横山準
1928-, 元子役、俳優。
横山 準(よこやま じゅん、1928年1月15日 - )は、日本の元子役、俳優である[1][2]。本名は横山 昇一(よこやま しょういち)[1][2]。子役時代の芸名は爆弾小僧(ばくだんこぞう)[1][2]。
よこやま じゅん 横山 準 | |
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本名 | 横山 昇一(よこやま しょういち) |
別名義 | 爆弾小僧(ばくだんこぞう) |
生年月日 | 1928年1月15日(96歳) |
出生地 | 日本 新潟県東頚城郡(現在の同県十日町市) |
職業 | 元子役、俳優 |
ジャンル | 劇映画(時代劇・現代劇、サウンド版、トーキー) |
活動期間 | 1933年 - 1952年 |
主な作品 | |
『有りがたうさん』 『風の中の子供』 『按摩と女』 |
来歴・人物
編集1928年(昭和3年)1月15日、新潟県東頚城郡(現在の同県十日町市)に生まれる[1][2]。
1933年(昭和8年)3月1日、松竹蒲田撮影所に入社[1][2]。野村芳亭監督映画『島の娘』に初出演する。1935年(昭和10年)の清水宏監督映画『若旦那 春爛漫』から爆弾小僧の芸名を名乗る[3]。『有りがたうさん』『風の中の子供』『按摩と女』など清水の作品に多数出演、また斎藤寅次郎監督の映画にも重用される。同時期に松竹に所属していた突貫小僧、葉山正雄、アメリカ小僧とともに子役の四天王と評された[4]。1934年(昭和9年)に発行された『日本映画俳優名鑑 昭和九年版』(映画世界社)によると、東京府東京市蒲田区新宿町(現在の東京都大田区蒲田)のアパートに住み、身長は3尺5寸(約106.1センチメートル)、体重は7貫300匁(約27.4キログラム)、ランニング、お菓子を好んでいるという旨が記されている[2]。
1940年(昭和15年)に横山準と改名[4]。1941年(昭和16年)の『みかへりの塔』に主演以降脇役にまわり、戦後も引き続き松竹に在籍する。1952年(昭和27年)公開の『三百六十五代目の親分』に出演後引退した[4]。
おもなフィルモグラフィ
編集- 『恋愛修学旅行』(1934年、監督:清水宏)
- 『東京の英雄』(1935年、監督:清水宏)
- 『若旦那 春爛漫』(1935年、監督:清水宏)
- 『彼と彼女と少年達』(1935年、監督:清水宏)
- 『車に積んだ宝物』(1936年、監督:斎藤寅次郎)
- 『有りがたうさん』(1936年、監督:清水宏)
- 『大学よいとこ』(1936年、監督:小津安二郎)
- 『一人息子』(1936年、監督:小津安二郎)
- 『風の中の子供』(1937年、監督:清水宏)
- 『按摩と女』(1938年、監督:清水宏)
- 『愛染かつら』前・後編(1938年、監督:野村浩将)
- 『子供の四季』前・後編(1939年、監督:清水宏)
- 『父よあなたは強かった』(1939年、監督:原研吉)
- 『ともだち』(1940年、監督:清水宏)
- 『みかへりの塔』(1941年、監督:清水宏)
- 『簪』(1941年、監督:清水宏)
- 『父ありき』(1942年、監督:小津安二郎)
- 『生きてゐる孫六』(1943年、監督:木下恵介)
- 『陸軍』(1944年、監督:木下恵介)
- 『シミ金のスポーツ王』(1949年、監督:川島雄三)
- 『白痴』(1951年、監督:黒澤明)
- 『三百六十五代目の親分』(1952年、監督:秋山耕作)
脚注
編集参考文献
編集- 『日本映画人名事典 男優篇・下巻』(キネマ旬報社、1996年)p878 - 879の「横山準」の項を参照。執筆者は清水晶。