メインメニューを開く
艦歴
発注 1942年戦時建造補充(改マル5)追加計画
起工 1944年1月25日
進水 1944年4月24日
就役 1944年6月28日
その後 1945年1月31日戦没
除籍 1945年3月10日
性能諸元
排水量 基準:1,262t
公試:1,530t
全長 100.00m
全幅 9.35m
吃水 3.30m
主缶 ロ号艦本式缶2基
主機 艦本式タービン2基2軸 19,000hp
速力 27.8kt
航続距離 18ktで3,500海里
燃料 重油370t
乗員 211名/250名[1]
兵装: 40口径12.7cm単装高角砲 1基
40口径12.7cm連装高角砲 1基
25mm三連装機銃 4基
25mm単装機銃 8基
九二式61cm4連装魚雷発射管 1基
(予備魚雷なし)
爆雷投射機 2基 爆雷投下条 2基
二式爆雷×36
電探 二号二型(対水上用)
一号三型(対空用)

(うめ)は、大日本帝国海軍駆逐艦[2]松型駆逐艦(松型一等駆逐艦)(丁型)の3番艦である[3]。日本海軍の艦名としては2代目(初代は二等駆逐艦樺型」)。丁型一等駆逐艦第5483号艦として藤永田造船所で建造された。

艦歴編集

昭和19年の行動編集

1944年(昭和19年)1月25日、日本海軍は駆逐艦3隻をそれぞれ『』・『』・『』と命名、他に潜水艦海防艦掃海艇複数隻を命名した[2]。同日附で駆逐艦3隻(竹、梅、桃)は松型駆逐艦に類別される[3]。「梅」は呉鎮守府在籍と仮定されていたが、4月5日附で横須賀鎮守府仮在籍に改定[4]。4月24日、進水。

同年6月8日、日本海軍は前月下旬に沈没した神風型駆逐艦7番艦「朝凪[5]の駆逐艦長大西快治少佐(1943年10月20日[6]~1944年6月1日[7])を、梅艤装員長に任命する[8][9]。 6月28日、「梅」は竣工して横須賀鎮守府籍[10]。同日附で艤装員事務所は撤去[11]。大西艤装員長は制式に梅駆逐艦長(初代)となる[12]

竣工後、訓練部隊の第十一水雷戦隊(司令官高間完少将海軍兵学校41期)に編入。瀬戸内海で訓練に従事。 7月15日、日本海軍は第41駆逐隊(霜月冬月)および第43駆逐隊))を編制した[13][14]。第41駆逐隊司令には脇田喜一郎大佐、第43駆逐隊司令には菅間良吉大佐(海兵50期)が任命された[15][16]。2人とも陽炎型駆逐艦8番艦「雪風」駆逐艦長を務めた経歴を持つ。「梅」は司令駆逐艦に指定された[16]

8月4日、輸送作戦に従事していた「松」が米軍機動部隊に撃沈される(スカベンジャー作戦[17]。第43駆逐隊は3隻(梅、竹、桃)編制になる[18]

8月20日、第43駆逐隊は新編された第三十一戦隊(司令官江戸兵太郎少将・海兵40期)[19]に編入。編入後も瀬戸内海で訓練を続行した。 9月30日、松型8番艦「」が第43駆逐隊に編入、同隊は4隻(梅、竹、桃、槇)となる[20]。 10月10日、書類上在籍していた「松」が除籍され同時に松型6番艦「」が第43駆逐隊に編入、同隊は5隻編制(梅、竹、桃、槇、桐)となる[18]

台湾沖航空戦を経た[16]10月25日、松型3隻(桃、)は台湾への輸送作戦を行う空母2隻(瑞鳳型《龍鳳》、大鷹型《海鷹》)を護衛して佐世保を出撃し、10月27日に基隆に到着[21]。輸送任務を終えた後は10月30日に基隆を出港して佐世保を経由し、11月2日にに帰投した[22]

