メインメニューを開く

桂 文蝶(かつら ぶんちょう)は、落語家

  • 天保時代からすでに東西の番付等に確認できる。前座名であった為か何人いたか不明。(『落語系圖』には初代桂文治、3代目桂文治の門に確認できる。)
  • 江戸では江戸4代目桂文治の門人として武蔵の国程ヶ谷宿薬種店河内屋の倅で本名を河内屋栄治。文丸から初代桂文太郎嘉永から安政初期に桂文蝶となった。明治初年には没。音曲に秀でた。

桂文蝶かつら ぶんちょう
本名 池田 竹蔵
生年月日 1888年
没年月日 1977年
出身地 日本の旗 日本
師匠 桂文治郎
名跡 燕若
桂文蝶
活動期間 1918年 - 1976年
活動内容 上方落語
ヘタリ
所属 吉本

桂 文蝶(かつら ぶんちょう、1888年 - 1977年)は、上方落語家。本名、池田 竹蔵。長命で大阪(上方落語)での明治生まれの最後の落語家。

元は三遊亭志ん蔵等と共に素人落語をやっていた。

1918年ともいわれる頃から師匠不明だが燕若を名乗っていたという、後に桂文治郎の門下になり文蝶に改名。

1921年頃から吉本の傘下に名が見える。その時からすでにヘタリ(囃子方)を勤めていたようで戦後も戎橋松竹千日劇場道頓堀角座などのヘタリをやっていた、戦後は引退同然であったが、のちの「上方落語四天王」(6代目笑福亭松鶴3代目桂米朝5代目桂文枝3代目桂春團治)などに貴重な古いネタを伝承した。2代目桂枝雀も「八五郎坊主」をつけてもらっていると著書で語っている[1]

好物は柿であったそうである。また、趣味は釣りであったらしい(米朝は「馬の尾」で語っている)。

笑福亭松葉が入門後、高座名が「松葉」に決まったと文蝶に告げると「よかったでんなあ。うちのお師匠さん(文治郎)の名前だっせ」と喜んだという[2]

1976年に引退披露を行い、翌年に亡くなった。

『古今東西噺家紳士録』に「歌根問」が枝雀が稽古をつけてもらった時に録音したものが収録されている。他にも数点稽古のために録音したネタが残されている。

動物園」の登場人物の園長の池田はこの文蝶の本名に由来する。

脚注編集

  1. ^ 2代目桂枝雀『らくごDE枝雀』筑摩書房<ちくま文庫>、1993年[要ページ番号]
  2. ^ 戸田学『上方落語の戦後史』岩波書店、2014年、p.349

参考文献編集

  • 諸芸懇話会・大阪芸能懇話会共編『古今東西落語家事典』平凡社、1989年、ISBN 458212612X
  • 小島貞二『古今東西噺家紳士録 -寄席五〇年- 』丸善、2000年(CD-ROM

関連項目編集