林歌子

林 歌子(はやし うたこ、1865年1月11日(元治元年12月14日) - 1946年(昭和21年)3月24日)は教育者、キリスト教の社会事業者。

略歴編集

1865年1月11日(元治元年12月14日)越前国大野(現・福井県大野市)に、大野藩士林長蔵の長女として生まれる。1877年(明治10年)に福井女子師範学校に入学する。1880年(明治13年)に卒業して大野町の小学校で勤務する。1885年に20歳で従兄と結婚するが、戸籍上の問題で離婚する。

1885年(明治18年)冬に上京する、日本聖公会の神田台町仮会堂(神田基督教会)牧師の田井正一に出会い、米国聖公会宣教師であるC・M・ウィリアムズ司教を紹介される。聖公会宣教師E・J・ヴァーベック日本語教師になる。1886年(明治19年)から立教女子学校(現、立教女学院短期大学)で和漢数学を教えると共に、キリスト教に回心する。

1887年(明治20年)6月にC・M・ウィリアムズから洗礼を受ける。小橋勝之助1890年(明治23年)1月に兵庫県博愛社(現・社会福祉法人博愛社)という孤児院を設立する。1892年(明治25年)に林が赴任する。1893年(明治26年)に小橋勝之助が死去すると、小橋実之助を後継者として事業を継続する。1894年(明治27年)に博愛社を大阪に移転する。夜間に福島村の愛隣夜学校で教え、その給金で孤児を養った。その後、西成郡に移転してからは、実之助の妻小橋かつえに博愛社を引き継ぐ。

1899年(明治32年)には日本基督婦人矯風会の大阪支部を設立して、支部長に就任する。1905年(明治38年)には米国に渡りボストンで開かれた万国矯風会に出席する。1907年(明治40年)に中之島に矯風会大阪婦人ホームを設立して、田舎から都市部に来ていた婦人のために職業紹介と保護救済を行う。

1909年(明治42年)曾根崎新地の遊郭火災を機に、矢嶋楫子山室軍平らの応援を求め遊郭廃止運動を起こす。

1938年(昭和13年)に日本基督矯風会第5代目会頭になる。戦時中も矯風活動を行う。1946年(昭和21年)に死去する。

参考文献編集