柳花夫人(ゆふぁふじん)は、中国河伯の娘[1]高句麗の建国者朱蒙の母。夫は解慕漱金蛙王

柳花夫人
各種表記
ハングル 유화부인
漢字 柳花夫人
日本語読み: ゆふぁふじん
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好太王碑』には「(朱蒙は)天帝の子、母は河伯の女郎」とある[2]。『魏書』高句麗伝、『三国史記』高句麗本紀によると、河伯の女・柳花が室内に閉じ込められ、日光に感応、朱蒙を生んだ[2]

日本書紀天智天皇7年(668年)冬10月条によると、仲牟王(朱蒙)は高麗(高句麗)を建てた時、国の千年の存続を願ったが、母夫人(柳花)は「善く国を治めても700年でしょう」と言った。の大将軍・英公(李勣)が高句麗を滅ぼしたのはまさに700年目であったという。

冬十月。大唐大將軍英公打滅高麗。高麗仲牟王初建國時。欲治千歳也。母夫人云。若善治國可得也。〈若或本有不可得也。〉但當有七百年之治也。今此國亡者。當在七百年之末也。 — 『日本書紀』巻第二十七

続日本紀延暦9年1月15日(790年2月3日)、皇太后(高野新笠)の葬式の箇所に「(遠祖の都慕王は)河伯の娘が日光に感応して生んだ」とあり、高野新笠の諡号「天高知日乃子姫尊」はこの伝説に因んで贈られた[3]

明年正月十四日辛亥。中納言正三位藤原朝臣小黒麻呂率誄人奉誄。上諡曰天高知日之子姫尊。壬午。葬於大枝山陵。皇太后姓和氏。諱新笠。贈正一位乙継之女也。母贈正一位大枝朝臣眞妹。后先出自百濟武寧王之子純陀太子。皇后容徳淑茂。夙著聲譽。天宗高紹天皇龍潜之日。娉而納焉。生今上。早良親王。能登内親王。寳龜年中。改姓爲高野朝臣。今上即位。尊爲皇太夫人。九年追上尊號。曰皇太后。其百濟遠祖都慕王者。河伯之女感日精而所生。皇太后即其後也。因以奉諡焉。 — 『続日本紀』巻第四十

家族編集

脚注編集

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  1. ^ デジタル版 世界大百科事典+Plus『朱蒙』 - コトバンク
  2. ^ a b デジタル版 日本大百科全書+Plus『朱蒙』 - コトバンク
  3. ^ 松本信広編集『論集 日本文化の起源4』(平凡社1971年) 所収 内藤湖南「東北亜細亜諸国の開闢伝説」p253