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柴田 泰弘(しばた やすひろ、1953年 - 2011年6月23日)は元新左翼活動家。よど号グループ内の最年少メンバーであった。

概要編集

1969年神戸市立須磨高等学校に入学。その頃同校チュチェ研究同好会に所属赤軍派に参加し、大菩薩峠事件に関与した。1970年3月31日に仲間8人とともによど号ハイジャック事件を起こした際には、グループ最年少で高校入学してから約1年の16歳の少年であった。北朝鮮亡命後、1977年5月4日八尾恵結婚、娘2人をもうける(1990年代後半に離婚)。

1985年春によど号グループ最高幹部の田宮高麿から革命のために日本で人と金を集める命令を受けて極秘帰国。他人になりすまして潜伏活動をしていたが、1988年5月6日兵庫県警察外事課により偽造旅券の疑いで逮捕指紋の照合でよど号メンバー柴田であることが確認される。よど号メンバー初の逮捕であった。

よど号事件で強盗致傷罪国外移送目的略取罪等で起訴され、1990年12月20日に東京地裁懲役5年の判決が言い渡される。控訴をするも1993年11月に懲役5年が確定、刑務所収監される。

未決勾留期間を差し引いて、1994年7月21日に出所。その後は公安の監視下に置かれる中、元グループ仲間やその支援者らとは距離を置き、大阪府大阪市で1人暮らしした。一方では鈴木邦男と親交を結んでいる[1]

その後も娘は北朝鮮に留まっていたが次女が2004年1月に日本に帰国、長女が2006年6月に帰国している。事件から40年後の2010年3月に産経新聞がインタビューを試みた際には「もう(運動は)やりません。疲れちゃってるんで…。本当に疲れちゃってるんですよ」とのみ語った[2]

2011年6月23日、大阪府大阪市浪速区の自宅アパート布団で死亡しているのをアパートの管理人と大阪府警察浪速署員が発見した。外傷は無く、病死とみられる。58歳没[3][4][5]。6月26日に生野区で行われた葬儀には元グループ仲間に説得されて娘2人が参列し、鈴木も姿を見せた[1]

エピソード編集

出典編集