1958年9月3日に米海軍機から撮影された、軍事演習で魚雷回収船として使用される標的艦TsL-24(元駆逐艦椎)
艦歴
計画 1944年(昭和19年)度計画
建造所 舞鶴海軍工廠
起工 1944年9月18日
進水 1945年1月13日
竣工 1945年3月13日
除籍 1945年10月5日
その後 1947年7月5日ソ連へ引き渡し
1959年除籍
要目(計画値)
排水量 基準:1,262トン
公試:1,530トン
全長 100.00m
全幅 9.35m
吃水 3.30m
主缶 ロ号艦本式缶2基
主機 艦本式タービン2基2軸 19,000馬力
速力 27.8ノット
航続距離 18ノットで3,500海里
燃料 重油370トン
乗員 211名/320名[1]
兵装 40口径12.7cm単装高角砲 1基
40口径12.7cm連装高角砲 1基
25mm連装機銃 4基
25mm単装機銃 12基
61cm4連装九二式魚雷発射管 1基4門(予備魚雷なし)
九四式爆雷投射機 2基、爆雷投下軌条×2、(二式爆雷 36発)
四式水中聴音機

(しい)は日本海軍駆逐艦。仮称4811号艦、橘型(改松型)駆逐艦として舞鶴海軍工廠で建造された。

艦名は植物のによる。この艦名を持つ最初の艦船である。

艦歴 編集

1944年(昭和19年)9月18日に舞鶴海軍工廠で起工、1945年(昭和20年)1月13日に進水し、3月13日に竣工した。

竣工後、訓練部隊の第十一水雷戦隊高間完少将・海軍兵学校41期)に編入。瀬戸内海西部に回航され、回航当時は健在だった戦艦大和」の姿に圧倒されたり[2]、発電機の不良[3]や搭載した重油に塵埃が混入する[4]などのトラブルがありながらも訓練に従事する。5月20日付で第三十一戦隊鶴岡信道少将・海兵43期)第四十三駆逐隊に編入される[5]。6月5日、豊後水道で訓練中に触雷して損傷。7月24日には平生回天発射訓練中にP-51 と交戦し、損傷はしなかったものの戦死者を出した[6]

終戦時は無傷でにあり、同地にて8月17日にアメリカ海軍へ引き渡され、武装解除を受けた。10月5日付で日本海軍から除籍された。10月25日から外地からの復員輸送に従事した。12月1日付けで正式に特別輸送艦に指定され、翌昭和21年12月13日までの間に、沖縄~日本を含め20回以上の復員輸送に従事した。

1947年(昭和22年)7月5日、ナホトカで賠償艦としてソ連に引渡された。艦名は自由な(もしくは無料の、あるいは生意気な)という意味のヴォーリヌイロシア語:Вольныйヴォーリヌィイ)に改められ、ソ連海軍で駆逐艦に相当する艦隊水雷艇(эскадренный миноносец)に分類された。1947年8月中旬、ウラジオストクへ到着し、太平洋艦隊に編入された。しかし、活用されることなく同地にて1949年3月まで係留された。同月中旬に類別を標的艦корабль цель)に変更され、艦名もTsL-24ЦЛ-24ツェエール・ドヴァーッツァチ・チトィーリェ)と改められた。その後、1959年まで訓練用に使用された。その年の11月、ソ連海軍から除籍され、解体された。ヴォーリヌイの艦名は、30-bis号計画型艦隊水雷艇に受け継がれている。

歴代艦長 編集

艤装員長
  1. 青山豊四 少佐:1945年2月20日[7] - 1945年3月13日[8]
駆逐艦長/艦長
  1. 青山豊四 少佐/第二復員官/第二復員事務官/復員事務官:1945年3月13日[8] - 1946年8月2日[9]
  2. 石飛矼 復員事務官:1946年8月2日[9] - 1947年1月10日[10]
  3. 武田新太郎 復員事務官:1947年1月10日[10] -

参考文献 編集

  • 第十一水雷戦隊司令部『自昭和二十年三月一日至昭和二十年三月三十一日 第十一水雷戦隊戦時日誌』(昭和19年6月1日~昭和20年6月30日 第11水雷戦隊戦時日誌(6)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030127900
  • 第十一水雷戦隊司令部『自昭和二十年四月一日至昭和二十年四月三十日 第十一水雷戦隊戦時日誌』『自昭和二十年五月一日至昭和二十年五月三十一日 第十一水雷戦隊戦時日誌』(昭和19年6月1日~昭和20年6月30日 第11水雷戦隊戦時日誌(7)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030128000
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史 第7巻』(第一法規出版、1995年)
  • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』(光人社、1993年) ISBN 4-7698-0386-9
  • 外山操『艦長たちの軍艦史』(光人社、2005年) ISBN 4-7698-1246-9
  • 「歴史群像」編集部『歴史群像太平洋戦史シリーズVol.43 松型駆逐艦』(学習研究社、2003年) ISBN 4-05-603251-3

外部リンク 編集

脚注 編集

  1. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127900, pp.37
  2. ^ 中川寛之「第三十一戦隊と丁型駆逐艦部隊全史」『松型駆逐艦』156ページ
  3. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127900, pp.48
  4. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030127900, pp.50
  5. ^ 『第十一水雷戦隊戦時日誌』C08030128000, pp.34
  6. ^ 中川, 158ページ
  7. ^ 昭和20年2月26日付 秘海軍辞令公報 甲 第1731号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C13072103500 で閲覧可能。
  8. ^ a b 昭和20年3月26日付 秘海軍辞令公報 甲 第1755号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C13072103900 で閲覧可能。
  9. ^ a b 昭和21年8月10日付 復員庁第二復員局辞令公報 甲 第40号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C13072159500 で閲覧可能。
  10. ^ a b 昭和22年1月27日付 復員庁第二復員局辞令公報 甲 第127号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C13072160100 で閲覧可能。

関連項目 編集