メインメニューを開く

柳生 俊方(やぎゅう としかた、寛文13年1月3日1673年2月19日) - 享保15年4月4日1730年5月20日))は、大和柳生藩の第5代藩主。

柳生宗春(第4代藩主・柳生宗在の兄)の長男。母は九鬼久隆の娘。正室は亀井茲政の娘。継室は岩城重隆の娘。養子に柳生宗盈柳生矩美柳生俊平。官位は従五位下備前守。

延宝4年(1676年)2月24日、早世した父・宗春の代わりに家督を継いだ叔父・宗在の養嗣子となった(その後生まれた宗在の実子は、三田藩主となった俊方の実弟・九鬼副隆の養嗣子・九鬼隆久となった)。

芳徳寺境内にある柳生一族の墓所。中央が俊方の墓

元禄2年(1689年)、宗在の死去により跡を継いだ。当初の宗弘。享保元年(1716年)9月28日、俊方に改名した。

元禄6年(1693年)1月28日、幕府の奥詰衆に加えられる。享保15年(1730年)4月4日、58歳で死去した。墓所は東京都練馬区桜台の広徳寺と奈良県奈良市柳生町の芳徳寺

俊方は3度にわたり養嗣子を迎えており、1人目の宗盈は廃嫡、2人目の矩美は早世し、3人目の俊平が跡を継いだ。

正徳2年(1712年)、村田伊十郎に柳生姓を授けた。伊十郎は柳生久寿と改名、子孫は旗本の家系となった。