桃山駅
桃山駅(ももやまえき)は、京都府京都市伏見区桃山町鍋島にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)奈良線の駅である。駅番号はJR-D05。伏見桃山陵、伏見城のある桃山の南西部に位置し、大手筋通に接する。
桃山駅 | |
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![]() 駅舎(2019年4月) | |
ももやま Momoyama | |
◄JR-D04 JR藤森 (2.2 km) (2.4 km) 六地蔵 JR-D06► | |
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所在地 | 京都市伏見区桃山町鍋島34 |
駅番号 | JR-D05 |
所属事業者 | 西日本旅客鉄道(JR西日本) |
所属路線 | D 奈良線 |
キロ程 | 27.5 km(木津起点) |
電報略号 | モモ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面2線 |
乗車人員 -統計年度- |
2,082人/日(降車客含まず) -2018年- |
開業年月日 | 1895年(明治28年)11月3日 |
備考 |
業務委託駅 POS端末設置 ![]() |
桃山駅 | |
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ももやま Momoyama | |
(1.8 km) 伏見► | |
所属事業者 | 日本国有鉄道 |
所属路線 | 奈良線(貨物支線) |
キロ程 | 0.0 km(桃山起点) |
廃止年月日 | 1928年(昭和3年)9月3日 |
歴史編集
奈良鉄道の手で開業した当初、当駅から京都駅までは伏見駅経由のルートであったが、1921年の東海道本線の馬場駅(現・膳所駅) - 京都駅間のルート変更に合わせ、同線旧ルートの稲荷駅 - 京都駅間を編入した現在のルートに切り替えられた。なお、旧線の当駅 - 伏見駅間はしばらく貨物線として存続していた。
もともと伏見 - 木幡間に駅を設ける予定はなかったが、当時、近くに西本願寺の三夜荘という別荘があり、ここからの風景を愛した大谷光尊法主の強い要望と主張により、「桃山」という名称の駅を作ることになった。駅の設置に関して奈良鉄道から寄付が求められたため、伏見町、堀内村、大谷光尊法主がそれぞれ500円ずつ寄付した。「寄付でできた駅であるので、駅名は地元で決めて欲しい」ということになり、地元は地元の村名をとって「堀内」を希望したが、大谷光尊法主が強く「桃山」を主張したので桃山駅となった[1][2]。
1912年(明治45年)7月30日に明治天皇が崩御。伏見桃山が陵墓地に選定され、桃山駅は国鉄奈良線のなかの一駅ではなくなり、大葬列車を迎えるため、急いで拡張と整備の工事がなされた。現在、踏切を挟んだ駅の北側のマンション群は、柩が下車した仮停車場と駅前広場の跡地である[要出典]。マンションの工事が開始される前は、この時のプラットホームの一部が残っていた。
かつて、駅から御陵参拝口まで敷地は広がり、現在のホームから2本の跨線橋があり、その向こうの高台に多くの改札口が並んでいた。この改札は「御陵口」と呼ばれ、1928年(昭和3年)から1951年(昭和26年)まで使用された。現在は、敷地の大部分が住宅地になるか森に還っている。現在の改札口は貨物用として使われていた。[要出典]
御陵口改札の前は玉砂利を敷き詰めた広場で、その向こう側に明治天皇や乃木将軍に関するものを扱う土産物屋が並び、日の丸も林立していた。昭和になり、日本の軍国化の動きと連動し「明治天皇桃山御陵参拝」が日本中で行われるようになり、国鉄桃山駅は整備拡大を続け、貴賓室が設けられ、桃山駅長は「指定職」という京都駅なみの地位に格上げされた。1932年(昭和7年)の1月の桃山御陵参拝人数は約15万人、この年10万を超えた月は6ヶ月もあり、桃山駅の1日乗降客が8万人といわれた日もあった。
第二次世界大戦後は、駅は活気を失い参道の商店街も消えて御陵の森と呼ばれる現在の姿になった。御陵の森の中には当時の建物跡を見つけることができる[3]。
年表編集