第三十一戦隊は旗艦長良型軽巡洋艦2番艦「五十鈴」と、駆逐艦6隻(秋月型《霜月[23]、松型《、桐、杉、桃、梅》)という艦艇で、南方に進出する第四航空戦隊(司令官松田千秋少将)の航空戦艦2隻(日向伊勢)を護衛することとなった[24][25]。11月9日に五島列島有川湾を出撃し、馬公経由で14日に南沙諸島(新南群島)に到着[26][27]。 その頃、ブルネイ湾に在泊中の第二艦隊(司令長官栗田健男中将・海兵38期)は度重なるB-24 の空襲を避け、戦艦3隻(大和長門金剛)と第二水雷戦隊阿賀野型軽巡洋艦3番艦《矢矧》、第17駆逐隊《浦風浜風雪風磯風》)を日本本土に回航して整備を行う事となった[28][29]。 第四航空戦隊のブルネイ回航は中止[30]。第二遊撃部隊指揮官志摩清英中将(第五艦隊司令長官)の下令により、四航戦部隊(日向、伊勢、霜月、桐、梅)は新南群島長島錨地に移動[31]。11月17日に到着し、第一水雷戦隊(司令官木村昌福少将)指揮下の駆逐艦3隻()と合流する[32]。 同日夕刻、松型駆逐艦2隻(、梅)は日本本土へ向かう大和艦隊(戦艦《大和、長門、金剛》、軽巡《矢矧》、第17駆逐隊《浦風、浜風、雪風、磯風》)に合流[33][29]。11月20日まで護衛に協力した後[34][35]、馬公に帰投した[36][37]。直後の11月21日、米潜水艦シーライオンⅡ[5][37]の襲撃により2隻(戦艦《金剛》、駆逐艦《浦風》)は撃沈された[38][39]

続いてリンガ泊地(シンガポール)へ向かう第五艦隊(第二遊撃部隊)を護衛。11月22日夕刻、リンガ泊地着[40]。戦艦2隻(榛名伊勢)が座礁したが、沈没に至る被害を受けた艦はなかった。 11月25日附で第43駆逐隊に松型11番艦「」が編入され[41]、同隊は駆逐艦6隻(梅、竹、桐、桃、槇、榧)となる[42]。 同日、「桃」と共に行動中の第三十一戦隊旗艦「霜月」は[43]、米潜水艦カヴァラ(USS Cavalla, SS/SSK/AGSS-244)に撃沈され[5]、第三十一戦隊司令官江戸兵太郎少将と第41駆逐隊司令脇田大佐は戦死した[44]。後任の三十一戦隊司令官は、戦艦「扶桑」艦長[45][46]等を歴任した鶴岡信道少将[47]

その後、本艦はマニラに進出して南西方面艦隊の指揮下に入り、レイテ島行きの多号作戦に参加する事となる[27][48]。 12月5日10時半[49]、第八次多号作戦輸送部隊(駆逐艦3隻《梅、桃、杉》、第11号輸送艦、第18号駆潜艇、第38号駆潜艇、輸送船4隻《赤城山丸、白馬丸、第五真盛丸、日祥丸》)はマニラを出撃[50][27]。輸送部隊は第六十八独立旅団の約4000名[50][51]。しかし、12月7日にアメリカ軍第77師団がオルモック南方に上陸したため、菅間大佐(第43駆逐隊司令。「梅」座乗)はオルモックへの接近を断念して揚陸地をサン・イシドロに変更[50][48]。兵員の揚陸は成功したが重火器の揚陸は出来ず、タクロバンからの陸軍機と海兵隊機の爆撃を受け、船団も「白馬しろうま丸」(日本郵船、2,857トン)[52]が撃沈され、残りの輸送船も海岸に擱座して壊滅した。 マニラへの帰投中の12月7日、空襲を受け僚艦「杉」が損傷[53]。 12月8日、空襲により被弾中破。さらに、マニラ帰投後の12月14日、第38任務部隊ジョン・S・マケイン・シニア中将)の艦載機の空襲を受け、至近弾で損傷[53](大西艦長によれば、艦首に爆弾1発命中、錨鎖庫損傷)[54]。2隻(梅、桃)は香港に向けて脱出する[55][53]。僚艦2隻(杉、榧)はカムラン湾へ向かった。道中、荒天に見舞われて三亜で待機し[56]、天候が回復してから香港に向かった。また12月15日、43駆僚艦「」が米潜水艦ホークビル (USS Hawkbill, SS-366)に撃沈される[5]。第43駆逐隊は5隻(梅、竹、桐、槇、榧)となった[57]

