桜井町 (富山県)
日本の富山県下新川郡にあった町
桜井町(さくらいちょう[2])は、かつて富山県下新川郡に属していた町。
さくらいちょう 桜井町 | |
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廃止日 | 1954年4月1日 |
廃止理由 |
新設合併 桜井町、生地町 → 黒部市 |
現在の自治体 | 黒部市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方(北陸地方) |
都道府県 | 富山県 |
郡 | 下新川郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 87.48[1] km2. |
総人口 |
25,639[1]人 (1954年) |
隣接自治体 |
入善町、東山村、内山村、生地町 魚津市 |
桜井町役場 | |
所在地 | 富山県下新川郡桜井町三日市 |
座標 | 北緯36度52分25秒 東経137度26分57秒 / 北緯36.87358度 東経137.44908度座標: 北緯36度52分25秒 東経137度26分57秒 / 北緯36.87358度 東経137.44908度 |
ウィキプロジェクト |
名称
編集町名である桜井は、1263年(弘長3年)11月に北条時頼諸国微行の時に、佐野左衛門尉常世の忠誠を賞して授けられた桜井荘にちなんで付けられた地名である[2]。かつて黒部市内には、桜井橋[3]や櫻井酒造(1927年2月創立[4])という造り酒屋[5]があり、市内には現在も桜井という名称が数多く残っている(富山県立桜井高等学校、黒部市立桜井中学校、黒部市立桜井小学校、にいかわ信用金庫桜井支店、桜井ハムなど)。また、1951年から1989年まで電鉄黒部駅は電鉄桜井駅という名称であった。
地理
編集現在の黒部市の中心部を含む大部分。
歴史
編集- 1939年(昭和14年)10月 - 三日市町及び石田村の合併案が出る。これをきっかけに、同年12月17日までに左記の2町村に加えて田家村、村椿村、大布施村、前沢村、荻生村、若栗村で合併に関する意見が纏まる[6]。
- 1940年(昭和15年)2月11日 - 下新川郡三日市町、田家村、石田村、村椿村、大布施村、前沢村、荻生村、若栗村が合併して、下新川郡桜井町が発足する。合併当時の人口は17,535人で、富山県内では2番目に人口の多い町であった[6]。
- 1953年(昭和28年)4月1日 - 下新川郡東布施村を編入する[7]。
- 1954年(昭和29年)4月1日 - 下新川郡桜井町及び生地町が合併して、黒部市が発足する[7]。
町長
編集- 初代 森丘正唯
娯楽
編集脚注
編集- ^ a b 『黒部市史 歴史民俗編』(1992年3月25日、黒部市発行)807頁
- ^ a b 『角川日本地名大辞典 16 富山県』(昭和54年10月8日、角川書店発行)375ページ。
- ^ 『保存版 魚津・黒部・下新川今昔写真帖』(2007年4月15日、郷土出版社発行)110ページ
- ^ 『黒部市史 歴史民俗編』(1992年3月25日、黒部市発行)875頁
- ^ 『いきいき富山 観光と物産』(1987年3月30日、富山県貿易物産振興会発行)112頁より。
- ^ a b 『富山県民とともに 北日本新聞百年史』(1984年10月15日、北日本新聞社発行)236ページ。
- ^ a b 『角川日本地名大辞典 16 富山県』(昭和54年10月8日、角川書店発行)1,326ページ。
- ^ a b 『魚津・黒部・下新川写真帖』(2007年4月15日、郷土出版社発行)p93「映画館 桜井銀映」より。
参考文献
編集- 『魚津・黒部・下新川今昔写真帖』郷土出版社、2007年。