森﨑和幸

日本のサッカー選手
森崎和幸から転送)

森﨑 和幸(もりさき かずゆき、1981年5月9日 - )は、広島県広島市安芸区出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー

森﨑 和幸
名前
愛称 カズ
カタカナ モリサキ カズユキ
ラテン文字 MORISAKI Kazuyuki
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1981-05-09) 1981年5月9日(42歳)
出身地 広島県広島市安芸区
身長 177cm
体重 75kg
選手情報
ポジション MF / DF
利き足 右足
ユース
矢野FC(広島市立矢野小学校
1994-1996 広島市立矢野中学校
1997-1999 サンフレッチェ広島ユース(広島県立吉田高等学校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1999-2018 サンフレッチェ広島 504 (22)
1. 国内リーグ戦に限る。2018年12月1日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

現在はJリーグサンフレッチェ広島のクラブリレーションズマネージャーを務める。広島県立吉田高等学校卒業。

来歴 編集

地元矢野小学校で弟である森崎浩司と共に小学2年からサッカーをはじめる[1]山出久男から指導を受け、攻撃的なMFとして活躍[2]、小学6年時に森崎浩司と共に全日本少年サッカー大会に出場している[3]佐藤康之皆本勝弘は矢野中学校の先輩[4]。矢野中学校からサンフレッチェ広島ユースへ入団。同級生は、森崎浩司、駒野友一久保田学木村孝洋から指導を受けた。高校2年時よりボランチにコンバートされる[2]。1999年高校3年時には2種登録選手となり、Jサテライトリーグでのパフォーマンスがエディ・トムソン監督に認められ、同年11月20日ガンバ大阪戦に広島チーム史上初「高校生Jリーガー」として初出場した[注 1][2][5]。トムソンにも気にいられ、その年はその後の公式戦に全試合出場し、天皇杯決勝進出の立役者の一人となった[2][6]

2000年にサンフレッチェ広島に入団、同期入団は、森崎浩司、駒野、八田康介松下裕樹山形恭平中山元気[1][7]。リーグ2戦目には、森保一に代わり先発出場[8]。その後も主力として出場し、Jリーグ新人王および日本プロスポーツ大賞新人賞[9] を受賞した[2]

年代別代表では、2001年に森崎浩司や駒野とともにワールドユース代表に選出されて出場、翌2002年には釜山アジア大会にU-21サッカー日本代表として出場した。 控え中心だった浩司に対し、和幸は中心選手として起用されキャプテンを任されることもあったが、ボランチのポジションに阿部勇樹今野泰幸鈴木啓太らが台頭しはじめると出番を失い、アテネオリンピックを目指すU-22代表ではアジア1次予選には出場するも最終予選以降は招集されることはなく、チームは本大会出場を果たすが、浩司と異なり本大会メンバーには選ばれなかった。

一方、広島では2001年にヴァレリー・ニポムニシに監督が替わるとボランチに固定、それ以降ボランチとしてチームの中心となり活躍、両サイドの駒野や服部公太を操り、第2ステージ3位となる原動力となった。その後2004年にはチーム事情からトップ下へ、2005年にはキャプテンに就任、1ボランチとして全試合に出場し、持ち前のパスさばきでチームを支えた。2006年にはオーバートレーニング症候群(公式発表)により数ヶ月間休んでいる[10]。同2006年、ミハイロ・ペトロヴィッチ監督に代わってからは右センターバックにコンバートされたが、翌2007年にJ2降格。その冬の天皇杯からボランチに戻り準優勝に貢献。

2009年、慢性疲労症候群により同年5月12日より離脱(同年6月16日クラブ公式発表)、完全休養後同年9月18日に実戦復帰した[11][12]。以降、シーズン中に休みを取りながらも現役を続けている。

2012年2013年2015年のJ1リーグ制覇にチームの中心として大きく貢献をする。

2016年5月21日、J1リーグ1stステージ第13節のガンバ大阪戦で、史上14人目となるJ1通算400試合出場を達成する[13]

2018年10月27日、現役を引退することを発表[14]。12月1日、現役最後の試合となったJ1最終節の北海道コンサドーレ札幌戦では、スタメンで出場しチームを牽引、チームの3年ぶりのACL出場に貢献した[15]。広島の三回のリーグ制覇に大きく貢献していながら、ベストイレブンどころか、優秀選手賞にも一度しか選ばれていない。その事にはチームメイトやペトロヴィッチ監督も異議を唱えているが、逆に、広島の本当のストロングポイントを他チームが理解できていなかったという証でもある[16]