昭和20年の行動編集

1945年(昭和20年)1月9日、第43駆逐隊司令菅間良吉大佐は舞鶴鎮守府附となる[58]。後任の43駆司令は、夕雲型駆逐艦3番艦「風雲」初代艦長等を歴任した吉田正義大佐[58][54]。吉田大佐は43駆司令駆逐艦を本艦に決定した[59]。 「梅」は1月14日まで香港で修理を行った[60]。修理完了後、1月15日に出港[53]南シナ海に進撃していた第38任務部隊の艦載機の空襲が止むまで待機の後、高雄に回航された[61]。1月21日にも空襲を受けたが、戦死者1名を出したのみで船体に被害は無かった[62]。「」とともに基隆に回航されるも[63]フィリピンからの搭乗員救出(パトリナオ輸送作戦)のため高雄に呼び返された[64][54]

1月31日朝9時[65]、駆逐艦3隻(汐風)は高雄(台湾)を出撃[66]ルソン島最北端のアパリ英語版[67]、アパリ防衛のための高雄陸戦隊や燃料、車両、弾薬を乗せて向かう[68][69]。速力24ノットで南下し出撃から2時間後、偵察のB-24 に発見される[70][66]。対空砲火で追い払ったものの更なる空襲は必至となった。 15時頃、台湾最南端ガランピ岬南方20海里[65]において第14航空軍所属のP-38 に護衛された第38爆撃航空団所属のB-25 12機と第35戦闘航空団所属のP-47 4機の空襲を受ける。当初、「梅」は輸送部隊と並行に飛行していたB-25を友軍機と誤認しており、B-25が襲撃行動に移ってから対空戦闘に入る[67]。回避行動がまにあわず、最初の直撃弾で後部の爆雷が誘爆し、艦尾を喪失[67]。ロケット弾を撃ち込まれ、艦橋上の射撃指揮所および前部砲塔と艦橋間の甲板などに被弾(至近弾を含む)、機関部も損傷して航行不能になる[65][67][66]。さらに爆撃の後は機銃掃射を受け、乗員は次々と打ち倒されていった[71][67]。「楓」も艦首に被弾[72]。「汐風」も至近弾により右舷高低圧タービン損傷により速力が低下する被害を受けていた。吉田司令はタバコをくわえて乗員に落ち着くよう態度で示したが[73][66]、船体は20度傾斜して浸水を防ぐ手立ても失われた[65]。戦死者は77名、負傷者は36名を数えた[65]。吉田司令や大西駆逐艦長など生存乗員が退艦した後[74]、本艦は「汐風」の砲撃によって処分された[66]。沈没地点北緯20度30分 東経120度50分 / 北緯20.500度 東経120.833度 / 20.500; 120.833[74]。梅生存者を乗せた駆逐艦2隻(楓、汐風)は作戦の中止により高雄に引き返した[66][72]

2月24日、大西快治少佐は梅駆逐艦長の任を解かれる[75]。 3月1日附で作間英邇大佐(秋月型駆逐艦8番艦「冬月」駆逐艦長)が第43駆逐隊司令に任命される(後任の冬月艦長は山名寛雄中佐《満潮型駆逐艦駆逐艦長》)[76]。前の43駆司令吉田正義大佐は秋月型2隻(冬月涼月)の第41駆逐隊司令へ転任[76]坊ノ岬沖海戦に臨んだ。 3月10日、「梅」は帝国駆逐艦籍および松型駆逐艦から除籍[77][78]。第43駆逐隊からも除籍された[79]

歴代艦長編集

※『艦長たちの軍艦史』362頁による。

艤装員長編集

  1. 大西快治 少佐:1944年6月8日[8] - 1944年6月28日[12]

駆逐艦長編集

  1. 大西快治 少佐:1944年6月28日[12] - 1945年2月24日[75]

