021年7月29日時点におけるアーカイブ。
- ^ “정천구의 도덕경…민주주의의 길 <565> 不稱帝者 스스로 황제라 일컫지 못한 나라”. 国際新聞. (2020年1月7日). オリジナルの2020年1月8日時点におけるアーカイブ。
- ^ a b 黄文雄『もしもの近現代史』扶桑社、2013年8月31日、72頁。ISBN 978-4594068738。