横浜F・マリノス

日本のサッカークラブ

横浜F・マリノス(よこはまエフ・マリノス、Yokohama F・Marinos)は、日本神奈川県横浜市横須賀市大和市[1]をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。

横浜F・マリノス
原語表記 横浜F・マリノス
呼称 横浜F・マリノス
愛称 横浜FM、F・マリノス、マリノス、日産
クラブカラー     ブルー[1]
    レッド[1]
    ホワイト[1]
創設年 1972年
所属リーグ 日本プロサッカーリーグ
所属ディビジョン J1リーグ
クラブライセンス J1
ホームタウン 神奈川県横浜市横須賀市大和市[1]
ホームスタジアム Nissan Stadium 20101123.jpg
日産スタジアム[1]
収容人数 72,327[2]
運営法人 横浜マリノス株式会社[1]
代表者 日本の旗 黒澤良二[1]
監督 オーストラリアの旗 ケヴィン・マスカット
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ
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近年は、2014年にシティ・フットボール・グループと交わした提携の成果が現われている。

概説編集

日産自動車サッカー部を前身として1992年に創設された、Jリーグ創設時からの加盟チーム(いわゆるオリジナル10)の一つで、元々のチーム名は「横浜マリノス」だったが、1999年に同じく横浜を本拠地としたオリジナル10の横浜フリューゲルスを吸収合併した際に、フリューゲルスを表す「F」の文字を入れた。チーム名の「マリノス (Marinos)」は、スペイン語船乗り水夫海兵隊員などを意味する[1]。Jリーグ公式サイト及びテレビ中継では「横浜FM」、スポーツ振興くじ(toto)では「横浜M」と略される。なお、スポーツ新聞においては日刊スポーツとスポーツニッポンが、マリノスとフリューゲルスの合併以降、Fマリノスを「横浜」と表記している。

チームカラーは「[1] の三色(トリコロール)。この三色は元々日産自動車コーポレートカラーであった。各色の意味合いは、青「冷静さと港町・横浜の海」、赤「スポーツに触れ合う場をつくり、皆が誇れるクラブを目指す」、白「皆に支えられ、息の長い活動を続ける、自立したサッカークラブを目指す」[3]

ホームタウンは神奈川県横浜市、横須賀市[1]。横須賀市では1987年より夏島町追浜地区にてサッカースクールを開講している縁で2005年1月25日に、大和市は2006年より市内にてサッカースクールを開講している縁で2017年4月27日に、それぞれホームタウンへの追加が認められた[4][5]。ホームスタジアムは横浜市港北区日産スタジアム(横浜国際総合競技場)[1]。Jリーグ発足当初より横浜市神奈川区ニッパツ三ツ沢球技場(三ツ沢公園球技場)を使用していたが、2016年よりJリーグへの届け出上の本拠地を日産スタジアムに一本化した(詳細後述)。

クラブマスコットは、カモメをモチーフとした「マリノス君」と「マリノスケ」、「マリン」である[6]。マリノスケは『月刊コロコロコミック』誌上で誕生、マリノス君の甥という設定。マリノスケはホームゲーム以外に地域のイベントにも参加している。マリンは2022年2月14日にマリノスケの妹(つまりマリノス君の姪)が海外から帰ってきた設定で登場、同年2月19日ホームゲームのセレッソ大阪戦にて初のお披露目が為された。また横浜FM非公認のマスコットとして「ワルノス」が2008年に誕生。「ワルノスクイーン」と共に行動している[7]。2008年の開幕戦は「トリコロールランド」でダンスを披露。2008レジェンド・オブ・F・マリノスのトレーディングカードにも登場、非売品のグッズ(バンダナなど)のプレゼントや広報活動を行っている。2022年現在は、ワルノスの活動は休止している。2010年にチームよりTシャツとコインパースが公式グッズとして発売。2012年3月31日、日本サッカー協会文部科学省から独立し、翌4月1日、横浜FMの20周年記念に来日後(記念カード発売)、テレビカメラへの取材に応じた元アルゼンチン代表FWダビド・ビスコンティと共に、日本発祥の米菓、煎餅にちなんだグッズを紹介するなどのユニークなPRも行った。

クラブ数が増加し、近年はオリジナル10のチームのJ2降格も相次ぐなか、下位リーグへの降格経験が一度もないクラブである。2022年シーズン終了時点で、創設メンバーで一度も降格がないクラブは他に鹿島アントラーズのみである(合併で消滅した横浜フリューゲルスを除く)。

運営会社編集

横浜マリノス株式会社[1]
YOKOHAMA MARINOS LTD.
種類 株式会社
市場情報 未上場
本社所在地 222-0033[1]
神奈川県横浜市港北区新横浜2-6-3 DSM新横浜ビル 5F[1]
設立 1992年7月17日
業種 サービス業
法人番号 7020001023990  
事業内容 サッカークラブの運営
代表者 黒澤良二(代表取締役社長)
資本金 9,900万円(2018年1月期)[8]
売上高 47億6,500万円(2018年1月期)[8]
営業利益 600万円(2018年1月期)[8]
経常利益 2,400万円(2018年1月期)[8]
純利益 374万7000円
(2022年01月31日時点)[9]
総資産 20億7223万4000円
(2022年01月31日時点)[9]
決算期 1月期
主要株主 日産自動車
シティ・フットボール・ジャパン
外部リンク http://www.f-marinos.com
特記事項:1999年2月、日産フットボールクラブ株式会社から商号変更[1]
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運営会社である横浜マリノス株式会社は、元々は日産自動車の全額出資により設立・運営されていた(当時の商号は日産フットボールクラブ株式会社)が、横浜フリューゲルスとの経営統合時に、フリューゲルスの運営母体であった全日空スポーツを合併しており、全日空スポーツの親会社である全日本空輸 (ANA) が資本参加して「日産70%・ANA30%」の資本構成となった。2002年2月1日付でANA出資分を日産が買い取り、再び日産の完全子会社となったが、2005年2月1日付で第三者割当増資を行い、神奈川県に本社を置く7社[注 1] から0.98%ずつの出資を受けた[10]

2014年7月、マンチェスター・シティFCを運営するシティ・フットボール・グループ (CFG) が日産自動車と「グローバルサッカーパートナーシップ」を締結[11]。これに伴い、日産自動車の保有株式(全体の約93%)のうち20%弱を取得し、日産に次ぐ第2位の株主となった[12]。なお、実際のマネジメントはCFGの全額出資により設立された日本法人「シティ・フットボール・ジャパン」となり[13]、2016年には同社社長である利重孝夫がチーム統括本部長に就任している。

