根津 勢吉(ねづ せいきち、天保10年(1839年) - 明治10年(1877年))は、幕末武士幕臣、明治初期の日本海軍軍人。通称は欽次郎(きんじろう)。

咸臨丸の乗船者達 1860年、サンフランシスコにて。右側から、福澤諭吉岡田井蔵肥田浜五郎小永井五八郎浜口興右衛門、根津欽次郎(勢吉)。

経歴 編集

安政4年(1857年)、長崎海軍伝習所三期生に選ばれた。その後、軍艦操練所教授方出役手伝となり、万延元年(1860年咸臨丸が渡米した際、運用方手伝(見習士官)として参加。慶応2年(1866年)、大番格軍艦役に進んだ。

戊辰戦争では榎本武揚に従い、甲賀源吾戦死後、回天丸艦長となった。赦免後、海軍大尉に任官している。

弟は永峰弥吉であり、いとこに川路聖謨がいる[1]

脚注 編集

  1. ^ 原田國男『裁判の非情と人情』〈岩波新書 新赤版1646〉岩波書店、2017年、181頁。

参考文献 編集