桐竹勘十郎
浄瑠璃の人形遣いの名跡
初代
編集(生没年不詳)
江戸時代、桐竹姓の創始者と言われる。延宝時代に虎屋座の人形遣いで立ち役で人気になった。天和時代から元禄時代ごろまで活動。
2代目
編集佐賀県唐津市に生まれる。本名・宮永豊。1932年、高校卒業後2代目桐竹紋十郎に入門し桐竹紋昇を名乗る。1933年に初舞台。立ち役の人形遣いとして荒物に優れた。1951年、2代目勘十郎を襲名。1978年、国立劇場優秀賞を受賞。1982年、重要無形文化財保持者に認定される(人間国宝)。娘は女優の三林京子(落語家として3代目桂すずめ)。
墓所は天王寺法仙寺。戒名は「文楽院豊譽桐竹勘十居士」。
3代目
編集2代目の子として大阪市に生まれる。本名・宮永豊実[1]。姉は女優の三林京子。1967年文楽協会人形部研究生となり1968年に3代目吉田簑助に師事し、吉田簑太郎を名乗り、4月に大阪毎日ホールで初舞台。師匠から女形の芸、父から男役の芸を学んだ。2003年、父の名を継いで3代目勘十郎を襲名。2008年、芸術選奨文部科学大臣賞受賞、紫綬褒章受章[1]。2010年3月に日本芸術院賞受賞。2012年に大阪文化賞受賞。2013年4月より京都文教大学客員教授。2016年、毎日芸術賞受賞。 2021年、重要無形文化財保持者・人形浄瑠璃文楽人形の各個認定(いわゆる人間国宝)に認定される[2][3][4]。
脚注
編集- ^ a b “紫綬褒章の受章者”. 47NEWS (2008年11月2日). 2015年7月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月8日閲覧。
- ^ “桐竹勘十郎が重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定”. 公演関連トピックス (独立行政法人日本芸術文化振興会). (2021年7月17日) 2022年4月1日閲覧。 "人形浄瑠璃文楽座の人形遣い桐竹勘十郎が、文化審議会から重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定するよう文部科学大臣に答申されたことが発表"
- ^ “「常に新しいことを」文楽・桐竹勘十郎さん人間国宝に”. 日本経済新聞 (株式会社日本経済新聞社). (2021年7月16日) 2022年4月1日閲覧。 "人間国宝に選ばれ、記者会見する文楽人形遣いの桐竹勘十郎さん"
- ^ 三林京子 (2022年1月15日). “[https://www.instagram.com/p/CYvW7NPlpai/ 昨日、弟が東京で 重要無形文化財保持者の認定を正式に受けました 報告のお参り #お参り #桐竹勘十郎]”. Instagram. 2022年4月1日閲覧。