森曉
森曉(もり さとる、1907年(明治40年)6月19日 - 1982年(昭和57年)2月12日[1])は、日本の実業家、政治家。昭和電工社長、衆議院議員。衆議院議員の森清・森美秀は弟。三木武夫の妻睦子は妹である。
森曉 もり さとる | |
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1953年 | |
生年月日 | 1907年6月19日 |
出生地 | 千葉県勝浦市 |
没年月日 | 1982年2月12日(74歳没) |
出身校 |
京都帝国大学 (現・京都大学) |
前職 |
昭和電工代表取締役社長 ナスステンレス代表取締役社長 日本冶金工業代表取締役社長 日本精線代表取締役社長 千葉工業大学理事長 |
所属政党 |
(日本自由党→) 民主自由党 |
称号 | 藍綬褒章 |
親族 |
森矗昶(父) 森清(弟) 森美秀(弟) 安西満江(妹) 三木睦子(妹) 田中三重子(妹) 岩瀬亮(叔父) 森英介(甥) |
選挙区 | 旧千葉3区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1946年4月11日 - 1952年8月28日 |
来歴・人物
編集森コンツェルンの創設者、森矗昶の長男として千葉県に生まれる。東京府立第五中学校、成城高等学校を経て、1934年(昭和9年)京都帝国大学文学部を卒業[2]。昭和電工社長、千葉工業大学理事長などを務めた。1946年(昭和21年)千葉県から第22回衆議院議員総選挙に立候補し、当選。2期務める。日本自由党、民主自由党に所属した。1948年(昭和23年)11月、昭和電工に関する問題に関し、衆議院不当財産取引調査特別委員会に証人喚問された[3]。
その後選挙地盤を実弟の清に譲って政界から退き、実業家として専念。1954年(昭和29年)日本冶金社長、1958年(昭和33年)ナスステンレス社長、1961年(昭和36年)日本精線社長を歴任し、1965年(昭和40年)に功績により藍綬褒章を受章した。1982年(昭和57年)2月12日死去。享年74。
家族
編集出典
編集外部リンク
編集ウィキメディア・コモンズには、森曉に関するカテゴリがあります。
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