桜井小太郎
桜井 小太郎(さくらい こたろう、明治3年9月11日(1870年10月5日) - 昭和28年(1953年)11月11日)は日本の建築家。日本人初の英国の王立建築家協会建築士である。
桜井小太郎 | |
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生誕 |
1870年10月5日 (旧暦明治3年9月11日) ![]() |
死没 | 1953年11月11日(83歳没) |
国籍 |
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出身校 | ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン |
職業 | 建築家 |
受賞 | 正五位勲四等(1913年) |
所属 |
大日本帝国海軍 三菱合資会社地所部 桜井小太郎建築事務所 |
建築物 |
旧呉鎮守府司令長官官舎 旧三菱銀行本店 丸の内ビルディング旧館 静嘉堂文庫 |
略歴 編集
明治3年9月11日(1870年10月5日)、金沢藩出身の維新政府官僚である桜井能監の長男として東京市神田区神田今川町(現在の東京都千代田区)に生まれた。
東京府尋常中学を卒業、第一高等中学校に入学するも中退、東京帝国大学工科大学造家学科の選科生となる。同時にジョサイア・コンドルの建築設計事務所で建築実務の指導を受ける。
1889年9月、ロンドン大学ユニバーシティー・カレッジ建築コースに入学、学術的建築科と美術的建築科に在籍した。1890年7月、同カレッジを卒業。学術的建築科は首席でドナルドソン賞を受賞、美術的建築科は第2位の成績で褒賞を受賞した。大学卒業後、ロンドンのプロフェッサー・ロジャー・スミス建築事務所で2年間実務修習を行い、また、サマセットシア地方の建築の実地調査において、英国王立建築家協会賞を受賞した。1892年3月、王立英国建築家協会会員登録試験制度の認定試験に合格し、協会公認建築家資格を取得した。
1893年(明治26年)11月、日本に帰国。1896年(明治29年)10月、海軍技師となり、呉鎮守府に赴任する。1903年(明治36年)11月には呉鎮守府経理部建築科長に就任した。1913年(大正2年)に海軍技師を退官、曾禰達蔵の勧誘で三菱合資会社地所部(三菱地所)に入社、技師長として主に丸の内ビジネス街建設に携わった。
1923年(大正12年)5月、桜井小太郎建築事務所を設立。1935年(昭和10年)竣工の横浜正金銀行神戸支店(現神戸市立博物館)の設計を最後に引退した。1953年11月11日、83歳で没した。
主な作品 編集
名称 | 年 | 所在地 | 状態 | 備考 |
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呉鎮守府司令長官官舎 | 旧1905年(明治38年) | 呉市 | 広島県重要文化財 | 入船山記念館 |
旧海軍大湊要港部水源地堰堤 | 1909年(明治39年) | むつ市 | 青森県重要文化財 土木学会選奨土木遺産 |
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横須賀鎮守府司令長官官舎 | 旧1913年(大正2年) | 横須賀市 | 神奈川県田戸台分庁舎 | |
台湾銀行旧東京支店 | 1916年(大正4年) | 千代田区 | 東京都現存せず | |
荘清次郎別邸 | 旧1916年(大正4年) | 鎌倉市 | 神奈川県||
三菱銀行本店 | 旧1922年(大正11年) | 中央区 | 東京都現存せず | |
丸の内ビルディング旧館 | 1923年(大正12年) | 千代田区 | 東京都現存せず | |
東洋文庫 | 1924年(大正13年) | 文京区 | 東京都||
静嘉堂文庫 | 1924年(大正13年) | 東京都世田谷区 | 東京都選定歴史的建造物 | |
成蹊学園本館 | 1924年(大正13年) | 東京都武蔵野市 | ||
旧三菱銀行京都支店 | 1925年(大正14年) | 京都市 | 現存せず | 壁面の一部が京都ダイヤビルに復元。 |
横浜正金銀行門司支店 | 旧1934年(昭和9年) | 福岡県北九州市門司区 | 山口銀行門司支店 | |
旧横浜正金銀行神戸支店 | 1935年(昭和10年) | 兵庫県神戸市中央区 | 登録有形文化財 | 神戸市立博物館 |
ギヤラリー 編集
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旧呉鎮守府司令長官庁舎
(入船山記念館) -
旧三菱銀行本店 -
旧三菱銀行京都支店 -
旧横浜正金銀行門司支店
(山口銀行門司支店) -
旧横浜正金銀行神戸支店
(神戸市立博物館)
親族 編集
脚注 編集
- ^ 人事興信所編『人事興信録』第6版、1921年、さ89頁。霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』下巻、霞会館、1996年、411頁。