栃木県立足利高等学校
栃木県立足利高等学校(とちぎけんりつあしかがこうとうがっこう、Tochigi Prefectural Ashikaga Senior High School)は、栃木県足利市本城にある県立高等学校。
栃木県立足利高等学校 | |
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過去の名称 |
栃木県立足利中学校 栃木県足利高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 |
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校訓 |
質実剛健 文武両道 |
設立年月日 | 1921年 |
共学・別学 | 男女別学(男子校) |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学期 | 3学期制 |
高校コード | 09131G |
所在地 | 〒326-0808 |
![]() 北緯36度21分3.7秒 東経139度27分22.2秒 / 北緯36.351028度 東経139.456167度座標: 北緯36度21分3.7秒 東経139度27分22.2秒 / 北緯36.351028度 東経139.456167度 | |
外部リンク | 栃木県立足利高等学校 |
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概要編集
- 歴史
- 1921年(大正10年)創立の「栃木県立足利中学校」(旧制中学校)を前身とする。1948年(昭和23年)の学制改革で新制高等学校となる。2016年(平成28年)に創立95周年を迎える。
- 特色
- 普通科のみの男子校。足利市内にある栃木県立足利工業高等学校(足工/あしこう)と区別するために、足高(あしたか)と略称される。市街地から離れた山の麓にある。近年は、文系・理系の他に英語と理数科目に重点を置いた国際数理コースを設けて、国際的に活躍できる人材の育成をしている。また2006年度からは、英語の授業時間数を多くし、足高独自の教科「学際研究」を実施し、学際的研究の方法論を学ぶとともに、課題解決能力、プレゼンテーション能力、表現能力を身につける、文系SPコースを設けている。ここでは、将来、文系の分野で国際的に活躍できる人材の育成を行なっている。隣接する群馬県太田市にある群馬県立太田高等学校とは、毎年対抗戦を開催している。特に、2年に一度の本戦は大々的に行われる。文化祭、体育祭と並ぶ学校を挙げた行事となっている。男子校にありがちなバンカラな雰囲気はあまりなく、自由で大らかとした校風である。
- 地理的に、県外からの通学者も多い。
- 制服は男子校の伝統の一つでもある金ボタン5個の黒詰襟学生服(標準学生服)。学食は設置しておらず、昼食は弁当持参のほか購買も設置。
- 学区
- 安足学区 - 足利市・佐野市(県内他学区からは定員の25%まで入学が認められている。)
- 設置課程・学科
- 全日制課程 普通科
- 校訓
- 「文武両道・質実剛健」
- 校章
- 中央に「高」の文字を置いている。
- 校歌
- 4番まであり、校名は歌詞中に登場しない。
沿革編集
- 旧制・足利中学校
- 1921年(大正10年)4月6日 - 「栃木県立足利中学校」(旧制中学校)が開校。
- 入学資格を尋常小学校を修了した12歳以上の男子、修業年限を5年(現在の中1~高2に相当)、定員を100名(1学年2学級)とする。
- 1925年(大正14年)10月 - 校舎完成と生徒の全学年完成[1]に伴い、学校完成記念式を挙行。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 1学年あたりの学級数が3、定員が150名となる。
- 1943年(昭和18年)4月1日 - 中等学校令の施行により、この時の入学生から修業年限が4年(現在の中1~高1に相当)となる。
- 1945年(昭和20年)
- 1946年(昭和21年)4月1日 - 修業年限が5年となる(ただし4年修了で卒業することもできた)。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施、新制中学校の発足)が行われる。
- 旧制中学校としての生徒募集を停止。
- 新制中学校が併設(以下・併設中学校)され、旧制中学校1・2年修了者を新制中学校2・3年生として収容。
- 旧制中学校3・4年修了者はそのまま旧制中学校4・5年生として在籍(ただし4年修了時点で卒業することもできた)。
