横江 怜(よこえ れお、1983年6月13日 - )は、東京都出身のフットサル選手。ポジションはアラ/フィクソ。2007年に代々木体育館で開幕した日本フットサルリーグ、通称FリーグにPESCADOLA町田の選手として開幕戦からピッチに立ちゴールを取り、そのシーズンに21得点をあげFリーグの得点王となり、その直後のスペイン遠征でフットサル日本代表デビュー。Fリーグ通算333試合出場。2020年引退。現在、日本サッカー協会JFAのフットサル委員に就任し、ABEMAにてFリーグの解説者。視覚障がいの子供たち向けに全国でイベントを行うなど、フットサルの普及活動を積極に行なっている。

横江 怜
名前
愛称 レオ
ラテン文字 YOKOE LEO
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1983-06-13) 1983年6月13日(40歳)
出身地 東京都
身長 173cm
体重 67kg
選手情報
在籍チーム PESCADOLA町田
ポジション アラ/フィクソ
背番号 9
利き足 右足
代表歴
2007〜2012年 日本代表
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

経歴 編集

小学校からサッカーを始める。6年生では日本代表としてアメリカ遠征。中学時代はJリーグJEF千葉のジュニアユースに所属、中学3年生で全国大会で優勝した。駒沢高校で高校サッカーを経験し、選手権後にフットサルの門を叩くと20歳でフットサル日本代表候補合宿に招集された。 [1]

日本フットサルリーグ初年度の2007-08シーズン、第1節のシュライカー大阪戦でボレーシュートを決めて初得点を挙げる[2]と、第5節から第11節まで7試合連続得点のリーグ記録を作り、最終的に18試合21得点でFリーグの初代得点王に輝いた[3]。ポジションはアラやフィクソであるが、第2PKでリーグ断トツの9得点を稼いだことが得点王に繋がった。その年に日本代表としてデビュー。

2010年にはフットサル日本代表として2010 AFCフットサル選手権に出場するメンバーに選ばれた。

2014年9月21日のデウソン神戸戦ではFリーグ通算100得点を達成した[4]。2015年1月31日のバサジィ大分戦ではFリーグ通算200試合出場を達成した[5]。通算6人目。2014-15シーズンは30試合に出場してリーグ11位の16得点を決め、うち第2PKではリーグトップの6得点を決めた[4]。そのシーズンにチーム史上初となる全日本フットサル選手権大会の決勝でもゴールを決めて優勝し、日本一となった。2018年10月20日にFリーグ通算300試合出場を達成した。移籍をせずに同一クラブで達成はリーグ史上初の記録。

2020年に通算333試合出場でFリーグから引退。その後は日本サッカー協会JFAのフットサル委員に就任。ABEMAのFリーグ解説者としても活躍。JFAの100周年記念表彰で功労賞受賞。全国で視覚障がいの子供たちに無料でサッカー教室を開催するなど、日本全国でサッカー、フットサルの普及活動を精力的に行なっている。

所属クラブ 編集

代表歴 編集

タイトル 編集

  • Fリーグベスト5(1) : 2007-08
  • Fリーグ得点王(1) : 2007-08
  • 2015年 全日本フットサル選手権大会優勝
  • 全国フットサル選抜大会優勝(2005、2006)

個人成績 編集

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 オーシャン杯 全日本選手権 期間通算
2007-08 町田 9 Fリーグ 18 21
2008-09 21 11
2009-10 25 15
2010-11 25 12
2011-12 27 10 1 0
2012-13 24 11
2013-14 33 14
2014-15 30 16
2015-16 24 6
2016-17 29 10
2017-18 30 5
2017-18 27 1
2017-18 20 2
通算 日本 Fリーグ 333 134
総通算

脚注 編集

  1. ^ 横江怜『基本を極める!フットサルテクニック』株式会社大泉書店、2008年、159ページ、ISBN 978-4-278-04906-0
  2. ^ 第1節(9/23開催分)の試合レビュー Fリーグ公式サイト
  3. ^ 初代得点王は、横江怜選手! Fリーグ公式サイト
  4. ^ a b ペスカドーラ町田・横江怜「選手権は、危機感を持ってやれば結果を出せるチームだと思う」 デジタルピヴォ! 2015年2月20日
  5. ^ 横江怜選手(町田)、完山徹一選手(浦安) Fリーグ通算200試合出場達成 Fリーグ 2015年2月2日

外部リンク 編集