柳家 三語楼(やなぎや さんごろう)は、落語家名跡柳派に属する。

柳派定紋「花菱」

初代編集

画像提供依頼:顔写真の画像提供をお願いします。2014年9月
初代 柳家やなぎや 三語楼さんごろう
本名 山口 慶三
生年月日 1875年3月
没年月日 1938年6月29日
出身地   日本横浜
師匠 四代目橘家圓喬
二代目談洲楼燕枝
三代目柳家小さん
名跡 1. 橘家右圓喬
(1910年 - 1913年)
2. 談洲楼燕洲
(1913年 - ?)
3. 初代柳家三語楼
(? - 1938年)
活動期間 1910年 - 1938年
活動内容 古典落語
新作落語
所属 東京落語協会
(1923年- 1927年)
三語楼協会
(1927年 - 1930年)
東京落語協会
(1930年 - 1932年)
フリー
(1932年 - 1938年)
主な作品
『九段八景』『寝床』『たぬき』
『お直し』『締め込み

初代 柳家 三語楼1875年3月 - 1938年6月29日)は、落語家。本名∶山口 慶三

経歴編集

横浜生まれで家業は運送業、セント・ジョセフ・インターナショナル・カレッジ出身で少年時代から外国人商社で働いていたため、噺家としては珍しく英語が堪能だった。落語が好きで、素人落語を長らくやっていた。

1910年頃?に四代目橘家圓喬に入門し右圓喬、1912年師匠圓喬の死後は1913年二代目談洲楼燕枝門下に移籍し燕洲となり、後に三代目柳家小さん門下で三語楼を名乗った。1916年5月に真打昇進。

大正期を代表する人気落語家の一人で、枕(落語の導入部)に英語を入れるなどナンセンス落語が大いに受けた。1926年(大正15年)に東京落語協会を飛び出し落語協会 、俗に「三語楼協会」を設立。

1927年(昭和2年)に五代目三遊亭圓生が協会へ加わるが、1930年三語楼協会を解散。東京落語協会に戻るも1932年再度離脱。1938年に胃がんで没。享年63。

人物編集

亡くなる直前一時期の弟子五代目古今亭志ん生の次男三代目古今亭志ん朝の本名「強次」は誕生日が陸軍記念日3月10日で勝利にちなんで三語楼が名付けたとされる。

最初の師匠圓喬を崇拝していた。六代目三遊亭圓生によると「俺が死んだときは、師匠から貰った袴が大事にとってあるから、それをはかして棺の中へ入れてくれ。」と遺言していた。

左の二の腕に刺青を入れていた。また、右足の親指が無く、足袋の親指に綿を入れていた[1]

演目編集

得意ネタは『九段八景』『寝床』『たぬき』『お直し』『締め込み』など。古典落語に大胆なアレンジを施して五代目志ん生などに伝えるなど、現在に影響を与えた点では初代三遊亭圓遊初代桂春團治と並ぶ功績をあげている。

「たぬき」で狸が札束に化けた時に使う「いけねえ札から蚤が出てきた。」というのは三語楼の作ったクスグリである。

そのほかには『鰍沢』でお熊にピストルを持たせたり飛行機に乗って女郎買いにいくなどの奇想天外な演出を行っていたために、無名時代は仲間内の評判はよくなかったという。

残されているSPレコードは『厄払い』『嘘の皮』『意趣返し』『眼鏡屋泥棒』『たぬき』『高尾』『見世物風景』『宴会』のほかにコント風の『花嫁十人』『耳鏡』などがある。

芸歴編集

弟子編集

演じた俳優編集

2代目編集

二代目 柳家やなぎや 三語楼さんごろう
本名 北村 惣平
生年月日 1898年12月15日
没年月日 不詳年
出身地   日本
師匠 初代柳家三語楼
名跡 1. 柳家語ン平
(? - 1921年)
2. 柳家語らく
(1921年 - 1922年)
3. 柳家三太楼
(1922年 - 1924年)
4. 柳家三好
(1924年 - 1927年)
5. 初代柳家菊語楼
(1927年 - 1946年)
6. 二代目柳家三語楼
(1946年 - ?)
活動内容 落語
幇間
所属 三語楼協会

二代目 柳家 三語楼1898年12月15日 - 昭和50年代?)は、落語家。本名∶北村 惣平

経歴編集

人物編集

「三語楼協会」では重宝されたが解散後は不遇となり、幇間に転じたこともあった。三語楼を名乗ったものの目立った活躍はしなかった。

4代目編集

四代目 柳家やなぎや 三語楼さんごろう
 
柳家三語楼定紋「丸に花菱」
本名 平野ひらの 健作けんさく
生年月日 (1975-08-17) 1975年8月17日(47歳)
出身地   日本東京都板橋区
師匠 十代目鈴々舎馬風
名跡 1. 鈴々舎バンビ
(1999年 - 2002年)
2. 鈴々舎風車
(2002年 - 2014年)
3. 四代目柳家三語楼
(2014年 - )
出囃子 おそづけ
活動期間 1999年 -
所属 落語協会
受賞歴
第20回北とぴあ若手落語家競演会大賞(2010年)

四代目 柳家 三語楼1975年8月17日 - )。本名∶平野 健作は「丸に花菱」、出囃子は「おそづけ」。

経歴編集

東京都板橋区生まれ。岩倉高等学校運輸科出身。

1999年6月21日十代目鈴々舎馬風に入門。前座名「鈴々舎バンビ」。9月上席より楽屋入りし、9月11日国立演芸場において初高座。演目は「小町」。

2002年11月上席より柳家喬四郎柳家小権太三遊亭亜郎と共に二ツ目昇進、「鈴々舎風車」と改名。2010年、「第20回 北とぴあ若手落語家競演会」大賞受賞。

2014年3月下席より三代目柳家東三楼三遊亭究斗五代目古今亭志ん好三代目桂やまとと共に真打昇進し、四代目柳家三語楼を襲名。

芸歴編集

  • 1999年
  • 2002年11月 - 二ツ目昇進、「風車」と改名。
  • 2014年3月 - 真打昇進、「四代目柳家三語楼」を襲名。

脚注編集

  1. ^ 小島貞二『志ん生の忘れもの』44頁

参考文献編集

外部リンク編集