槍ヶ嶽 峯五郎(やりがたけ みねごろう、1896年12月28日 - 1926年5月30日[1])は、長野県更級郡西寺尾村(現長野市)出身で熊ヶ谷部屋出羽海部屋に所属した大相撲力士。本名は吉村 親太郎。173cm、86kg。最高位は東前頭9枚目。

経歴 編集

1916年1月場所に初土俵。1921年5月場所十両昇進、1923年5月場所に新入幕。左四つの寄りを得意としたが、これといって特徴がなく、幕内下位に低迷。 1926年1月場所幕内下位で負け越して十両陥落必至となったが、場所後の台湾巡業でマラリアに罹患。 十両に陥落した1926年5月場所を全休し療養に務めたがその甲斐もなく、場所後の5月30日現役中に死亡した。

成績 編集

  • 幕内6場所24勝40敗1休
  • 幕下優勝1回

改名 編集

岸ノ枩→槍ヶ嶽 [2]

出典 編集

  1. ^ https://web.archive.org/web/20010922203318/http://www.fsinet.or.jp/~sumo/profile/1/19230501.htm
  2. ^ 大相撲力士名鑑平成13年版、水野尚文、京須利敏、共同通信社、2000年、ISBN 978-4764104709

関連項目 編集