なお、日産自動車株式会社は2016年燃費試験の不正問題のため、経営難に陥っていた三菱自動車工業株式会社を傘下に収めて再建を行うことになり、これに際して、Jリーグ・浦和レッドダイヤモンズとの「クロスオーナーシップ」の規制を記載した「Jリーグ規約第25条(5)」[注 2]に抵触するため、浦和レッズのスポンサーに関しては三菱自工保有株式を三菱重工業株式会社と共同で立ち上げた持株会社ダイヤモンドF.C.パートナーズ株式会社」[15] へ譲渡したうえで、三菱自工の株式保有率を下げることにより、このクロスオーナーシップの問題を解消させている。

歴史編集

前身編集

1990年代編集

1991年

Jリーグ加盟[1]

1992年

監督は清水秀彦。元旦の天皇杯は日産FC横浜マリノスとして読売クラブを破り優勝。この年から開催されたナビスコカップは予選リーグ敗退。

JSL終了後に柱谷哲二が退団し、V川崎に移籍。


1993年

監督は清水秀彦5月15日Jリーグの開幕試合V川崎戦)に勝利。

サントリーシリーズ(以降、1stステージ)は第10節までは5勝4敗1分で下位に低迷。第11節からラモン・ディアスの2試合連続ハットトリックの活躍もあり4連勝で首位鹿島と勝ち点6差の2位に浮上。しかし、第15節に鹿島との直接対決に敗れ、さらに第17節で横浜Fに敗れたことでV川崎にも抜かれ最終的にステージ3位。NICOSシリーズ(以降、2ndステージ)は開幕節でV川崎に勝利。しかし、その後は2度の連敗もあり順調に勝利を重ねたV川崎に勝ち点差を広げられてしまい勝ち点差18のステージ3位。V川崎とともにJSL時代からの名門クラブで期待が大きかったものの、1度も優勝争いに絡むことなく年間順位は4位でJリーグ初年度を終えた。

ナビスコカップはグループリーグ5位で敗退。天皇杯は準々決勝で広島に敗北。

ラモン・ディアスが28得点でJリーグ初代得点王となった。

ベストイレブンにラモン・ディアス井原正巳松永成立が選出された。


1994年

監督は前年に続き清水秀彦。元日本代表DFの勝矢寿延が、この年Jリーグに昇格し元日本代表監督のハンス・オフトが監督に就任したジュビロ磐田に移籍。川口能活らが入団。メディナベージョが2月のアルゼンチン遠征から加入。ディアス、サパタの元リバー・プレート所属のリバー・プレートトライアングルが形成された[17]

1stステージは第8節まで4連敗を含め1勝7敗。第9節、第10節を連勝するも、第11節から5連敗と大きく低迷してステージ9位。2ndステージは第10節でV川崎と同勝ち点の首位。しかし、第11節から4連敗してベルマーレ平塚にも抜かれ最終的には首位V川崎に勝ち点9差のステージ3位。2年連続でリーグ戦の優勝争いに絡めずに年間順位は6位でシーズンを終えた。

ナビスコカップは準決勝でジュビロ磐田に敗れ、天皇杯は準決勝でJFL所属のC大阪に敗戦。

ベストイレブンに井原正巳が選出された。

日産時代から4シーズン指揮してきた清水秀彦が監督を退任。ミスターニッサンと呼ばれた木村和司が引退。


 

1995年1stシリーズ最終節スタメン

1995年

ホルヘ・ソラリが監督に就任。松田直樹安永聡太郎らが入団。アルゼンチントライアングルや野田知三浦文丈らが活躍。1stステージは鹿島と優勝を争う展開となった。5月にソラリ監督が体調を理由に退団したため早野宏史が監督に就任。監督交代後も好調を維持して第15節に首位に立つ。その後、途中3連敗があったものの、鹿島も3連敗を喫したことで首位を維持。その間に連勝を重ねたV川崎に勝ち点3差まで詰め寄られるも、最終節で鹿島に勝利して1stステージ初優勝。2ndステージは第7節から7連勝(PK勝利を含む)して首位V川崎を追いかけるが第14節の直接対決に敗れる。ディアス退団の穴を埋められず、メディナベージョの負担が大きくなってしまったことも影響し、最終盤にも3連敗を喫してしまい首位V川崎と勝ち点13差のステージ3位。

JSL時代のライバル対決となったV川崎とのJリーグチャンピオンシップは、第1節はビスコンティのゴールで1-0で勝利。第2節は井原正巳のゴールで1-0で勝利し、Jリーグ初優勝。

ナビスコカップは日程の問題で不開催。天皇杯はJFL所属の福岡ブルックスに敗北。

新人王に川口能活が、ベストイレブンに井原正巳鈴木正治が選出された。

長く攻撃を牽引していたラモン・ディアスが第6節終了後に退団。第11節から川口にスタメンを奪われる形になり、ソラリと対立した松永成立が5月に京都に移籍。1stステージ終了後に水沼貴史が引退。


1996年

メディナベージョが退団。アルベルト・アコスタネストル・ゴロシートらを獲得。1シーズン制となったリーグ戦は開幕から5連敗。リーグ戦終盤も3連敗後に4連敗を喫するなど、一度も優勝争いに加わることなくシーズンを8位で終える。アコスタはシーズン前半に活躍したものの、ディアスやメディナベージョの穴を埋めることはできず、リーグ戦30試合の得点数は39得点でリーグワースト5位。前年の1stステージ26試合で記録した47得点にも及ばなかった。シーズン終了後に早野宏史を解任。

ナビスコカップは予選A組敗退。天皇杯は3回戦でJFL所属の大塚製薬サッカー部に敗北。

1995年の優勝に貢献したビスコンティサパタが退団。

ベストイレブンに井原正巳が選出された。


1997年

ハビエル・アスカルゴルタが監督に就任。ジェフユナイテッド市原から日本代表FW城彰二桐光学園より中村俊輔、元スペイン代表FWのフリオ・サリナスフリオ・セサル・バルディビエソが加入。城やサリナス、バルディビエソら攻撃陣が活躍して、年間得点数はリーグ2位の73得点を記録したが、失点が多くリーグワースト5位の59失点。1stステージは5位。2ndステージは3位。

