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森 忠賛(もり ただすけ)は、播磨赤穂藩の第7代藩主。赤穂藩森家13代。

 
森忠賛
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 宝暦8年(1758年
死没 天保8年7月19日1837年8月19日
改名 槙蔵(幼名)、忠賛、粘華(法号)
戒名 梅龍院殿覚源宗真大居士
墓所 東京都港区東麻生の瑠璃光寺
官位 従五位下、伊予守、大内記、右兵衛佐
美濃
幕府 江戸幕府
播磨赤穂藩
氏族 森氏
父母 父:森忠洪、母:西宮氏、養父:森忠興
兄弟 忠興忠賛
正室:中川久貞の娘、側室:堤氏、鈴木氏
忠哲忠敬長篤
青木可度(十二男)、可象(十三男)、
千恵(関長輝正室、のち三浦毘次正室)、
娘(酒井忠良継室、のち石川総登正室)、
娘(米津政懿継室)、娘(森賛張室)、
娘(戸田麟平室)、娘(青木重龍正室)、
娘(落合某室)、娘(京極高聡継室)、
娘(脇坂某室、のち各務愛正室)
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宝暦8年(1758年)、第5代藩主・森忠洪の三男として生まれる(生年は宝暦10年(1760年)4月12日とも)。

安永9年(1780年)4月29日、兄で第6代藩主の忠興から世子に指名され、8月6日の兄の隠居家督を継ぎ、12月18日に従五位下・伊予守に叙位・任官する。

藩政では父・兄の学問振興的な政治路線から一変し、質素倹約や塩田開発、御用金調達、「国産塩専売仕法」による塩の専売など、現実的な藩政改革を行なって財政の引き締めを行なっている。ただし学問的な素養はあったようで、俳諧の道に進んで文学の発展にも尽くしている。

享和元年(1801年)5月23日、家督を四男・忠哲に譲って隠居する。後に美濃守に遷任する。天保8年(1837年)7月19日(7月17日とも)に死去した。享年80。