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桂 米紫(かつら べいし)は上方落語名跡

目次

初代編集

初代 桂米紫1860年 - 1904年5月25日)は、後の2代目桂米喬。本名井上新二郎(辮次郎、辮二郎とも)。享年45。

2代目編集

2代目 桂米紫1877年 - 1943年3月15日)は、後の3代目桂塩鯛。本名は岡本蜜太郎。享年66。

3代目編集

3代目 桂 米紫かつら べいし
本名 斎田 昭造
生年月日 1927年6月26日
没年月日 (1995-06-15) 1995年6月15日(67歳没)
出身地   日本京都府
師匠 松鶴家団之助
3代目桂米朝
名跡 1. 藤野団楽(1947年 - 1953年)
2. 斎田憲志(1953年 - 1958年)
3. 桂けんじ(1958年 - 1959年)
4. 3代目桂米紫(1959年 - 1995年)
出囃子 勧進帳
活動期間 漫才師(1947年 - 1953年)
腹話術師(1953年 - 1958年)
落語家(1958年 - 1995年)

3代目 桂米紫1927年6月26日 - 1995年6月15日)は、3代目桂米朝の一番弟子。本名は斎田昭造。享年67。

出身は京都油小路五条。逓信講習所から3年間の陸軍衛生兵を経て、戦後1947年漫才松鶴家団之助(相方は千歳家歳男、団之助は団之助芸能社を立ち上げていた)に入門し、東文章東文章・藤野団楽(漫才の台本には文章段落が大事の洒落[1]を名乗る。東文章が病弱でコンビ解消。1953年に腹話術に転進し、斎田憲志の名で活動。1958年3代目桂米朝に入門し、桂けんじ1959年に3代目米紫に改名し千日劇場で落語家として初舞台。晩年は上方落語協会の事務局担当専務理事長となり裏方に回った。大阪知事表彰受賞。よく「豆屋」などをやっていた。出囃子は『勧進帳』。

野太い独特の声が特徴、腹話術をやっていた頃、可愛い腹話術の人形にこの声でのギャップが特徴的だった。桂雀々可愛いベイビーの替え歌で『可愛い米紫、ハイ!ハイ!』(ハイハイの部分は物まねが入る)と言ってネタにしていた。

4代目編集

桂都丸門下の桂都んぼが2010年8月に襲名。3代目米紫から見て大甥弟子にあたる(4代目米紫の大師匠は、3代目米紫の弟弟子2代目桂ざこば)。師匠都丸は2代目米紫の後名塩鯛を「4代目」として襲名。

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  1. ^ この頃都家文雄の元で修行し映画の内容にぼやく「ぼやき漫才」やった。

出典編集

  • 『上方落語家名鑑』(やまだりよこ著、出版文化社、2006年)
  • 『古今東西噺家紳士録』

関連項目編集