栗陸氏(りつりくし、拼音: lìliù shì)は、古国時代に中華を治めたとされる伝説上の氏族の1つである。灌漑の祖であるとされ、宋代の偽書とされる『古三墳』では水竜の位を与えられたとされる[一次 1]

概要 編集

栗邑を根拠としたとされる。灌漑を発明した事から、代にも栗王(=栗陸氏)の祠が祀られていた事が分かっている[一次 2]。また栗陸氏の栗という字は果実が由来とされ、薬などを用いていたとされる。伏安は30年、起望は25年、河圭は69年間にわたって治めたとされる[1]。全員が女性であったとされる。また滅亡時に帝王が残虐だったからとする伝説があるが[一次 3]、判然としない。

その後 編集

その後は穀物栽培を行っていた[要出典]が、やがて西や南に遷ったとされる。西に遷った者は栗戈国を建てた。清水が流れるブドウ酒の産地であったとされる[一次 4]。また、のルーツである嬴姓の祖となったともされる[一次 5][一次 6]。一方で南に遷った者はリス族の祖先となり[注釈 1]、栗邑に残った者は範国を建てた。これは殷代には栗国となったが、西周時代には宋国の領有となったとされる。

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注釈 編集

  1. ^ リス族は代には南蛮の1種という認識であった。

出典 編集

一次資料での記述 編集

  1. ^ 『古三墳』天皇伏羲氏皇策辭
  2. ^ 『夏邑県志』
  3. ^ 『太平御覧』人事部(141)「栗陸氏殺東里子,宿沙君戮箕文,桀誅龍逢,紂刳比干。此四者,常彎弓露刃,以見朝臣;錘鉗鋸鑿,所可為害之具,備置左右。即位未幾,公卿已下至于僕隷,凡殺五百余人。」
  4. ^ 『後漢書』西域傳
  5. ^ 『路史』
  6. ^ 『史記』秦本紀

関連項目 編集

栗陸氏

不明 - 不明

先代
巻須氏晁安
中国の帝王 次代
圭嬜