Jリーグカップは予選B組敗退。天皇杯は4回戦でJFL所属の東京ガスサッカー部に敗北。

シーズン中にDFの鈴木正治が、シーズン終了後に元日本代表MFの山田隆裕が退団。

ベストイレブンに井原正巳が選出された。


1998年

シーズン開幕より横浜国際総合競技場がホームスタジアムに加わる。監督は前年に続きハビエル・アスカルゴルタ。選手の獲得を巡って監督とフロントが対立し、1stステージ4位の成績を理由にアスカルゴルタを解任。後任には1997年からアスカルゴルタとともに加入してヘッドコーチを担っていたアントニオ・デラ・クルスが就任。2ndステージは途中首位に立ったもののフリオ・サリナス、バルディビエソらの退団の影響もあり最終的にはステージ4位。

Jリーグカップは予選B組敗退。天皇杯は3回戦でJFL所属のブランメル仙台に敗北。

シーズン終了後に三浦文丈安永聡太郎が退団。


1999年

横浜フリューゲルス吸収合併により 横浜F・マリノス へ名称を変更。監督は前年2stステージから引き続きアントニオ・デラ・クルス蔚山現代FCより柳想鐵が加入。横浜フリューゲルスから三浦淳宏波戸康広吉田孝行らが加わった。1stステージは7位。城彰二や中村俊輔の活躍もあり、2ndステージの前半は首位を快走。しかし、中盤の連敗で清水エスパルスに首位を明け渡し、最終盤の直接対決にも敗れて最終順位はステージ3位。

Jリーグカップは準々決勝でFC東京に敗北。天皇杯は準々決勝でV川崎に敗北。

若手の台頭をうけて世代交代を進めたいクラブの意向により、長年チームで活躍し「ミスターマリノス」と呼ばれた井原正巳にコーチ就任を要請をするも固辞され、井原は退団。1995年にリーグ優勝を経験した野田知が退団。

ベストイレブンに中村俊輔が選出された。

2000年代編集

2000年

オズワルド・アルディレスが監督に就任。1月に城彰二がレアル・バリャドリードに移籍。藏川洋平ハッダユーリッチラウル・マルドナードが加入。4月にエジミウソンが加入。ユースから石川直宏大橋正博らが昇格。

1stステージは開幕戦で敗れたものの攻撃陣が好調で第4節から4連勝。第12節に首位に立つ。第14節に優勝争いをしていたC大阪との直接対決に敗れて最終節を残して2位に下がる。しかし、最終節に勝利し、C大阪が負けたため5年ぶりに1stステージ優勝。

夏に城彰二が再加入。攻撃陣がより強力になったはずの2ndステージ開幕戦は完封され敗戦。その後もステージ優勝に絡むことなく5位に終わる。攻撃陣は柳想鉄が好調を維持し年間17得点するも、城やエジミウソンが不調を脱しきれず、2ndステージの得点数は1stステージより8減り、失点数は3増えた。 鹿島とのチャンピオンシップは1分(0-0)1敗(0-3)で1点も取れずに優勝を逃した。

ナビスコカップ、天皇杯ともに準々決勝で鹿島に敗れる。

中村俊輔が史上最年少でMVPを受賞。

シーズン開幕前にハッダが退団。シーズン途中に吉田孝行大分に移籍。シーズン終了後にマルドナード、藏川らが退団。


2001年

前年の主力選手であった三浦淳宏柳想鉄らが移籍。新加入選手は鹿児島実業高校から田原豊市立船橋高校から本橋卓巳、ユースから金子勇樹田中隼磨らの若手主体。

この影響で1stステージは開幕から低迷して第6節でようやく初勝利。その後も4連敗もあり1stステージは3勝2分10敗で15位。得点力不足は深刻で7試合が0得点だった。シーズン途中の6月にアルディレス監督を解任。

6月に左伴繁雄が社長に就任してチームのテコ入れを行い、2ndステージからセバスティアン・ラザロニが監督に就任。ステージ開幕戦から3連勝でスタートしたものの直後に3連敗。それでもラザロニとともに加入したブリットナザドゥトラらの活躍により、2ndステージは6勝3分6敗で10位。年間順位13位で降格を免れた。

リーグ戦の得点数はリーグワーストの32得点。失点数はステージ優勝した磐田、鹿島に次ぐリーグ3位の44失点。2ndステージから加入したブラジル人選手と、日本代表の松田、小村、川口らが堅守でチームを救った形になった。

ナビスコカップは決勝でジュビロ磐田を下して初優勝。天皇杯は3回戦で京都に敗れた。

シーズン中に安永聡太郎が清水から期限付き移籍で加入。

10月に川口能活ポーツマスFCに移籍。シーズン終了後に元日本代表DF小村徳男、ブリットが退団。城彰二が期限付きで神戸に移籍。


2002年

東京Vから日本代表中澤佑二磐田から清水範久札幌からウィル、駒沢大学3年の那須大亮桐光学園から阿部祐大朗を獲得。磐田から奥大介が期限付き移籍で加入。ユースから栗原勇蔵榎本哲也らが昇格。

中澤と松田の日本代表CBコンビに加え、奥大介ら新戦力が活躍。1stステージは開幕から13戦無敗で第13節終了時点で磐田に勝ち点2の差で首位。しかし、第14節に鹿島に敗れて勝ち点1の差で磐田に首位を明け渡し、最終節は引き分けたため勝ち点3差の2位で終わる。

大きな期待を集めた2ndステージは開幕から3連敗を喫して早々に優勝争いから脱落。第6節の京都戦で敗れ、2勝1分4敗となった時点で成績不振を理由にラザロニ監督を解任。2001年のアルディレス解任後に続き下條佳明が後任となった。下條就任後の第7節以降は6勝2敗と立て直したが、第6節までの不振が響きステージ6位。得点は1stステージ28から大きく減少して16。失点は11から16に増加。リーグ戦の年間順位2位。

ナビスコカップはグループBリーグ3位で敗退。天皇杯は4回戦で広島に敗れた。

4月に石川直宏がFC東京に期限付き移籍。7月に中村俊輔セリエAレッジーナに移籍。2ndステージ第11節で味方の奥を蹴ったウィルを解雇。シーズン終了後にナザ、期限付き移籍していた城彰二が退団。


 