脚注編集

  1. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127600, pp.7
  2. ^ a b #達昭和19年1月(2)pp.31-33『達第十七號 昭和十八年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦三隻、潜水艦三隻、海防艦七隻、掃海艇一隻、驅潜艇一隻及特務艦一隻ニ左ノ通命名ス|昭和十九年一月二十五日 海軍大臣嶋田繁太郎|横須賀海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 竹(タケ) 伊號第三百六十八號潜水艦 伊號第三百六十九號潜水艦|株式會社藤永田造船所ニ於テ検図 驅逐艦 梅(ウメ)|舞鶴海軍工廠ニ於テ建造 驅逐艦 桃(モモ)|川崎重工業株式會社ニ於テ建造 伊號第十五潜水艦|日立造船株式會社ニ於テ建造 海防艦 屋代(ヤシロ) 海防艦 日振(ヒブリ)|日本鋼管株式會社鶴見造船所ニ於テ建造 海防艦 鵜来(ウクル) 第十三號海防艦 第十五號海防艦 第十七號海防艦 第十九號海防艦|株式會社東京石川島造船所ニ於テ建造 第三十四號掃海艇|株式會社新潟鐡工所ニ於テ建造 第六十三號駆先手|三菱重工業株式會社横濱船渠ニ於テ建造 特務艦 大濱(オホハマ)』
  3. ^ a b #内令昭和19年1月(5)pp.17-18『内令第二百號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス|昭和十九年一月二十五日 海軍大臣嶋田繁太郎|驅逐艦、一等松型ノ項中「松」ノ下ニ「、竹、梅、桃」ヲ加フ|潜水艦、一等伊十型ノ項中「伊號第十四」ノ下ニ「、伊號第十五」ヲ、同伊三百六十一型ノ項中「伊號三百六十六」ノ下ニ「、伊號三百六十八、伊號三百六十九」ヲ加フ|海防艦、占守型ノ項中「笠戸」ノ下ニ「、日振、鵜来」ヲ、同三御藏型ノ項中「倉橋」ノ下ニ「、屋代」ヲ、同第一號型ノ項中「第十一號」ノ下ニ「、第十三號、第十五號、第十七號、第十九號」ヲ加フ|掃海艇、第十九號型ノ項中「第三十三號」ノ下ニ「、第三十四號」ヲ加フ|驅潜艇、第十四號型ノ項中「第六十一號」ノ下ニ「、第六十三號」ヲ加フ』
  4. ^ #内令昭和19年4月(1)pp.14-15『内令第五百三十一號|驅逐艦 桑 伊號第三百五十二潜水艦 右本籍ヲ呉鎮守府ト假定ス|伊號第三百六十七潜水艦 第二十三號海防艦 第二十五號海防艦 第二十七號海防艦 右本籍ヲ佐世保鎮守府ト假定ス|海防艦 奄美 海防艦 粟國 第二十六號海防艦 第二十八號海防艦 右本籍ヲ舞鶴鎮守府トト假定ス|呉鎮守府在籍(假定)驅逐艦 梅 右假定本籍ヲ横須賀鎮守府ニ改ム|昭和十九年四月五日 海軍大臣 嶋田繁太郎』
  5. ^ a b c d #叢書46海上護衛戦446-447頁『米潜水艦に撃沈されたわが駆逐艦一覧表』
  6. ^ 昭和18年10月22日(発令10月20日付)海軍辞令公報(部内限)第1244号 p.20』 アジア歴史資料センター Ref.C13072093900 
  7. ^ 昭和19年6月1日(発令6月1日付)海軍辞令公報(部内限)第1497号 p.3』 アジア歴史資料センター Ref.C13072099400 
  8. ^ a b 昭和19年6月8日(発令6月8日付)海軍辞令公報(部内限)第1509号 p.18』 アジア歴史資料センター Ref.C13072099500 
  9. ^ #佐藤 艦長続編(文庫)173頁
