栗原 裕康(くりはら ひろやす、1948年昭和23年)12月14日[1] - )は、日本政治家

栗原 裕康
くりはら ひろやす
生年月日 (1948-12-14) 1948年12月14日(75歳)
出生地 日本の旗 静岡県三島市
出身校 慶應義塾大学経済学部
前職 三光汽船従業員
栗原祐幸衆議院議員秘書
所属政党自由民主党→)
無所属
称号 経済学士(慶應義塾大学)
親族 父・栗原祐幸(元防衛庁長官

当選回数 2回
在任期間 2008年11月10日 - 2016年11月9日

選挙区旧静岡2区→)
比例東海ブロック静岡6区
当選回数 2回
在任期間 1993年 - 2000年

選挙区 沼津市選挙区
当選回数 1回
在任期間 1991年 - 1993年
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静岡県沼津市長(2期)、衆議院議員(2期)、静岡県議会議員(1期)を務めた。

防衛庁長官労働大臣を務めた元衆議院議員の栗原祐幸は父。

概要 編集

静岡県三島市出身[2]静岡県立沼津東高等学校慶應義塾大学経済学部卒業。三光汽船勤務を経て、衆議院議員で父である栗原祐幸の秘書を務める。

1991年静岡県議会議員選挙に立候補し、初当選。1993年、静岡県議を任期途中で辞職。

父の引退に伴い、旧静岡2区の地盤を引き継いで第40回衆議院議員総選挙自由民主党公認で立候補し、当選した。

1996年第41回衆議院議員総選挙では、小選挙区比例代表並立制の導入に伴い静岡6区から自民党公認で立候補したが、旧民主党公認の渡辺周らに敗れ、重複立候補していた比例東海ブロックで復活当選となり、再選。

2000年第42回衆議院議員総選挙では、静岡7区からの立候補を模索したが、現職の木部佳昭に公認争いで敗れたため、無所属で立候補。保守票の分裂により民主党新人の細野豪志が当選し、自民党公認の木部、無所属の栗原はいずれも敗れた。

2003年第43回衆議院議員総選挙では、再び静岡6区に国替えして自民党公認で出馬するが、民主党前職の渡辺に敗れ、比例復活もならず落選した。

2008年、沼津市長選挙に無所属で立候補し、当選。2012年、沼津市長に再選。

2016年10月に行われた沼津市長選挙で3選目を目指したが、無所属で新人の大沼明穂に倍の票差を付けられて、落選した[3]。同年11月9日、任期満了により退任した。

脚注 編集

  1. ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、231頁。
  2. ^ 栗原裕康・静岡県沼津市長:時事ドットコム
  3. ^ 沼津市長に大沼氏初当選 - 静岡新聞アットエス 2016年10月30日(同日閲覧)
公職
先代
斎藤衛
 静岡県沼津市長
2008年 - 2016年
次代
大沼明穂