2003年基本フォーメーション

2003年

監督に岡田武史が就任。広島から日本代表久保竜彦佐藤由紀彦ユ・サンチョルマルキーニョスなどを獲得。前年浦和レッズを契約満了になっていた河合竜二がトライアウトを経て加入。期限付き移籍であった奥大介が完全移籍に移行。

開幕戦は前年のチャンピオン、ジュビロ磐田を4-2で下すもののリーグ戦中断前の第10節までは5勝に留まり、首位と勝ち点4差の4位。

ブラジル代表の右SBカフーと、コンフェデレーションズカップ後の7月から入団することで合意していたが、チーム合流直前にカフーの希望で契約を解除。これにより柳想鐵が右SBを務めることになった。これが功を奏して中断明けの第11節から連勝。優勝争いをしていた磐田、市原の失速もあり第14節終了時点で勝ち点1の差で首位に立つ。続く最終節も勝ち、終盤5試合を連勝して1stステージ優勝。

2ndステージは第3節時点で2分1敗とスタートで躓く。その後連勝を重ねて第9節終了時点で勝ち点1差で首位に立つ。しかし、第10節からの4試合を2分2敗と失速して第13節終了時点で7位の落ち込む。第14節は仙台に4-0で快勝して3位に浮上。首位の磐田とは勝ち点3差ながら直接対決を残しており、得失点差では優位にたった状態で最終節を迎えた。最終節は磐田に勝ち、他会場で鹿島が引き分けたため得失点差で2ndステージ優勝を決めた。両ステージ制覇の完全優勝で年間王者を獲得。

ナビスコカップは準々決勝でジュビロ磐田に連敗し敗退。天皇杯は準々決勝で鹿島アントラーズに敗北。

マルキーニョスが契約満了となり退団。


 

2004年CS第2戦フォーメーション

2004年

岡田体制2年目。清水から韓国代表FWの安貞桓、元ジェフユナイテッド市原の中西永輔国士舘大学から山﨑雅人らを補強。

A3チャンピオンズカップ2004の日程がACLと重複したためA3をサテライトリーグ中心メンバーで戦い2位。ACLはA3で対戦した城南一和天馬と同じグループリーグG。城南一和天馬とは1勝1敗だったが得失点差で2位となり敗退。

ゼロックススーパーカップは天皇杯優勝の磐田と対戦してPK戦で敗れる。

リーグ戦は1stステージの第2節に市原に敗れ、第6節時点では首位の磐田に勝ち点7差まで広げられたが、第10節に磐田を直接対決で下し、第14節終了時点で勝ち点2差で磐田をかわして首位に立つと、最終節も勝利を収めて1stステージを優勝。第3節以降は10勝2分と強さを見せた。また、前年の2ndステージに続き、史上初の3ステージ連続優勝を達成した。

2ndステージは第4節まで3勝1敗でまずまずのスタートを切ったが、以降3試合連続引き分けで首位の浦和との勝ち点差を広げられてしまう。攻撃陣のケガや代表招集による欠場もあり、得点が伸びずステージ6位に終わる。

サントリーチャンピオンシップは2ndステージ優勝の浦和と対戦。第1戦は日産スタジアムで行われ河合竜二のゴールで1-0で勝利。第2戦は埼玉スタジアムで行われ90分では0-1。タイスコアとなり延長に突入したが決着がつかずPK戦に持ち込まれる。PK戦では先行の浦和が2本失敗。全員が決めた横浜が勝利し2年連続の年間王者となった。

ナビスコカップは準々決勝で浦和に敗れ敗退。天皇杯は5回戦でJFL草津Vゴール負け。

シーズン中に波戸康広、安永聡太郎が移籍。


2005年

岡田体制3年目。Kリーグの城南一和天馬からアデマール、ジュビロ磐田からグラウ、浦和レッズから山瀬功治モンテディオ山形から大島秀夫静岡学園高等学校から狩野健太桐光学園から田中祐介が加入。ユースから飯倉大樹天野貴史が昇格。8月にマグロンが加入。

ゼロックススーパーカップは天皇杯優勝の東京Vと対戦してPK戦で敗れる。

AFCチャンピオンズリーグ2005はグループステージで敗退。

リーグ戦は第6節終了時点で3勝2分1敗だったが、続くJ2昇格組の大宮、川崎に連敗。その後は負け無しで第16節終了時点で首位鹿島と勝ち点9差の3位につける。しかし、第17節にFC東京に4-0で敗れると6試合勝ちなしに低迷して優勝争いから脱落。アデマールや安貞桓退団後に加入したグラウが全くチームにフィットせず、久保が前年より腰痛に悩まされシーズン後半の出場となったこともあり、年間を通して得点力不足が解消されなかった。リーグ戦の最終順位は9位。リーグ戦の得点数は優勝したG大阪の半分の41得点でリーグワースト6位。日本代表DFの中澤、松田を中心とした硬い守備により失点数はリーグ3位タイの40。

ナビスコカップは準決勝でG大阪に敗れ、天皇杯は5回戦で川崎に敗れる。

6月に安貞桓、7月に遠藤彰弘、シーズン終了後に佐藤由紀彦柳想鐵が退団。


2006年

岡田体制4年目。前年獲得したアデマール、グラウが移籍。同様にチームにフィットしなかったマグロンがシーズン途中でコリンチャンスに移籍。元名古屋のFWマルケスを補強。ユースからハーフナー・マイク秋元陽太が昇格。特別指定選手として順天堂大学から小宮山尊信が加入。

リーグ戦は開幕4連勝で首位に立ったが、第5節に浦和に敗れたあと15試合で2勝と低迷。第9節はJ1初昇格の甲府にも敗れる。特に試合終盤の80分以降の失点が続き、第19節のホーム大宮戦で89分に失点して敗戦後に岡田が監督を辞任。後任にはコーチを務めていた水沼貴史が監督に就任。89分過ぎの失点はここまで3度目だった。直後の京都戦は4-0で快勝したが、監督交代以降7勝1分7敗でリーグ戦は前年と同じ9位。2003年に活躍した久保や奥、この年に加入したマルケスが不調で得点数は49。失点数はリーグ3位の43失点で、この年も日本代表DFの中澤、松田らによる硬い守備が目立つ結果となった。

