楊 隆演(よう りゅうえん)は、十国の第3代王。もとの名は瀛。太祖楊行密の次男。子は楊玢。

高祖 楊隆演
第3代王
王朝
在位期間 天祐5年5月9日 - 武義2年5月28日
908年6月10日 - 920年6月17日
都城 江都
姓・諱 楊瀛→楊隆演
鴻源
諡号 宣王
宣皇帝(睿帝による)
廟号 高祖
生年 乾寧4年(897年
没年 武義2年5月28日
920年6月17日
太祖
陵墓 粛陵
年号 武義 : 919年 - 920年
※諱は楊渭とも作る

生涯 編集

天祐5年(908年)、兄の烈祖楊渥が左衙指揮使の張顥と右衙指揮使の徐温に殺害され、楊隆演が跡を継いだ。淮南節度使・東南諸道行営都統・同平章事・弘農郡王となったが、実権は張顥を殺害した徐温の手にあった。

天祐7年(910年)、中書令・呉王となった。

天祐16年(919年)、呉国王の位につき、武義と改元し、唐の年号を絶った。温厚な性格だったが、徐温父子の専横に不満を抱き、酒色にふけり食物をあまり摂らなくなったため病にかかり、武義2年(920年)に死去した。宣王とされた。弟の楊溥が跡を継ぎ、楊溥が皇帝を称すると宣帝とされた。廟号は高祖。

先代
烈祖
十国呉の第3代
908年 - 920年
次代
睿帝