- 併設中学校は経過措置としてあくまで暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず、在校生が2・3年生のみの中学校であった。
- 新制・足利高等学校
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革(六・三・三制の実施、新制高等学校の発足)が行われる。
- 旧制中学校が廃止され、新制高等学校「栃木県足利高等学校」が発足。
- 旧制中学校卒業者(5年修了者)を新制高校3年生、旧制中学校4年修了者を新制高校2年生、併設中学校卒業者(3年修了者)を新制高校1年生として収容。
- 併設中学校は継承され(名称:栃木県足利高等学校併設中学校)、1946年(昭和21年)に旧制中学校へ最後に入学した3年生のみとなる。
- 旧制中学校が廃止され、新制高等学校「栃木県足利高等学校」が発足。
- 1949年(昭和24年)
- 1950年(昭和25年)4月 - 御厨町・梁田村組合立協和中学校内に御厨分校[5](農業課程)を設置。
- 1951年(昭和26年)4月1日 - 「栃木県立足利高等学校」(現校名)と改称。
- 1952年(昭和27年)4月1日 - 定時制課程に普通科を増設。
- 1965年(昭和40年)3月 - 全日制課程商業科の募集を停止(栃木県立足利商業高等学校[6]の校舎が完成したため)。
- 1967年(昭和42年)3月31日 - 全日制課程商業科を廃止。
- 1985年(昭和60年)9月11日 - 群馬県立太田高等学校との対抗戦を開始。
- 2001年(平成13年)4月1日 - 第2学年類型(国際数理)を導入。
- 2002年(平成14年)4月 - 群馬大学との高大連携を開始。
- 2006年(平成18年)
- 3月31日 - 定時制課程を廃止(栃木県立学悠館高等学校へ移管)。
- 4月1日 - 第2学年類型(文系SP)を導入。
- 2012年(平成24年)4月 - 文部科学省よりスーパーサイエンスハイスクール (SSH) の指定を受ける。
- 2022年(令和4年)4月 - 栃木県立足利女子高等学校と統合予定[7]。
部活動編集
- 運動部
- 文化部
交通アクセス編集
- 最寄りの鉄道駅
- 最寄りのバス停
- 足利市生活路線バス 「足利高校入口」バス停
- 最寄りの国道・県道
周辺編集
- 足利市立第二中学校
- 足利本城保育園
- 足利市民会館
- 足利総合運動公園
- 足利本城郵便局
- 本城厳島神社
- 善徳寺
著名な出身者編集
- あ行
- 相田みつを - 作家、旧制栃木県立足利中学校卒
- 石井千秋 - 柔道家、1972年ミュンヘンオリンピック柔道男子93 kg級ブラジル代表銅メダリスト、2010年現在、柔道九段、ブラジリアン柔術ペドロ・エメテリオ柔術アカデミー指導員、生家は足利藩天神真楊流柔術の流れを汲む柔道の足利造士館石井道場
- 和泉聡 - 第13代足利市長
- 稲村利幸 - 20世紀後半期の衆議院議員、自民党、国務大臣(環境庁長官)
- 売野雅勇 - 作詞家
- 襟川陽一 - 株式会社コーエー最高顧問
- 大川浩 - 財務省東京税関長
- 大月康弘 - 一橋大学大学院経済学研究科長。西洋史学者(東ローマ帝国)。
- 大豆生田実 - 第12代足利市長
- 岡ノ谷一夫 - 東京大学大学院総合文化研究科教授。進化生物学者。
- 興津要 - 早稲田大学名誉教授。国文学者。
- か行
- さ行
- た行
- は行
- ま行
脚注編集
- ^ 1年生から5年生がすべてそろう。
- ^ 教育ニ関スル戦時非常措置方策により、中等学校令が施行される前(1941年(昭和16年)・1942年(昭和17年))に入学した生徒にも修業年限4年が適用されたため。
- ^ 1934年(昭和9年)4月に「足利市実業学校」として開校。柳原尋常高等小学校(現・足利市立けやき小学校)を仮校舎とする。同年9月に本城一丁目(現・足利市立第二中学校校地)に移転。
- ^ 葉鹿の読みは「はじか」。設置者は栃木県ではなく足利郡西部組合立(町村の組合)。定時制。
- ^ 御厨の読みは「みくりや」。設置者は栃木県ではなく御厨町と染田村の組合。定時制。
- ^ 1963年(昭和38年)1月に設置、同年4月に開校。2007年(平成19年)に栃木県立足利西高等学校との統合により、栃木県立足利清風高等学校が新設される。2009年(平成21年)3月末に閉校した。
- ^ 吉岡潤 (2017年7月6日). “足高、足女の22年春統合案 県立高再編で県教委が計画”. 東京新聞 (中日新聞社) 2017年5月17日閲覧。
- ^ “最高裁判所裁判官国民審査公報 (PDF)”. 大分県選挙管理委員会 (2012年12月). 2017-10-21(アーカイブ)閲覧。[リンク切れ]アーカイブ