  10. ^ #内令昭和19年6月p.41『内令七九五號 驅逐艦 梅 右本籍ヲ横須賀鎮守府ト定メラル 昭和十九年六月二十八日 海軍大臣』
  11. ^ 昭和19年7月6日(木)海軍公報(部内限)第4732号 p.24』 アジア歴史資料センター Ref.C12070479600 『○事務所撤去 驅逐艦梅艤装員事務所ハ六月二十八日之ヲ撤去セリ』
  12. ^ a b c 昭和19年7月5日(発令6月28日付)海軍辞令公報(部内限)第1526号 p.23』 アジア歴史資料センター Ref.C13072099900 
  13. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127500, pp.63 、雨倉, 93ページ
  14. ^ #内令昭和19年7月p.21『内令第八六五號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十九年七月十五日 海軍大臣|第三十二驅逐隊ノ項ノ次ニ左ノ二項ヲ加フ |第四十一驅逐隊|霜月、冬月| |第四十三驅逐隊|梅、竹、松、桃| 』
  15. ^ 昭和19年7月21日(発令7月15日付)海軍辞令公報(部内限)第1541号 p.7』 アジア歴史資料センター Ref.C13072100100 
  16. ^ a b c #秋月型(潮2015)309頁
  17. ^ #秋月型(潮2015)332頁
  18. ^ a b #内令(秘)昭和19年10月(2)pp.35-36『内令第一一六二號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十九年十月十日海軍大臣|第十九驅逐隊ノ項ヲ削ル|第二十七驅逐隊ノ項ヲ削ル|第三十驅逐隊ノ項中「、夕凪」ヲ削ル|第四十三驅逐隊ノ項中「松、」ヲ削リ「槇」ノ下ニ「、桐」ヲ加フ』
  19. ^ 昭和19年8月22日(発令8月20日付)海軍辞令公報(部内限)第1571号 p.40』 アジア歴史資料センター Ref.C13072100600 
  20. ^ #内令(秘)昭和19年10月(1)p.6『内令第一一二一號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十九年九月三十日 海軍大臣 第四十三驅逐隊ノ項中「桃」ノ下ニ「、槇」ヲ加フ』
  21. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127700, pp.5,31,41
  22. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127700, pp.33,42,51,52
  23. ^ #S1907十戦隊日誌(3)p.35『(2)霜月 内海西部方面ニアリテ警戒待機中ノ所第四航空戰隊第三十一戰隊ト共ニ八日出撃「ブルネイ」ニ回航中』
  24. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127700, pp.53
  25. ^ #S1907十戦隊日誌(3)p.42『1KdF機密第〇二一四一八番電 第四航空戰隊(日向伊勢)第四十一駆逐隊(霜月)凉月 第三十一戰隊(五十鈴桑桐梅桃杉)ハ十一月八日槇冬月十八日頃内地出撃可能ノ見込』(涼月は浸水事故のため不参加)
  26. ^ 野村, pp.9
  27. ^ a b c #秋月型(潮2015)310頁
  28. ^ #戦藻録(1968)441-442頁『十一月十五日 水曜日 晴』
  29. ^ a b #撃沈戦記II179-180頁『内地へ』