ナビスコカップは準決勝で鹿島と1勝1敗のアウェイゴール差で敗退。天皇杯は準々決勝でG大阪に敗れる。

シーズン終了後に2001年ナビスコカップでMVPに輝いた榎本達也が神戸に完全移籍。


2007年

みなとみらいの『マリノスタウン』へクラブ事務所などを移転。奥大介久保竜彦ドゥトラなどのベテラン選手が退団。ユースから長谷川アーリアジャスール田代真一らが昇格。野洲高校から乾貴士、前年特別指定選手だった小宮山尊信が正式に入団。監督は11年振りに早野宏史が就任。前監督の水沼はコーチに就任。

リーグ戦は第2節でまたもJ1初昇格クラブ(横浜FC)に敗戦。J1初昇格クラブに敗れるのは3年連続。第3節もJ1昇格組の神戸に4失点で敗れる。第7節の大分戦、第8節の新潟戦は、それぞれ5-0、6-0で大勝。シーズンを通して攻撃陣の好不調の波が非常に大きく、大量得点の試合がある反面12試合で0得点だった。前年を上回る7位でリーグ戦を終了したが、最高順位は5位で優勝争いに絡めず、目標とした3位以内にも届かなかった。天皇杯終了後に監督の早野、コーチの水沼、高橋真一郎、武藤覚らが退任した。失点数は35でリーグ2位。調子にばらつきのある攻撃陣に比べて日本代表DFを要する守備は年間を通して安定。

FWの大島秀夫坂田大輔、トップ下の山瀬功治が2ケタ得点をマーク。大島は日本人最多得点、坂田はフェアプレー個人賞受賞、山瀬は日本代表にも選出。

J1では初めて横浜FCとの横浜ダービーが開催された。横浜FCホームの第2節は0-1で敗戦。横浜FMホームの第19節はチーム新記録の1試合8得点を記録して8-1で勝利。なお同試合の前夜に日産スタジアム付近で「JUST GEDO」という名称のサポーター団体が横浜FCサポーターを暴行するという事件を起こし逮捕されている。[18]

ナビスコカップは準決勝で川崎に連敗し敗退。天皇杯は5回戦で清水に敗れる。

左伴繁雄が社長を退任。後任は斎藤正治。

シーズン終了後に2003年の新人王那須大亮が東京Vに完全移籍。上野良治が退団。


2008年

磐田元監督の桑原隆が監督就任。吉田孝行が神戸に移籍。中西永輔が退団。ハーフナー・マイクが福岡に期限付き移籍。水戸ホーリーホックから小椋祥平早稲田大学から兵藤慎剛を獲得。ユースから金井貢史水沼宏太らが昇格。

リーグ戦は第6節時点で3位につけていたが、第9節の東京V戦から第19節のFC東京戦まで10試合連続で勝利無し(クラブタイ記録の公式戦6連敗も記録)で、第16節時点で降格圏の16位へ転落し監督の桑原を解任。統制本部長の木村浩吉が後任となった。第20節のG大阪戦で勝利を挙げると、第22節の札幌戦の勝利で降格圏を脱出。最終節はアウェイ浦和戦で得点力不足を払拭する1-6で勝利し、最終順位は9位。

ナビスコカップは準々決勝で、天皇杯は準決勝でいずれもG大阪に敗れ敗退。


2009年
チームスローガン:Enjoy・Growing・Victory

木村吉体制2年目。田中隼磨が名古屋へ、乾貴士がC大阪へ、大島秀夫が新潟へ移籍。早稲田大学から渡邉千真を獲得。ハーフナー・マイクが福岡から復帰。ユースから齋藤学端戸仁らが昇格。

リーグ戦は開幕戦で渡邉千真が開始3分でプロ初ゴールを決めるも広島に2-4で敗れる。第5節の神戸戦でシーズン初勝利。その後も勝ちきれない試合が続き、上位の鹿島、川崎、清水、名古屋にホームゲームで勝利している一方、この年にJ1に初昇格した山形に逆転負けを喫するなど終始低迷。最高順位は8位で最終順位は10位。 それでもプロ1年目13得点を挙げた渡邉千真や、ユースから昇格して3〜5年目を迎えた天野貴史飯倉大樹長谷川アーリアジャスールなど若手の活躍、坂田大輔狩野健太らの中堅の活躍が見られたシーズンとなった。

ナビスコカップは準決勝で、天皇杯は4回戦でいずれも川崎に敗れ敗退。3年契約だった木村の監督契約を解除。

シーズン途中にハーフナー・マイクが鳥栖に期限付き移籍。

セルティックFCに所属する中村俊輔の獲得に失敗。責任をとって斎藤正治が社長を辞任。嘉悦朗が後任に就いた。

2010年代編集

2010年
チームスローガン:ACTIVE

元日本代表でクラブOBの木村和司が監督就任。6年ぶり復帰の波戸康広エスパニョールから8年ぶりの復帰の中村俊輔藤田優人バスティアニーニが入団。2種登録で小野裕二が加入。中村俊輔獲得の効果もあり、入場者数が前年比17.6%の増加となった。リーグ戦は一時上位争いに加わったが最終順位8位。

最終節前にスポーツ新聞等で松田直樹山瀬功治などのベテランとの契約満了が伝えられる。その後、公式サイトで契約満了を発表。最終節の大宮戦に敗北した後のセレモニーでは、この決定と発表の経緯に反発したサポーターによって監督や社長挨拶がかき消されるほどの松田直樹チャントを受けることとなり、社長の嘉悦朗が「2011年シーズンで3位以内でなければ辞任する」と発表。

シーズン終了後、松田(JFL松本へ移籍)、山瀬(川崎へ移籍)のほか、田中裕介(川崎)、河合竜二札幌)、清水範久福岡)、坂田大輔ギリシャ1部アリス・テッサロニキ)、浦田延尚鳥栖)、JFL金沢に期限付き移籍していた斎藤陽介新潟S)がそれぞれ移籍、草津に期限付き移籍していた梅井大輝が退団、藤田優人横浜FC齋藤学愛媛FC田代真一がJFL・町田に1年間の期限付き移籍をし、シーズン途中に栃木に期限付き移籍した水沼宏太が、同クラブへの期限付き移籍期間を1年延長した。


2011年
チームスローガン:進化する心・技・体 ACTIVE 2011

木村和体制2年目。清水から青山直晃、川崎からユース出身の谷口博之から小林祐三東京Vから昨シーズンFC東京にレンタル移籍していた大黒将志を獲得、昨シーズン山形にレンタル移籍していた金根煥が復帰。ユースから小野裕二松本翔が昇格。4月30日付けで阿部陽輔が退団した。