2019年から広島のクラブ・リレーションズ・マネージャーに就任した[17]

2019年10月24日に開催されたJリーグ理事会において同年開催のJリーグアウォーズJリーグ功労選手賞の授与が決定した[18][19]

人物 編集

CFS患者
慢性疲労症候群(CFS)患者でありながら、現役でサッカーを続けていたプロサッカー選手である。
プレースタイル
高い戦術理解度を武器にパスで試合を作る右利きのゲームメイカー[20]ボランチをメインに、トップ下リベロもこなす。エディ・トムソンは「リトル・ナカタ[21]ミハイロ・ペトロヴィッチは「ドクトル(ドイツ語で「博士」)」と称した。[22]
双子
元サッカー選手で、同じチームだった森崎浩司は「二卵性双生児[注 2]」の弟であり、佐藤勇人/佐藤寿人兄弟と共に、Jリーグ史上初の双子選手[23]
  • 2004年5月5日J1・1st第8節対セレッソ大阪戦(長居スタジアム)にて初アベックゴール(48分和幸、89分浩司)を達成。Jリーグにおいて同じチームに所属する兄弟が、同一試合でアベックゴールを達成した例は森﨑兄弟と山瀬功治/山瀬幸宏兄弟(2007年に達成)、高木俊幸/高木善朗兄弟(2010年に達成)の三組のみ。
  • 2007年から公式用ユニフォーム背番号の下に「KAZU」と下の名前が入るようになった。弟の浩司のほうは「KOJI」。 世代別の代表の公式戦では、名前のイニシャルが和幸、浩司ともに「K」のため、ユニフォームには「MORISAKI」とだけ記されていた。
  • A代表やベストイレブンなどの賞とは縁がなかった。チーム関係者からは「どうしてカズ(森崎和幸)がベストイレブンに選出されないのか」(森保一監督)、「カズもベストイレブンに入れてほしかった」「選出方法を見直すべきだ」(佐藤寿人)、「カズさんが選ばれるものだとばかり」(高萩洋次郎)などの声があがった[24]

所属クラブ 編集

ユース経歴
  • 矢野FC
  • 広島市立矢野中学校
  • サンフレッチェ広島ユース
プロ経歴

個人成績 編集

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1999 広島 38 J1 3 0 0 0 5 0 8 0
2000 20 24 3 4 0 2 0 30 3
2001 8 26 1 3 0 2 0 31 1
2002 25 1 2 0 4 2 31 3
2003 J2 41 1 - 2 0 43 1
2004 J1 28 5 5 0 1 0 34 5
2005 34 4 6 0 2 1 42 5
2006 26 2 1 0 2 0 29 2
2007 32 0 6 0 5 0 43 0
2008 J2 33 2 - 3 0 36 2
2009 J1 18 0 1 0 2 0 21 0
2010 17 0 3 0 1 0 21 0
2011 32 0 2 0 1 0 35 0
2012 33 2 2 0 1 0 36 2
2013 33 0 2 0 5 0 40 0
2014 29 0 2 0 0 0 31 0
2015 33 1 1 0 1 0 35 0
2016 24 0 1 0 1 0 26 0
2017 10 0 1 0 3 0 14 0
2018 3 0 0 0 0 0 3 0
通算 日本 J1 430 19 42 0 38 3 510 22
日本 J2 74 3 - 5 0 79 3
総通算 504 22 42 0 43 3 589 25
  • 1999年 : ユース所属

その他の公式戦

国際大会個人成績 FIFA
年度 クラブ 背番号 出場 得点 出場 得点
AFCACLクラブW杯
2010 広島 8 4 1 -
2012 - 3 0
2013 0 0 -
2014 0 0 -
2015 - 2 0
2016 1 0 -
通算 AFC 5 1 5 0

出場歴 編集

アンダーカテゴリー
  • 全国少年サッカー大会(1993年)
  • 全国中学校サッカー大会 ベスト16
  • Jユースカップ 準優勝(1997年)
  • 国民体育大会広島県代表(1998年、1999年)
トップカテゴリ

