栗 腹(りつ ふく、約紀元前311年 - 紀元前251年)は、中国戦国時代の末期に燕王喜の元で宰相を務めた人物。

生涯編集

紀元前251年、燕王喜の指示でとの友好を深める為に孝成王の誕生日を祝う使者として贈り物を携え趙に派遣されるも、帰国後は長平の戦いやその後の邯鄲包囲など、の度重なる攻勢で疲弊した趙の国情を燕王喜に報告。

それを受け燕王喜は方針を転換して栗腹を総大将とした軍勢[1]を派遣するも、廉頗率いる8万の趙軍にの辺りで敗北して栗腹は趙軍に殺害された。

翌年、廉頗は燕に深く侵攻して首都のを取り囲み、燕は趙に五つの都市を譲渡して講和する事となった。

脚注編集

  1. ^ 総勢60万の兵と2千輌の戦車を派遣したとされる

参考文献編集

  • 司馬遷史記』巻34「燕召公世家」
  • 史記 巻43「趙世家」
  • 史記 巻81「廉頗藺相如列伝」
  • 戦国策 巻31「燕策三」