  30. ^ #S1909一水戦日誌(2)pp.51-52『十六日一八四〇(指揮官)2YB(宛略)第二遊撃部隊電令作第一號 一.一水戰(霞潮)竹ハ反轉干里堆(長島錨地)ニテ待機スベシ/二.第四航空戰隊(日向伊勢)ハブルネイ回航ヲ取止メ干里堆(長島錨地)ニテ待機スベシ』
  31. ^ #S1909一水戦日誌(2)p.52『十六日一九一五(指揮官)2YB(宛略)第二遊撃部隊電令第一號 支援部隊(足柄榛名羽黒大淀朝霜初霜)一七日〇四〇〇ブルネイ発 干里堆ニテ第四航空戰隊 第一水雷戰隊 竹ヲ合同「リンガ」泊地ニ回航ス』
  32. ^ #S1909一水戦日誌(2)p.65『一七(天候略)一三二〇霞潮竹ヲ率ヰ干里堆着/一五五〇4sf霜月干里堆着』
  33. ^ #S1911十七駆日誌(1)p.6『十七日(天候略)一八三〇桐梅ト合同(略)』
  34. ^ #S1911十七駆日誌(1)p.7『二十日(天候略)一一三〇桐梅ト分離(略)』
  35. ^ #戦藻録(1968)443頁『十一月廿日 月曜日 半晴 強風』(強風三日、支那の高氣壓は東漸せるにかゝわらず一向に収まらず驅逐艦桐、梅分離馬公に向ふ。此の附近敵潜の出現少し。潮流の大なるも一の理由なるべし。)
  36. ^ 木俣『日本戦艦戦史』592ページ
  37. ^ a b #佐藤 艦長続編(文庫)248-250頁『粛然とした「桑」の沈没』
  38. ^ #S1911十七駆日誌(1)p.7『二十一日(天候略)〇三〇六浦風金剛被雷(略)金剛誘爆スルヲ認ム』
  39. ^ #戦藻録(1968)444頁『十一月廿二日 水曜日 晴 天候恢復』
  40. ^ #秋月型(潮2015)311頁
  41. ^ #S1912五艦隊(1)p.20『(宛略)十一月二十五日附帝國海軍戰事編制中左ノ通改正セラル 一.52dgヲ11sdヨリ除キ31Sニ編入/二.榧ヲ11sdヨリ除キ43dgニ編入』
  42. ^ #内令(秘)昭和19年11月(4)p.1『内令第一二九一號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十九年十一月二十五日 海軍大臣 第四十三驅逐隊ノ項中「桃、竹、桃、槇、桐」ヲ「梅、竹、桐、桃、槇、榧」ニ改ム』
  43. ^ #S1911二水戦日誌(1)p.24『二十五日〇五一〇桃駆逐艦長(宛略)昭南發ブルネイニ向かヒ航行中ノ〇四四八霜月(第三十一戰隊旗艦)ハ敵潜ノ雷撃ヲ受ケ瞬時ニシテ沈没セリ(以下略)』
  44. ^ #S1911二水戦日誌(1)p.8『(3)四十一駆(霜月)ハ十一月二十二日附第二警戒部隊ニ編入サレ31S司令官ノ作戰指揮ヲ受ケ二十五日被雷沈没』
  45. ^ 昭和18年6月2日(発令5月31日付)海軍辞令公報(部内限)第1134号 p.23』 アジア歴史資料センター Ref.C13072091400 
  46. ^ 昭和19年2月23日(発令2月23日)海軍辞令公報(部内限)第1337号 p.48』 アジア歴史資料センター Ref.C13072095900 
  47. ^ 昭和19年12月6日(発令12月1日付)海軍辞令公報(甲)第1661号 p.1』 アジア歴史資料センター Ref.C13072102200 
  48. ^ a b #佐藤 艦長続編(文庫)174-175頁
  49. ^ 木俣『日本水雷戦史』569ページ
  50. ^ a b c #秋月型(潮2015)311-314頁『リスクが大きい輸送作戦』
  51. ^ #駆逐艦物語276-277頁