- 1895年(明治28年)11月3日 - 奈良鉄道の伏見駅 - 当駅間延伸に伴い、その終着駅として開業。
- 1896年(明治29年)1月25日 - 当駅から玉水駅まで延伸。途中駅となる。
- 1905年(明治38年)2月7日 - 合併により関西鉄道の駅となる[4]。
- 1907年(明治40年)10月1日 - 関西鉄道が国有化。国有鉄道の駅となる。
- 1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称制定。奈良線の所属となる。
- 1912年(大正元年)9月14日 - 青山(仮)停車場から当駅まで明治天皇大喪列車運転。大喪列車(7両編成)到着用のやや弧形のホーム新設などの拡張工事が行われた[5][6]。
- 1921年(大正10年)3月20日 - 稲荷駅 - 桃山駅間の新線が開業し奈良線ルート変更。旧線は当駅から伏見駅までのみ貨物支線として存続。
- 1928年(昭和3年)
- 1935年(昭和10年)11月 - 駅舎改築[7]。
- 1984年(昭和59年)2月 - 貨物の取り扱いを廃止。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる。
- 2003年(平成15年)11月1日 - ICカード「ICOCA」の利用が可能となる[9]。
- 2017年(平成29年)4月23日 - バリアフリー化工事開始に伴い[10]、桃山駅構内の2番線が使用を停止、2面3線から2面2線になる。
- 2018年(平成30年)3月17日 - 駅ナンバリングが導入され、使用を開始。
- 2019年(平成31年)4月14日 - 2番線のリニューアル工事が完了、使用を再開。3番線が使用停止となる。
- 2020年(令和2年)3月20日 - 屋根付きの新跨線橋とエレベーターが使用開始。
駅構造編集
単式ホーム1面1線と島式ホーム1面1線、合計2面2線のホームを持つ地上駅である。駅構内が大きくカーブしているため、快速列車などが通過する際は、減速(35km/h制限)して通過する。かつては2面3線の構造であったが、バリアフリー化に伴い3番線が撤去された。
宇治駅が管理し、JR西日本交通サービスが駅業務を受託している業務委託駅である。ICOCA等のICカード乗車券が利用することができる。
駅員の配置時間は7時30分 - 19時30分となっており、POS端末による窓口発券を行っている。JRの特定都区市内制度における「京都市内」の駅。
2017年よりバリアフリー化工事が行われており、エレベーター、屋根付き跨線橋、多機能トイレが2020年度内に完成予定。[10]
のりば編集
のりば | 路線 | 方向 | 行先 |
---|---|---|---|
1 | D 奈良線 | 上り | 京都方面 |
2 | D 奈良線 | 下り | 宇治・奈良方面 |
駅本屋側単式ホームが1番のりば、跨線橋を渡って反対側の島式ホームが2番のりばになっている。上り本線は1番のりば、下り本線は2番のりばである。かつては、1番のりばを使用しての折返しおよび後続列車待避が可能な信号配置になっていた。近年では、2012年11月の23〜25日に103系の4両編成による当駅始発の京都行きの臨時列車が設定された。1番のりばの中ほどに「自動信号化1万km達成記念標識」がある。
貨物営業を行っていた当時は大手筋の踏切を挟んだ北側に貨物用のホームがあり、それに沿う形で貨物駅舎と積み下ろしのためのスペースがあった。伏見産の日本酒の輸送も行われていた。貨物駅舎と積み下ろしスペースのあった場所には現在マンションが建っている。
利用状況編集
京都府統計書によると、1日の平均乗車人員は以下の通りである。
年度 | 一日平均 乗車人員 |
---|---|
1999年 | 1,375 |
2000年 | 1,460 |
2001年 | 1,586 |
2002年 | 1,622 |
2003年 | 1,677 |
2004年 | 1,734 |
2005年 | 1,759 |
2006年 | 1,732 |
2007年 | 1,730 |
2008年 | 1,699 |
2009年 | 1,781 |
2010年 | 1,784 |
2011年 | 1,891 |
2012年 | 1,985 |