リーグ戦は前半戦を首位で折り返した。後半戦は3度2連敗を喫するなど失速して優勝争いから脱落。最終順位5位。ナビスコカップは準決勝で鹿島に敗退。天皇杯は準決勝で京都に延長戦で敗退。敗退後の12月30日に監督の木村和司を解任。

8月12日松田直樹8月4日死去)が在籍時に使用していた背番号3を永久欠番にすると発表[19]Jリーグ創設以来、サポーターナンバーを除いて初の永久欠番となった。

シーズン終了後、波戸康広が現役を引退、横浜FCへ期限付き移籍中の藤田優人(柏へ移籍)、秋元陽太愛媛へ移籍)、渡辺千真長谷川アーリアジャスール(共にFC東京へ移籍)、端戸仁北九州へ期限付き移籍)、武田英二郎千葉へ期限付き移籍)、金根煥(鳥栖へ期限付き移籍)がそれぞれ移籍、田代真一が、町田への期限付き移籍期間を1年延長。

2012年
チームスローガン:All for Win

樋口靖洋が監督に就任。東京Vから富澤清太郎福岡から六反勇治中町公祐アトレチコ・ミネイロから2003年に在籍していたマルキーニョスを獲得、愛媛へ期限付き移籍していた齋藤学が復帰。ユースから熊谷アンドリュー鈴木涼太が昇格。シーズン開幕後の3月23日、かつて6シーズン在籍したドゥトラが約6年ぶりに復帰。

序盤はチームワーストの開幕7戦未勝利であったが、第8節(神戸戦)から第22節(川崎戦)まで15戦無敗の成績。シーズン中はマルキーニョス富澤清太郎らのプレッシングに長けた移籍組が年間を通して活躍をみせ、秋口の連敗を経て再度順位をあげてゆき年間最少敗戦、最少失点を含めた4位でシーズンを終えた。天皇杯は準決勝で柏に敗退。

シーズン終了後、松本怜大分へ期限付き移籍)、松本翔(愛媛へ期限付き移籍)、金井貢史(鳥栖へ期限付き移籍)、大黒将志杭州緑城へ期限付き移籍)、青山直晃甲府へ移籍)、森谷賢太郎(川崎へ移籍)、小野裕二スタンダール・リエージュへ移籍)、谷口博之狩野健太(共に柏へ移籍)、水沼宏太(期限付き移籍先の鳥栖へ移籍)、金根煥新潟へ移籍)がそれぞれ移籍し、千葉へ期限付き移籍していた武田英二郎鳥取に期限付き移籍。


 

2013年基本フォーメーション

2013年
チームスローガン:All for Win -Realize-

樋口体制2年目。SAGAWA SHIGA FCから奈良輪雄太、千葉から藤田祥史SC相模原からファビオを獲得し、町田へ期限付き移籍していた田代真一、北九州へ期限付き移籍していた端戸仁中国スーパーリーグ・杭州緑城へ期限付き移籍していた丁東浩が復帰。ユースから喜田拓也が昇格。

開幕から6連勝で第1節から第7節まで首位をキープ。第15、16節で4位に順位を下げたが、第21節で首位に浮上。第23節からは第28節を除いて第33節まで首位に立つ。1つ勝てば優勝という展開で第33節、第34節(ホームの新潟戦、アウェーの川崎戦)を迎えたが連敗し、連勝した広島に優勝を奪われリーグ戦2位。

ナビスコ杯は準決勝で柏に敗退。天皇杯は決勝でリーグ戦で優勝を争った広島に勝利して優勝。日産FC横浜マリノスの名称であった第72回大会以来の優勝(日産自動車時代を含めて7度目の優勝)[注 3]

中村俊輔が2度目のMVPを史上最年長で受賞した。

シーズン終了前にマルキーニョス(後に神戸へ移籍)、丁東浩蔚山現代へ移籍)が退団。
シーズン終了後、天野貴史(千葉へ期限付き移籍)、田代真一(千葉へ移籍)、比嘉祐介京都へ期限付き移籍)、金井貢史(期限付き移籍先の鳥栖へ完全移籍)、鳥取へ期限付き移籍中の武田英二郎(福岡へ期限付き移籍)がそれぞれ移籍した。


2014年
チームスローガン:All For Win -Fight it out!-

樋口体制3年目。新潟から三門雄大大宮から下平匠名古屋から藤本淳吾清水から伊藤翔、川崎から矢島卓郎順天堂大学から元マリノスユースの天野純興国高校から北谷史孝を獲得。愛媛FCへ期限付き移籍していた松本翔が復帰。

FUJI XEROX SUPER CUPでは2013年シーズンの公式戦は3戦全勝していた広島に0-2で敗れ、初優勝を逃す。

9年ぶりに出場したAFCチャンピオンズリーグ2014では、第5節まで全チーム勝ち点7にひしめく大混戦、最終節で前年王者の広州恒大に敗れ、決勝トーナメント進出を逃す。

リーグ戦はマルキーニョス退団の穴を埋められず得点力不足に陥り、W杯中断中まで12と低迷。得点力不足打破のため、群馬G大阪にも在籍したラフィーニャKリーグ蔚山現代FCから完全移籍で獲得。

天皇杯3回戦では、J2北九州に延長戦を含めシュート30本を浴びせ(北九州は9本)圧倒しながら、延長後半アディショナルタイムに渡大生に逆転ゴールを許し2-3で敗退[20]、また4月から、天皇杯優勝マークをつけた2014年度版の特別ユニフォームをサポーター向けに販売していたが、生産上の理由から発送は9月上旬となっており、サポーターが着用する機会がないまま大会を終えることとなった[21]

7月にCFGが日産自動車とグローバル・パートナーシップを締結し、横浜F・マリノスの少数株主となることが発表された。

8月23日に三ツ沢で行われた神奈川ダービー、川崎戦では、横浜FMゴール裏で観戦していたサポーターが川崎の選手の前でバナナを振り回す差別的行為を行う事件が起きた。クラブ側は当該サポーターに対し、無期限入場禁止処分を下し[22]、Jリーグからはけん責及び制裁金500万円の処分が下された[23]。最終順位7位。

シーズン終了後、樋口が退任。小椋祥平G大阪)、藤田祥史、鳥取へ期限付き移籍中の武田英二郎湘南)、六反勇治仙台)、松本怜(期限付き移籍先の大分に完全移籍)、松本翔山口へ期限付き移籍)がそれぞれ移籍。