  52. ^ 読みは「はくばまる」ではない(『日本郵船戦時船史 下』65ページ)
  53. ^ a b c d #秋月型(潮2015)314-315頁『難をのがれ香港で修理』
  54. ^ a b c #佐藤 艦長続編(文庫)175-176頁
  55. ^ 木俣『日本水雷戦史』571ページ
  56. ^ 『第五艦隊戦時日誌』pp.42
  57. ^ #秘公報昭和20年2月(2)pp.20-21『内令第一一一號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和二十年二月十日海軍大臣|第二驅逐隊ノ項ヲ削ル|第二十一驅逐隊ノ項中「時雨」ノ下ニ「、朝霜」ヲ加フ|第四十三驅逐隊ノ項中「桃、」ヲ削ル|第五十二驅逐隊ノ項中「桑、」ヲ削ル』
  58. ^ a b 昭和20年1月15日(発令1月9日付)海軍辞令公報(甲)第1693号 p.14』 アジア歴史資料センター Ref.C13072144100 
  59. ^ 『第三十一戦隊戦時日誌』pp.44
  60. ^ 『第三十一戦隊戦時日誌』pp.35
  61. ^ 『第三十一戦隊戦時日誌』pp.37,39,40,41,42,45
  62. ^ 『第三十一戦隊戦時日誌』pp.47,48
  63. ^ 『第三十一戦隊戦時日誌』pp.49
  64. ^ 『第三十一戦隊戦時日誌』pp.54,55
  65. ^ a b c d e 『第三十一戦隊戦時日誌』pp.60
  66. ^ a b c d e f #佐藤 艦長続編(文庫)177-180頁『駆逐艦「梅」バシー海峡に消ゆ』
  67. ^ a b c d e #秋月型(潮2015)315-317頁『運命をかえた一発の直撃弾』
  68. ^ 『第三十一戦隊戦時日誌』C08030074800, pp.56
  69. ^ #秋月型(潮2015)336頁
  70. ^ 『第三十一戦隊戦時日誌』pp.60 、木俣『日本水雷戦史』614ページ
  71. ^ 雨倉, 103ページ
  72. ^ a b #駆逐艦物語278頁
  73. ^ 木俣『日本水雷戦史』615ページ
  74. ^ a b #秋月型(潮2015)318-319頁『夕日をあびて海底に消えた梅』
  75. ^ a b 昭和20年2月28日(発令2月24日付)海軍辞令公報(甲)第1733号 p.52』 アジア歴史資料センター Ref.C13072103500 
  76. ^ a b 昭和20年3月9日(発令3月1日付)海軍辞令公報(甲)第1741号 p.32』 アジア歴史資料センター Ref.C13072103700 
  77. ^ #秘海軍公報昭和20年3月(2)p.17『内令第二二八號|横須賀鎮守府在籍 驅逐艦 旗風、驅逐艦 梅、驅逐艦 樅|佐世保鎮守府在籍 驅逐艦 時雨、驅逐艦 栂|右帝國驅逐艦籍ヨリ除カル(以下略)昭和二十年三月十日 海軍大臣』
  78. ^ #秘海軍公報昭和20年1月(3)pp.40-41『内令第二〇九號 艦艇類別等級表中左ノ通改正ス 昭和二十年三月十日 海軍大臣|驅逐艦、一等神風型ノ項中「、旗風」ヲ、同|白露型|時雨|ヲ、同松型ノ項中「、梅」「、樅」ヲ、同二等粟型ノ項中「、栂」ヲ削ル(以下略)』
  79. ^ #秘海軍公報昭和20年3月(2)p.15『内令第二二一號 驅逐隊編制中左ノ通リ改定セラル|昭和二十年三月十日 海軍大臣|第七驅逐隊ノ項中「、霞」ヲ削ル|第二十一驅逐隊ノ項中「初霜、時雨、朝霜」ヲ「初霜、朝霜、霞」ニ改ム|第四十三驅逐隊ノ項中「梅、」ヲ削ル|第五十二驅逐隊ノ項中「樅、」ヲ削ル』

