桜川橋梁列車三重衝突事件

桜川橋梁列車三重衝突事件(さくらかわきょうりょうれっしゃさんじゅうしょうとつじけん)は、1943年昭和18年)10月26日に、茨城県土浦市内の常磐線で発生した鉄道事故である。

概要編集

1943年10月26日18時54分ごろ、常磐線土浦駅の南側にある桜川橋梁上で発生、死者94名負傷者103名を出す大事故となった。

最初の事故は貨物列車入れ替え中に発生、信号掛が転轍器を異方向に転換したため異線に進入。上り線から分岐する転轍器を割出したために進路を支障した。上り貨物列車が土浦駅に場内信号機の進行指示によって進行したため支障車両に衝突、牽引機関車は貨車に食いこみ脱線転覆し、下り線を支障した。その直後、下り本線に進入した上野行きの普通列車が進行、上り貨物列車に接触し大音響を立てて脱線転覆。客車前2両は脱線傾斜し、3両目は桜川橋梁上から脱線転落、4両目は七分通り桜川に転落した。5両目以下は橋梁手前で転落は免れた。

事故発生を受けて、市内各地から警防団土浦霞ケ浦の航空隊などからも救援活動に駆け付け、夜を徹しての救護活動が続けられた。遺体は駅近くの病院に収容されたが、すぐに満杯となり、駅近くの空き地に並べられた。川に落ちた客車の引き上げは事故発生から3日後に始まり、クレーンで吊り上げられた。

同じ日に常磐線は復旧、開通した。

事故から22年経った1965年に現場近くの桜川河畔に木製の供養塔が建てられたが、1986年に改めて慰霊碑が建てられた。

参考文献編集

  • 『土浦市史』土浦市史編さん委員会、1975年
  • 『茨城県大百科事典』茨城新聞社、1981年
  • 佐賀純一『木碑からの検証‐戦時下の土浦駅構内事故』筑波書林、1984年