植村 氏明(うえむら うじあき)は、戦国時代武将徳川氏の家臣。

 
植村氏明
時代 戦国時代
生誕 永正17年(1520年
死没 天文21年8月4日1552年8月23日
別名 栄安、家次、通称:新六、新六郎
官位 出羽受領名
主君 松平清康広忠徳川家康
氏族 植村氏
父母 父:植村氏義
兄弟 氏明泰基、小夜(本多忠高正室)
家存氏宗
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植村氏清和源氏の一流である摂津源氏の流れを汲む美濃源氏の嫡流・土岐氏の末裔を称する。

氏明は松平家3代(清康広忠家康)に仕えた。

天文4年(1535年)、主君・松平清康が森山崩れ阿部正豊に唐竹割りに両断された際、正豊をその場で斬っている[1]。また、天文18年(1549年)に次代の主君・松平広忠が岩松八弥に斬られた時も、氏明が首を斬り感状を与えられた(ただし広忠の死因には労咳説もあり、その場合この話は創作となる)。

天文21年(1552年)、尾張国沓掛で発生した織田軍との合戦で戦死した。

脚注編集

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  1. ^ 熊田葦城 (1925年). “植村氏明主君の讐を斬る”. 国立国会図書館デジタル. 青年美談 (保護期間満了). 国立国会図書館. pp. 49-50. 2019年2月26日閲覧。