2015年
チームスローガン:Integral Goal - All for Win -

フランス人のエリク・モンバエルツが監督に就任[24]

期限付き移籍していた熊谷アンドリュー比嘉祐介天野貴史が復帰、田口潤人がユースから昇格、東福岡高等学校から中島賢星専修大学から仲川輝人を獲得。サンパウロFCからアデミウソンが期限付き移籍で新加入。シーズン中に関東学院大学富樫敬真が特別指定選手として加入。

リーグ戦は1stステージ6位、2ndステージ5位で年間順位は7位。第4節のアウェイ戦で約6年半振りに勝利。 ヤマザキナビスコカップはグループB敗退。

シーズン終了後、端戸仁奈良輪雄太(湘南)、比嘉祐介(千葉)、天野貴史長野)、シーズン途中に新潟へ期限付き移籍していた佐藤優平山形)、藤本淳吾(G大阪)、鈴木椋大東京Vへ期限付き移籍)、熊谷アンドリュー金沢へ期限付き移籍)、アデミウソン(期限付き移籍期間満了→G大阪)がそれぞれ移籍した。 嘉悦朗が社長を退任。後任は長谷川亨


2016年 
チームスローガン:Integral Goal - All for Win -

モンバエルツ体制2年目。東京Vから前田直輝、千葉から金井貢史Y.S.C.C.横浜から高橋拓也順天堂大学から新井一耀日本体育大学から高野遼が新加入。ユースから遠藤渓太和田昌士が昇格。開幕後、ラフィーニャの登録を抹消し、代わりにブラジル・フラメンゴからカイケ、ルーマニア・FCボトシャニからキュラソー島代表マルティノスが加入。

リーグ戦は1stステージ11位、2ndステージ7位で年間順位は年間順位10位。獲得したカイケがフィットせず、度重なる規律違反で9月に練習参加を禁止される。攻撃はセットプレーかマルティノスと齋藤を活かしたカウンターでしか点が取れず、シーズンを通して得点力不足に悩まされた。

ヤマザキナビスコカップから名称が変わったルヴァンカップではBグループ1位で準々決勝進出。準々決勝は大宮アルディージャと対戦し、アウェイ1-2、ホーム1-0とアウェイゴール差で勝ち上がり、2013シーズン以来のベスト4進出を果たす。準決勝はガンバ大阪と対戦。アウェイ0-0、ホーム1-1のアウェイゴールの差で準決勝敗退。

天皇杯は2回戦で福島ユナイテッドに延長に持ち込まれるも2-0で勝利。3回戦はJリーグ創設期にしのぎを削った東京ヴェルディに4-0で勝利。4回戦はアルビレックス新潟と対戦し、後半ATの天野純の直接フリーキックが決勝点となり勝利。準々決勝は今季5度目の顔合わせとなったガンバ大阪と対戦し勝利。準決勝は鹿島アントラーズに0-2で敗戦。

シーズン後、小林祐三鳥栖へ移籍)、兵藤慎剛(札幌へ移籍)、山口へ期限付き移籍していた北谷史孝長崎へ移籍)、登録を抹消されていたラフィーニャが契約満了で退団。榎本哲也にコーチへの就任を要請をしていたが固辞され浦和へ移籍、中村俊輔が磐田へ移籍、ファビオと東京Vへ期限付き移籍していた鈴木椋大がG大阪へ、高橋拓也北九州へそれぞれ完全移籍。金沢に期限付き移籍していた熊谷アンドリューが千葉へ、和田昌士山口へ、田口潤人藤枝へそれぞれ期限付き移籍した。

小林などの契約満了に伴う退団、3年連続でフルタイム出場した中澤佑二栗原勇蔵などのベテラン選手に対して来季年俸の大幅ダウン提示[25]、モンバエルツの去就などの報道を受けサポーターが反発、チームはホームページ上にお詫びを掲載する[26] 異例の事態に追われた。また、中村の移籍に関して移籍までの経緯をホームページ上に掲載した[27]。 中村俊輔の移籍やベテランとの契約に伴う混乱のため長谷川亨が社長を退任。後任は古川宏一郎

チーム統括本部長の下條佳明も同年3月で退団し、アイザック・ドルが後任となった。


2017年 
チームスローガン:Integral Goal - All for Win -

モンバエルツ体制3年目。新たにCFGの情報網から選ばれ就任したアイザック・ドルが早くから補強に向けて動き、柏から山中亮輔、新潟から松原健、名古屋から扇原貴宏、京都から杉本大地、北九州から鈴木彩貴レッドスターからセルビアリーグで20得点を挙げMVPを獲得したウーゴ・ヴィエイラ、名門バルセロナのカンテラで育ちイニエスタの後継者と呼ばれたマケドニア代表ダビド・バブンスキー1860ミュンヘンからオーストラリア代表のミロシュ・デゲネクが加入。ウーゴ・ヴィエイラ獲得の際に彼の市場価値からすると格安の移籍金を払った以外、新加入選手はフリーでの移籍となった。ユースから原田岳吉尾海夏が昇格。齋藤学が10番を自ら志願、モンバエルツからキャプテンに任命され、新生マリノスのリーダーとなった。

4月27日にホームタウンを横浜市と横須賀市に加え、新たに大和市も追加された事がJリーグ理事会から承認され、同時にクラブ公式ホームページより発表された[28]

リーグ戦は前半戦は調子が上がらなかったものの、中盤以降は新加入選手の活躍もあり5位。

ルヴァンカップは予選Bグループに入り、第1節でC大阪戦、第2節神戸戦で2連敗した後、新潟、甲府、鳥栖に3連勝し、5月31日に広島と対戦した。引き分けでもプレーオフに進出出来る状況であったが逆転負けを喫し敗退となった[29]

中断期間中に新井一耀が名古屋へ、中島賢星がFC岐阜へ、仲川輝人福岡へ期限付き移籍した。

中断期間に新潟で行われた短期キャンプにサイ・ゴダードイッペイ・シノヅカが練習生として参加。良いパフォーマンスを発揮したシノヅカが加入した。ペルーのアンダー世代の代表キャプテンの経験のある日系ペルー人のアントニー・アオキが練習に参加した。

