樋口 弥治郎(ひぐち やじろう、? - 享保12年3月12日1727年5月2日))は、江戸時代中期の一揆指導者[1]。名は弥次郎とも書く[2]

経歴・人物 編集

美作国真島郡見尾村(現:岡山県真庭市見尾)の農民[1]

享保11年(1726年美作国津山藩領で起こった山中一揆の指導者のひとり[1]。山中一揆では約4000人の農民が蜂起し、年貢増徴策の強行への反対と村役人の不正の糾弾を訴え、村役人の宅を打ちこわし、藩に要求書を提出した[2]。藩は一部要求を一旦飲んだが、弥治郎を初めとした多数の農民が捕らえられ、処刑された[1][2]

のち義民として祭られ、供養碑が見尾に建てられた[2]。碑には「義民樋口弥治郎之碑」と刻まれている[2]

脚注 編集

  1. ^ a b c d デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『樋口弥治郎』 - コトバンク
  2. ^ a b c d e 朝日日本歴史人物事典(朝日新聞社)『樋口弥次郎』 - コトバンク