森 喜平(もり きへい、1875年 - 1969年2月22日)は、日本政治家。息子は根上町長を務めた森茂喜内閣総理大臣を務めた森喜朗の祖父である。

左から息子・茂喜、喜平(膝の上は孫・智子)、媳婦・薫(膝の上は孫・喜朗)(1937年)

来歴・人物 編集

石川県能美郡根上村(のち根上町、現在の能美市)に江戸時代庄屋を務めた旧家に生まれる。幼少時から俊才の誉れ高く、周囲から一目置かれる存在であった。

1917年、推挙されてに根上村長に就任。1934年には根上町の町制施行にともない町長に就任した。途中4ヶ月間を除き、28年間にわたって村政、町政を預かり、村民(町民)の生活水準向上に大きく貢献した。また、その影響力は村内(町内)にとどまらず、石川県政の重鎮として長く影響力を保持した。

戦後、大政翼賛会の町支部長のため公職追放となる[1]

1969年2月22日死去、享年94。根上町武道館で行われた葬儀には、当時の石川県知事中西陽一をはじめ、多数の要人が参列、4,000人を超える人々がその死を悼んだ。

脚注 編集

  1. ^ 総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、367頁。NDLJP:1276156 

参考資料 編集

  • 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年。