参考文献編集

  • 雨倉孝之「松型駆逐艦長の奮戦記」『歴史群像 太平洋戦史シリーズ43 松型駆逐艦』学習研究社、2003年、ISBN 4-05-603251-3
  • 宇垣纏著、成瀬恭発行人『戦藻録 明治百年史叢書』原書房、1968年1月。
  • 木俣滋郎『日本戦艦戦史』図書出版社、1983年
  • 木俣滋郎『日本水雷戦史』図書出版社、1986年
  • 佐藤和正『艦長たちの太平洋戦争 続編 17人の艦長が語った勝者の条件』光人社NF文庫、1995年12月。ISBN 4-7698-2106-9
    • 「縁の下の役割」<駆逐艦「梅」艦長・大西快治少佐の証言>(子ノ日航海長《昭和13年11月~昭和15年11月》、水雷艇艇長、朝凪艦長等を歴任。本艦後艦長後、横須賀突撃隊特攻隊長。終戦後、艦長等を歴任)
    • 「勝敗の分岐点」<駆逐艦「桐」艦長・川畑誠少佐の証言>
  • 志賀博ほか『駆逐艦物語 車引きを自称した駆逐艦乗りたちの心意気』潮書房光人社、2016年4月。ISBN 978-4-7698-1615-7
    • 元三十五突撃隊・海軍二等兵曹正岡勝直『されど"雑木林艦隊"恥ずることなかれ 雑木林といわれた松型十八隻、橘型十四隻、樅型三隻、若竹型六隻の闘魂
  • 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。 ISBN 4-7698-1246-9
  • 永井喜之・木俣滋郎「第2部 第二次世界大戦/日本編 第14章 日本戦艦「金剛」」『新戦史シリーズ撃沈戦記・PARTII』朝日ソノラマ、1988年10月。ISBN 4-257-17223-1
  • 『日本郵船戦時船史 下』日本郵船、1971年
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書46 海上護衛戦』朝雲新聞社、1971年5月。
  • 山本平弥ほか『秋月型駆逐艦<付・夕雲型・島風・丁型> 戦時に竣工した最新鋭駆逐艦の実力と全貌』潮書房光人社、2015年3月。ISBN 978-4-7698-1584-6
    • 当時艦政本部部員・海軍技術中佐遠山光一『マスプロ防空駆逐艦"松型"の誕生と背景 駆逐艦発達史の中に位置づけた丁型=松型十八隻と橘型十四隻の新機軸
    • 当時「梅」乗組・海軍上等兵曹市川國雄『香り浅き「梅」バシー海峡に消えたり 熾烈なる対空戦闘の果て誕生六ヶ月余りで海底に没した愛艦への鎮魂歌
    • 戦史研究家伊達久『丁型駆逐艦船団護衛ダイアリィ 松型十八隻と橘型十四隻の太平洋戦争
  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • 『昭和19年1月~6月達/1月(2)』。Ref.C12070124100。
    • 『自昭和19年1月 至昭和19年7月内令/昭和19年1月(5)』。Ref.C12070194200。
    • 『自昭和19年1月 至昭和19年7月内令/昭和19年4月(1)』。Ref.C12070195000。
    • 『昭和19年6月内令』。Ref.C12070195400。
    • 『自昭和19年1月至昭和19年7月内令/昭和19年7月』。Ref.C12070195500。
    • 『昭和19年9月~12月 秘海軍公報 号外/10月(1)』。Ref.C12070497300。
    • 『昭和19年9月~12月 秘海軍公報 号外/10月(2)』。Ref.C12070497400。
    • 『昭和19年9月~12月 秘海軍公報 号外/11月(4)』。Ref.C12070498000。
    • 『自昭和20年1月.至昭和20年8月秘海軍公報/1月(3)』。Ref.C12070503700。
    • 『自昭和20年1月.至昭和20年8月秘海軍公報/2月(2)』。Ref.C12070503900。
    • 『昭和20年1月.至昭和20年8月秘海軍公報号外/3月(2)』。Ref.C12070504300。
    • 『昭和19年7月1日~昭和19年11月15日 第10戦隊戦時日誌(3)』。Ref.C08030051000。
    • 『昭和19年9月1日~昭和19年11月11日 第1水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(2)』。Ref.C08030087300。
    • 『昭和19年11月20日~昭和19年12月30日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)』。Ref.C08030102400。
    • 『第十一水雷戦隊司令部『自昭和十九年八月一日至昭和十九年八月三十一日 第十一水雷戦隊戦時日誌』(昭和19年6月1日~昭和20年6月30日 第11水雷戦隊戦時日誌(3))』。Ref.C08030127600。
    • 『第十一水雷戦隊司令部『自昭和十九年十月一日至昭和十九年十月三十一日 第十一水雷戦隊戦時日誌』『自昭和十九年十一月一日至昭和十九年十一月三十日 第十一水雷戦隊戦時日誌』(昭和19年6月1日~昭和20年6月30日 第11水雷戦隊戦時日誌(4))』。Ref.C08030127700。
    • 『野村留吉『第四航空戦隊 戦時日誌抜粋』(昭和19年5月1日~昭和20年3月1日 第4航空戦隊戦時日誌抜粋(旗艦日向行動等))』。Ref.C08030742100。
    • 『第十七駆逐隊『自昭和十九年十一月一日至昭和十九年十一月三十日 第十七駆逐隊戦時日誌』(昭和19年11月1日~昭和20年5月31日 第17駆逐隊戦時日誌戦闘詳報(1))』。Ref.C08030147000。
    • 『第五艦隊司令部『自昭和十九年十二月一日至昭和十九年十二月三十一日 第五艦隊(第三遊撃部隊)戦時日誌』(昭和19年11月1日~昭和20年2月5日 第5艦隊戦時日誌(1))』。Ref.C08030019800。
    • 『第五艦隊司令部『自昭和十九年十二月一日至昭和十九年十二月三十一日 第五艦隊(第三遊撃部隊)戦時日誌』(昭和19年11月1日~昭和20年2月5日 第5艦隊戦時日誌(2))』。Ref.C08030019900。
    • 『第三十一戦隊司令部『自昭和十九年十二月二十二日至昭和二十年一月三十一日 第三十一戦隊戦時日誌』(昭和19年12月22日~昭和20年4月30日 第31戦隊戦時日誌(1))』。Ref.C08030074800。

関連項目編集