タイトル 編集

クラブ 編集

サンフレッチェ広島

個人 編集

代表歴 編集

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ この試合には森崎浩司もベンチ入りしている
  2. ^ 似ているためよく勘違いされるが、二卵性双生児である。簡単な見分け方として、左利きで鼻の下にホクロがない方が弟の浩司、右利きでホクロがある方が兄の和幸。

出典 編集

  1. ^ a b スペシャルインタビュー Vol.14】サンフレッチェ広島:森﨑浩司選手”. J's GOAL (2005年9月12日). 2022年4月2日閲覧。2011年11月1日時点のアーカイブ。
  2. ^ a b c d e 唯一無二の存在へ”. サンフレッチェ広島公式 (2008年11月25日). 2022年4月3日閲覧。2010年1月7日時点のアーカイブ。
  3. ^ Jリーグで活躍する主な決勝大会卒業生”. 読売新聞. 2011年1月18日閲覧。
  4. ^ 地元の誇り サンフレ写真展”. 中国新聞 (2013年2月14日). 2013年2月15日閲覧。
  5. ^ 18歳森崎和 魅せた可能性”. 中国新聞 (1999年11月20日). 2011年1月18日閲覧。
  6. ^ 「経験」という糧は得た”. 中国新聞 (2000年1月2日). 2011年1月18日閲覧。
  7. ^ ゴールデンルーキー サンフレ7人衆”. 中国新聞 (2000年2月12日). 2011年1月18日閲覧。
  8. ^ 若手も成長 トップ4へ忍耐の時”. 中国新聞 (2000年3月18日). 2011年1月18日閲覧。
  9. ^ 日本プロスポーツ新人賞に森崎和ら3人”. 中国新聞(Internet Archive) (2001年1月25日). 2009年8月15日閲覧。
  10. ^ 森崎和幸選手の状況について”. サンフレッチェ広島公式 (2006年5月21日). 2011年1月18日閲覧。
  11. ^ 森崎和幸選手について”. J's GOAL (2009年6月19日). 2009年9月19日閲覧。
  12. ^ 森崎和、頼もしき合流、4カ月ぶり実戦練習”. 中国新聞 (2009年9月19日). 2009年9月19日閲覧。
  13. ^ 2016明治安田生命J1リーグ 1stステージ 第13節 森﨑 和幸 選手(広島)J1通算400試合出場達成”. Jリーグ.jp (2016年5月21日). 2018年11月23日閲覧。
  14. ^ 森崎和幸選手、現役引退のお知らせ”. サンフレッチェ広島 (2018年10月27日). 2019年11月19日閲覧。
  15. ^ 引退の広島森崎が初先発、置きみやげにACL出場権 日刊スポーツ 2018年12月1日
  16. ^ 森﨑和幸、ラストダンス。「広島のブスケッツ」の知られざる真価 footballista 2018年12月18日
  17. ^ 森崎和幸氏 クラブ・リレーションズ・マネージャー就任のお知らせ』(プレスリリース)サンフレッチェ広島、2019年1月31日https://www.sanfrecce.co.jp/news/other/5922019年11月19日閲覧 
  18. ^ 功労選手賞 受賞選手決定のお知らせ』(プレスリリース)日本プロサッカーリーグ、2019年10月24日https://www.jleague.jp/release/post-61275/2019年10月24日閲覧 
  19. ^ 森﨑和幸C.R.M「Jリーグ功労選手賞受賞」のお知らせ』(プレスリリース)サンフレッチェ広島、2019年10月24日https://www.sanfrecce.co.jp/news/other/21812019年10月24日閲覧 
  20. ^ 選手情報”. Sports Graphic Number. 2011年1月18日閲覧。[リンク切れ]
  21. ^ 駒野と森崎兄弟、体調維持に苦労”. 中国新聞(Internet Archive) (2000年2月27日). 2009-02-29閲覧。
  22. ^ サンフレッチェ広島の歴史の中心にいた背番号7番と8番 SPAIA 2017年11月10日
  23. ^ あの選手も実は双子!? 世界で活躍する仲良しツインズプレーヤーたち【編集部フォーカス】 フットボールチャンネル 2018年1月19日
  24. ^ 森保ジャパンに欠けているピースとは? 広島時代の栄光と失速に見る、日本代表の前途”. REAL SPORTS. 2020年7月20日閲覧。

関連情報 編集

CM出演

関連項目 編集

外部リンク 編集