柳家三好
2代目柳家 三好(やなぎや さんこう、1854年(嘉永7年)9月 - 没年不詳)は、落語家、音曲師。本名、中田宗太郎。実子は4代目橘家圓好。
2代目 | |
本名 | 中田 宗太郎 |
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生年月日 | 1854年9月 |
没年月日 | 不詳年 |
出身地 | ![]() |
師匠 | 初代橘家圓三郎 4代目三遊亭圓生 |
名跡 | 1. 朝寝坊小夢(時期不明) 2. (亭号不明)小圓三(? - 1886年) 3. 三遊亭圓三(1886年 - 1889年) 4. 3代目三遊亭圓好(1889年 - 1891年) 5. 2代目柳家三好(1891年 - 1912年) 6. 浮世夢輔(1912年 - 1913年) 7. 2代目柳家三好(1913年 - ?) |
活動内容 | 江戸落語 音曲師 |
所属 | 三遊派 柳派 |
初め明治初年ころ、坐り踊りの名人といわれた夢輔(後の初代橘家圓三郎、五十嵐銀次郎)の門で朝寝坊?小夢から小圓三、1886年ころ、4代目三遊亭圓生の門で三遊亭圓三、1889年、90年ころ、3代目三遊亭圓好を経て1891年に2代目三好となる。1912年には最初の師匠の名前、立花家ないし浮世夢輔を名乗る。1913年に3代目柳家小さんの身内で柳家三好に復名。明治末から大正期にかけて音曲師として4代目橘家圓喬の膝がわりで評価を受ける。関東大震災ころまで活動していたがその後引退。6代目三遊亭圓生によると1929年、30年ころまで健在だったという。
眼がくぼんでいたため「うしろめの三好」と言われ、自身も『私の目玉は年々引込んで参りまして、今に後ろの方に出てしまいましょう。そうしたら所帯を神楽坂で持ちますよ。それ、うしろ眼(牛込)の神楽坂』と枕で言っていたそうである。
名跡編集
参考文献編集
- 諸芸懇話会、大阪芸能懇話会共編『古今東西落語家事典』平凡社、ISBN 458212612X
- 今週の噺家