2013年 | 2,063 |
2014年 | 2,038 |
2015年 | 2,087 |
2016年 | 2,079 |
2017年 | 2,123 |
2018年 | 2,082 |
年度別1日平均乗車人員(1930年代—1940年代)編集
各年度の1日平均乗車人員は下表の通り[11]。
年度 | 1日平均 乗車人員 |
---|---|
1931年(昭和 | 6年)248 |
1932年(昭和 | 7年)236 |
1933年(昭和 | 8年)244 |
1934年(昭和 | 9年)434 |
1935年(昭和10年) | 458 |
1936年(昭和11年) | 493 |
1937年(昭和12年) | 511 |
1938年(昭和13年) | 518 |
1939年(昭和14年) | 563 |
1940年(昭和15年) | 520 |
1941年(昭和16年) | 510 |
駅周辺編集
少し離れてはいるが、西に近鉄京都線の桃山御陵前駅、京阪本線の伏見桃山駅、南には京阪宇治線の観月橋駅がある。いずれも徒歩10分程度で乗り換えが可能である。
- 伏見桃山陵
- 乃木神社 (京都市)
- 桃山善光寺(龍雲寺)
- 宝円寺
- 御香宮神社
- 京都府立桃山高等学校
- 京都市立桃山小学校
- 松本酒造
- 月桂冠大倉記念館
- 十石船
- キザクラカッパカントリー
- 京都橘中学校・高等学校
- 伏見桃山郵便局
- 伏見簡易裁判所
路線バス編集
京都市交通局 御香宮前停留所編集
- 南8系統 竹田駅東口・横大路車庫行き (日中45分間隔)
近鉄バス 桃山停留所編集
- 9番 竹田駅東口行き(日中1〜2時間間隔)
- 10番 向島駅前行き(日中1〜2時間間隔)
何れの路線も、停留所は駅から300m西方の国道24号線交差点付近に設置されている。 京都市バス81系統や京都京阪バス25号経路などが発着する西大手筋停留所も利用できるが、当駅とは1.2km程度離れているうえ、東高西低の地形となっているため乗り継ぎ利用にあたって注意を要する。 かつては伏見桃山城キャッスルランドを発着する路線バス(近鉄桃山駅前〜伏見桃山城)があったため駅前をバスが発着していた。
京阪バス 京都橘高校停留所編集
- 直通9系統 丹波橋駅東・京都橘大学行き(丹波橋駅東行きは1日7本・京都橘大学行きは1日5本 いずれも平日のみの運行で学休期は運休)
乃木神社前付近に停留所がある。
隣の駅編集
かつて存在した路線編集
脚注編集
- ^ 『老人が子等に語る伏見風土記 / 伏見区老人クラブ連合会:著 山本真嗣:監修』より
- ^ なお、「堀内」の駅名は後に現在の近鉄丹波橋駅が、1928年(昭和3年)奈良電気鉄道京都 - 桃山御陵前間開通時から1945年(昭和20年)まで使用した。
- ^ 『語りつぐ京都の戦争シリーズ2・京都の「戦争遺跡」をめぐる/平和のための京都の戦争展実行委員会:編/池田一郎.鈴木哲也:著/つむぎ出版』より
- ^ 当時、関西鉄道には大阪府内にすでに「桃山駅」があったが、3週間後の3月1日に桃谷駅に改称した。
- ^ 『明治天皇御大喪儀明細録』(帝国図書普及会、1913年)12-16頁(国立国会図書館の近代デジタルライブラリーで閲覧可)に明治天皇大喪列車到着時の桃山駅の様子が記録されている。
- ^ 大林組が手がけた。株式会社大林組 おおばや史
- ^ a b c 「天王寺鉄道管理局三十年写真史」年表、P274「駅の変せん」
- ^ 放出駅、山田駅(現・伊勢市駅)も昭和天皇即位大礼お召し列車運転のための拡張工事が同日に竣工した。
- ^ 「ICOCA」いよいよデビュー! 〜 平成15年11月1日(土)よりサービス開始いたします 〜(インターネットアーカイブ) - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2003年8月30日
- ^ a b “桃山地区バリアフリー移動等円滑化基本構想”. 京都市 (2019年3月29日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ 京都市統計書より、記載された数値を当該年度の日数で除して算出。
関連項目編集
外部リンク編集
- 桃山駅|駅情報:JRおでかけネット - 西日本旅客鉄道