桂 武男(かつら たけお、1906年 - 没年不詳)は、日本の俳優である[1][2][3][4][5][6][7][8][9][10]。本名川浪 正夫(かわなみ まさお)[1][2][3]サイレント映画の時代の青年剣戟スターとして知られる[1][2][3]

かつら たけお
桂 武男
本名 川浪 正夫 (かわなみ まさお)
生年月日 1906年
没年月日 不詳年
出生地 日本の旗 日本 京都府京都市
職業 俳優、元子役
ジャンル 舞台劇映画現代劇時代劇剣戟映画サイレント映画トーキー
活動期間 1910年代 - 1935年
配偶者 櫻木梅子
主な作品
悲恋心中ヶ丘
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人物・来歴 編集

1906年明治39年)、京都府京都市に生まれる[1][2][3][4]。父もまた俳優であったが、芸名などは伝えられていない[1]

父のもとで幼少時から子役として舞台に立っていたが、満19歳になる1925年(大正14年)11月、日活大将軍撮影所に入社、同年12月31日に公開された日活の正月映画『赤城颪 国定忠次』(監督池田富保、主演尾上松之助)で、板割浅太郎役に抜擢されて出演、映画界にデビューした[1][5][6][9]。ほぼ同時期に入社し、同年11月1日に公開された『荒木又右衛門』(監督池田富保、主演尾上松之助)に出演してデビューした、同い年の青年俳優・市川市丸(1906年 - 没年不詳)[11][12]とともに、同社は、桂を大いに売り出した[1][2][3]。翌1926年(大正15年)4月1日に公開された『実録忠臣蔵 天の巻 地の巻 人の巻』(監督池田富保)では、桂は浅野内匠頭、市丸は大石主税良金の役をそれぞれ抜擢されている[1][13]。その後も多く主演し、櫻木梅子と共演した[1][5][6][9]。しかしながら、内田岐三雄などは「市川市丸には未だ本當の藝が出來てゐないらしい。桂武男もそうである」と述べている[14]

1928年(昭和3年)6月、同社での共演者で当時満19歳の櫻木梅子(1908年 - 没年不詳)と結婚、夫婦ともども同社を退社、そろって谷崎十郎プロダクションに移籍、そのまま、同プロダクションの配給提携先である、牧野省三マキノ・プロダクションに移籍する[1][5][6]。1929年(昭和4年)7月25日、牧野省三が亡くなり、同年9月にマキノ正博を核とした新体制が発表になると、桂は、嵐冠三郎荒木忍南光明根岸東一郎谷崎十郎阪東三右衛門市川米十郎東郷久義市川幡谷實川芦雁らとともに「俳優部男優」に、妻の梅子も「俳優部女優」にそれぞれ名を連ねた[15]。その後、新体制下のマキノ・プロダクションは財政が悪化したが、妻とともに解散まで在籍し、1931年(昭和6年)8月、同社の解散とともに退社した[1][5][6]。同社での最後の作品は、同年4月17日に公開された主演作『三日月次郎吉』(監督吉野二郎)であった[5][6]

名古屋の第一映画社が同年12月、トキワ映画社と改称したが、桂は同社に参加し、『素浪人弥太郎』等で明石緑郎の助演を務めた[1][5][6]。満27歳を迎える1933年(昭和8年)6月1日に日活が配給して公開した、京都の太秦発声映画(あるいはゼーオースタヂオ[9])製作によるトーキー楠公父子』(監督池田富保)に出演した記録が残っているが、同作以降の出演記録は見当たらない[5][6][9]

森本良夫によれば、第二次世界大戦においては、徴兵されて大陸の戦線におり、階級は上等兵であったという[16]。戦後まもなくの時期は、捕虜としてシベリア連邦管区抑留されたようである[16]。以降の消息は不明である[1]没年不詳

フィルモグラフィ 編集

クレジットはすべて「出演」である[5][6]。公開日の右側には役名[5][6]、および東京国立近代美術館フィルムセンター(NFC)、マツダ映画社所蔵等の上映用プリントの現存状況についても記す[10][17]。同センターなどに所蔵されていないものは、とくに1940年代以前の作品についてはほぼ現存しないフィルムである。資料によってタイトルの異なるものは併記した。

日活大将軍撮影所 編集

特筆以外すべて製作は「日活大将軍撮影所」、配給は「日活」、すべてサイレント映画である[5][6][9]

日活太秦撮影所 編集

すべて製作は「日活太秦撮影所」、配給は「日活」、すべてサイレント映画である[5][6][9]

マキノプロダクション御室撮影所 編集

 
妻の櫻木梅子、1927年(昭和2年)、満19歳ころの写真。

特筆以外すべて製作は「マキノプロダクション御室撮影所」、配給は「マキノ・プロダクション」、すべてサイレント映画である[5][6]

中京映画ほか 編集

特筆以外すべてサイレント映画である[5][6]

脚注 編集

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o キネマ旬報社[1979], p.155.
  2. ^ a b c d e 映画世界社[1928], p.41.
  3. ^ a b c d e 映画世界社[1929], p.49.
  4. ^ a b 桂武男jlogos.com, エア、2013年5月31日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z 桂武男日本映画データベース、2013年5月31日閲覧。
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae 桂武男桂武夫、日本映画情報システム、文化庁、2013年5月31日閲覧。
  7. ^ a b 桂武男KINENOTE, 2013年5月31日閲覧。
  8. ^ a b c 桂武男allcinema, 2013年5月31日閲覧。
  9. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 桂武男日活データベース、2013年5月31日閲覧。
  10. ^ a b c d e f g 桂武男東京国立近代美術館フィルムセンター、2013年5月31日閲覧。
  11. ^ 市川市丸 - 日本映画データベース、2013年5月31日閲覧。
  12. ^ 市川市丸、日活データベース、2013年5月31日閲覧。
  13. ^ 実録忠臣蔵 天の巻 地の巻 人の巻、日本映画データベース、2013年5月31日閲覧。
  14. ^ 内田[1928], p.285.
  15. ^ 1929年 マキノ・プロダクション御室撮影所所員録立命館大学、2013年5月31日閲覧。
  16. ^ a b 森本[2001], p.184.
  17. ^ a b c d e f g 主な所蔵リスト 劇映画 邦画篇マツダ映画社、2013年5月30日閲覧。
  18. ^ 芝居とキネマ 3(12)国立国会図書館、2013年5月31日閲覧。
  19. ^ a b c 地雷火組 弥次喜多 伏見鳥羽の巻、東京国立近代美術館フィルムセンター、2013年5月31日閲覧。

参考文献 編集

関連項目 編集

外部リンク 編集