榊 俶(さかき はじめ、安政4年8月28日1857年10月15日) - 明治30年(1897年2月6日[1])は、明治期の医師医学博士。幼名は善太郎[1]。父は蘭学者の榊令輔[1]。弟の榊順次郎榊保三郎も医学者である[2]

榊 俶
生誕 1857年10月15日
江戸下谷[1]
死没 1897年2月6日
国籍 日本の旗 日本
教育 東京大学
職業 精神医学者
著名な実績 東京帝国大学医科大学初代精神病学教授、巣鴨病院医長
親戚 榊令輔(父)、榊順次郎榊保三郎(弟)
医学関連経歴
分野 精神医学、病理解剖、法医学[1]
所属 帝国大学医科大学

明治13年(1880年)に東京大学を卒業後、明治15年(1882年)にベルリン大学に留学し精神病学を専攻した[1]。明治19年(1886年)に帰国、帝国大学医科大学教授に就任し、精神病学教室を開設、帝国大学医科大学草創期において精神病精神衛生、小児精神論、看護法を講じ、剖検、司法精神鑑定相馬事件など幅の広い活動を行なった[1]。墓所は染井霊園(1イ-5-8)。

脚注 編集

  1. ^ a b c d e f g 榊俶』 - コトバンク
  2. ^ 榊保三郎と 「優等児」 研究: 明治・大正期の優秀児教育論解明への一端 南真紀子 2006年

関連項目 編集