桑原 鶴(くわばら つる、1902年12月25日 - 1969年7月28日)は、日本外交官・文筆家。国体明徴運動の指導者のひとりとして知られる。

経歴 編集

群馬県利根郡川場村出身。沼田中学校(現在の群馬県立沼田高等学校)、第一高等学校東京帝国大学法学部卒業。東京帝大卒業後、外務省入り。1939年エジプト王国代理公使に就任。1945年、外務省を退職し、国体明徴運動を展開した。

外務省時代、日独同盟への反対を建議したことがあり、戦後になると先見の明があったとして評価された。

主な著作 編集

  • 『勝味なき戦争』
  • 『新しき警察官のあり方』
  • 『警察官の為の論語』

参考文献 編集

  • 成瀬恭『先見の明』 双葉社、1997年。