森川 源吾(もりかわ げんご、1876年2月8日[1] - 1957年9月25日[2])は、日本弁護士政治家衆議院議員(1期)。

経歴 編集

滋賀県出身[2]1900年東京法学院[2]司法官試補、検事代理、判事となる[2]。その後、弁護士となり、大津弁護士会会長を務める[2]

1912年第11回衆議院議員総選挙において滋賀県郡部から立憲政友会公認で立候補して当選した[3]。衆議院議員を1期務め、1915年第12回衆議院議員総選挙には立候補しなかった。大浦事件1916年に懲役2か月、執行猶予3年、追徴金1000円の判決を受けた[4]。これにより従七位返上を命じられ[5]大礼記念章を褫奪された[6]。1957年に死去した。

脚注 編集

  1. ^ 衆議院『第二十九回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1912年、28頁。
  2. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』653頁。
  3. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』53頁。
  4. ^ 雲梯会『高松事件之顛末(前衆議院書記官長林田亀太郎氏関係)』雲梯会、1916年、pp.385-386。
  5. ^ 官報 1916年6月28日 六二二頁
  6. ^ 官報 1919年5月21日 四五七頁

参考文献 編集

  • 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。