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日本 > 北海道 > 札幌市 > 中央区 > 桑園

桑園(そうえん)は、北海道札幌市中央区の一部を指す名称。鉄道駅や学校の名称にも使われているが、公称町名ではないため明確な境界は存在しない。

桑園
宮部記念緑地
宮部記念緑地
桑園の位置(札幌市内)
桑園
桑園
桑園の位置
北緯43度04分0.7秒 東経141度20分8.3秒 / 北緯43.066861度 東経141.335639度 / 43.066861; 141.335639
日本の旗 日本
都道府県 Flag of Hokkaido Prefecture.svg 北海道
市町村 Flag of Sapporo, Hokkaido.svg 札幌市
行政区 中央区
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
市外局番 011[1]
ナンバープレート 札幌

目次

歴史編集

1875年明治8年)、開拓使は札幌の南1条から北、西8丁目から西の地域を切り開くため、酒田県(山形県)の元・武士157人を招聘した。彼らは6月から9月にかけて21万坪の土地を開き、クワの木を植えてから帰郷した[2]。その翌年には、桑畑は48万坪まで拡大した[2]。このため一帯は「桑園」と呼ばれるようになり、大正時代まで入居者は誰しもカイコを飼うことを約束させられた[2]

元は桑畑が広がっていた一帯も明治の末から民家が増え始め、大正になって区画整理がされたことで急速に宅地化が進行した[2]1927年昭和2年)、札幌市電北五条線が札幌駅から開通[3]。さらに1929年(昭和4年)には、桑園駅から北五条線に接続して市の中心部までいける桑園線が開通した[4]。しかしこの桑園線は単線で運行本数を増やせなかったことと、当時の桑園駅はまだ貨物駅としての運用が中心で旅客が少なかったことから、1960年(昭和35年)に廃止された[4]。残る北五条線も1971年(昭和46年)に廃止されている[3]

こうして一帯から市電は消えたが、1988年(昭和63年)の函館本線高架化を契機に、桑園駅前は大規模な開発が行われて再活性化[4]。かつての市電停留所近辺にもマンションが林立するようになっている[5]

施設編集

大学村編集

北6条西12丁目のあたりは、かつて北海道大学の教授たちが居を構えていたことから、通称「大学村」や「桑園博士町」と呼ばれている[6]

1909年(明治42年)12月に時任一彦農学部教授が移り住んだのを初めとし、宮部金吾など多いときには十数名の教授たちが集っていた[7]。彼らは1912年(大正元年)12月から毎月「村会」という集まりを設け、途中で隔月に変更しつつも1995年(平成7年)秋に至るまで共同体を維持していた[6]

教授たちが建てた文化住宅の街並みはさっぽろ・ふるさと文化百選のNo.76に選定されているが、選定時には6棟あった住宅も1998年(平成10年)の時点で2棟にまで減少[6]。周辺にはマンションが建ち並び、往時の雰囲気をうかがい知ることはもはやできない[8]

宮部金吾の邸宅跡は、1991年(平成3年)に整備されて「宮部記念緑地」となっている[9]

桑園延命地蔵尊編集

 
桑園延命地蔵尊

石山通が函館本線と交差する地点は、高架化以前には絶えず人身事故が起きており、人々から「魔の踏切」と呼ばれていた。そこで1927年(昭和2年)、市民の寄付によって高さ5メートルを越える大きさの「桑園延命地蔵尊」が建立された[9]

線路の高架化によって事故の心配が無くなってからは、地蔵尊の周囲は「桑園ふれあい公園」となっている[9]

脚注編集

  1. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2017年3月30日閲覧。
  2. ^ a b c d 『札幌地名考』p.36
  3. ^ a b 『札幌市電が走る街 今昔』p.127
  4. ^ a b c 『札幌市電が走る街 今昔』p.138
  5. ^ 『札幌市電が走る街 今昔』p.139
  6. ^ a b c 『札幌の建築探訪』p.75
  7. ^ 片岡 2012, p. 46.
  8. ^ 片岡 2012, p. 47.
  9. ^ a b c 『札幌市電が走る街 今昔』p.136

参考文献編集

  • 『札幌地名考』さっぽろ文庫1
  • 『札幌の建築探訪』北海道新聞社、1998年10月30日。ISBN 978-4-89363-993-6
  • 片岡秀郎『札幌歴史散歩』ヒルハーフ総合研究所、2012年7月14日。ISBN 978-4-9906400-0-2
  • 札幌LRTの会・編『札幌市電が走る街 今昔 未来を目指す北の都 定点対比』JTBパブリッシング(キャンブックス)、2012年9月1日。ISBN 978-4-533-08737-0

外部リンク編集