楠木 九八郎(くすき きゅうはちろう、1832年 - 1881年)は、尾張国中村(現在の愛知県名古屋市中村区)出身の宿役人[1]

楠木 九八郎
生誕 1832年
尾張国中村
死没 1881年
職業 宿役人
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経歴 編集

 
佐屋宿三里の渡し(『尾張名所図会』)

佐屋宿佐屋街道最大の宿場町であり、桑名宿に渡る三里の渡しの起点だった。佐屋宿が繁栄を謳歌するのにともない、尾張藩海東郡海西郡を統括する佐屋代官所を置いている。楠木は佐屋宿における宿役人であり、船・陸問屋を兼任していた[2]。1868年(明治元年)と1869年(明治2年)に行われた明治天皇東京行幸時には楠木家が行宮となり、それ故に一時期は楠木家が史跡に指定されたが、1872年(明治5年)に宿駅制度が廃止されたことで移転を余儀なくされた[2]。行宮は海部郡津島町の浄光寺に移築され、門は海部郡佐屋村の善定坊に移築されている[2]。津島で毛織物業を営んでいた片岡孫三郎(片岡春吉の養父)と親交があった。

脚注 編集

  1. ^ 宿役人 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
  2. ^ a b c 『地方自治政の沿革と其の人物〔愛知県〕』

参考文献 編集

  • 『地方自治政の沿革と其の人物〔愛知県〕』(自治通信社 1929年)