天皇杯は2回戦でFC大阪、3回戦でアスルクラロ沼津を下し、4回戦で広島と対戦。広島に前半で2失点し、敗退の危機にさらされたが、後半にウーゴ・ヴィエイラが2得点し、延長後半終了間際にウーゴ・ヴィエイラがコーナー付近の角度のないところからハットトリックとなるゴールを決めて3-2で劇的に勝利した。準々決勝では元マリノスの中村俊輔が所属する磐田と対戦し、後半ダビド・バブンスキーのパスを受けた遠藤渓太のクロスが磐田のオウンゴールを誘い、準決勝では柏と対戦した。前半にハモン・ロペスのロングシュートで失点したが、後半に伊藤翔の得点により試合を振り出しに戻し、試合は延長戦にもつれ込んだ。一進一退の攻防が続いた後、延長後半終了直前に松原健遠藤渓太と繋ぎ、最後はウーゴ・ヴィエイラが遠藤のパスを右足で決め、またしても延長戦を制し決勝へ進出。C大阪と対戦した。前半8分に伊藤翔が先制点を決めるも、後半に山村、延長前半に水沼宏太にゴールを決められて敗北し、準優勝に終わった。

11月2日にモンバエルツの退任が発表された。

シーズン後、キャプテンであった齋藤学が川崎へ、攻撃の核であったマルティノスが浦和へ、パク・ジョンスが柏へ、前田直輝が松本へそれぞれ完全移籍した。また、期限付き移籍中であった新井一耀が名古屋へ、熊谷アンドリューが千葉へ、中島賢星が岐阜へ、田口潤人が新潟へ完全移籍、富樫敬真がFC東京に期限付き移籍した。


2018年 
チームスローガン:Brave and Challenging ~勇猛果敢~

アンジェ・ポステコグルーが監督に就任。

柏から大津祐樹FCソウルからユン・イルロク、鹿児島城西高校から生駒仁、履正社高校から町野修斗を獲得。FC東京から久保建英を期限付きで獲得。ユースから西山大雅堀研太山田康太が昇格。また、期限付き移籍していた仲川と和田昌士が復帰した。遠藤渓太の背番号が11番に変更された。キャプテンには07年以来三度目、中澤佑二が就任した。3月4日に遼寧宏運からオリヴィエ・ブマルを獲得した。6月にデゲネクがセルビアに移籍。守備立て直しのため7月にドゥシャンを完全移籍で、8月にチアゴ・マルチンスを期限付き移籍で獲得。

リーグ戦では爆発的な得点力を見せる一方で守備の安定を欠き残留争いに巻き込まれた。得点では、リーグ2位の56であったが、失点はリーグワースト3位の56となった。最終成績は12勝5分17敗の勝点41の12位。2006年以来12年ぶりに負け越しとなった。

ルヴァンカップでは、2001年以来17年ぶりに2度目の決勝進出を果たしたが、決勝戦史上初の神奈川ダービー湘南に0-1で敗れて準優勝に終わった。天皇杯は、4回戦で仙台に敗れた。

7月に古川宏一郎が社長を退任。後任は黒澤良二。 スポーティングダイレクターのアイザック・ドルが8月で退任し小倉勉が後任に就いた。


 

2019年 基本フォーメーション

2019年 
チームスローガン:Brave and Challenging 勇猛果敢

ポステコグルー体制2年目。

中澤佑二が引退。久保建英が期限付き移籍終了によりFC東京へ復帰。伊藤翔が鹿島へ、山中が浦和へ完全移籍。徳島ヴォルティスから広瀬陸斗FC琉球から朴一圭中川風希、浦和から李忠成フルミネンセからマルコス・ジュニオールが完全移籍、川崎フロンターレから三好康児、広島から和田拓也バイーアからエジガル・ジュニオムアントン・ユナイテッドFCからティーラトンが期限付き移籍で加入。ユースから山谷侑士椿直起が昇格。

7月27日に「EUROJAPAN CUP 2019」にて、マンチェスター・シティFCと親善試合を行った[30][31]

夏の移籍市場では天野純がスポルディング・ロケレンへ期限付き移籍、三好がアントワープFCへの期限付き移籍に伴う契約終了、イッペイ・シノヅカ大宮アルディージャへ、飯倉がヴィッセル神戸へ完全移籍した一方で、ポゴニ・シュチェチンから泉澤仁水戸ホーリーホックから伊藤槙人が完全移籍で、広島から下部組織出身の中林洋次、名古屋からマテウス、エジガル・ジュニオの長期離脱のためパルメイラスからエリキを期限付き移籍で獲得した。

ルヴァンカップはグループリーグ敗退、天皇杯は4回戦で鹿島に敗れ姿を消したが、リーグ戦は8月に3連敗を喫した後の11戦を7連勝を含む10勝1分で乗り切り、15年ぶりのリーグ優勝を達成した。

2020年代編集

2020年

チームスローガン:Brave & challenge 勇猛果敢

ポステコグルー体制3年目。

栗原勇蔵が現役引退。マテウスが名古屋へ復帰。広瀬が鹿島へ、李、中川が京都へ、杉本が磐田へ完全移籍、泉澤が甲府へ期限付き移籍で退団した。一方でC大阪から水沼宏太、浦和からオナイウ阿道、京都から仙頭啓矢金沢から山本義道徳島から梶川裕嗣杉本竜士山口から前貴之が完全移籍で加入。流通経済大学からオビ・パウエル・オビンナが加入。ユースから松田詠太郎池田航ブラウンノア賢信が昇格し、それぞれSC相模原カマタマーレ讃岐に期限付き移籍。昨季期限付き移籍で加入していた和田、中林、チアゴ・マルチンス、ティーラトンは完全移籍に移行。エジガル・ジュニオとエリキは期限付き移籍期間を延長し残留した。

通算で5回目の出場となったFUJI XEROX SUPER CUPは天皇杯王者の神戸と対戦。3度のビハインドを追いつく執念を見せPK戦に持ち込むも敗戦。これで横浜マリノス時代も合わせて富士ゼロックススーパーカップは5連敗。

シーズン開始後には遠藤渓太がウニオン・ベルリンへ1年の期限付き移籍(後に完全移籍)で退団。スポルティング・ロケレンから天野が復帰し、同じくロケレンに所属していた小池龍太アビスパ福岡から實藤友紀が完全移籍加入、松本山雅FCから前田大然柏レイソルからジュニオール・サントスが期限付き移籍加入。ユースから津久井匠海が昇格した。10月に朴が鳥栖に期限付き移籍。入れ替わる形で鳥栖から高丘陽平を完全移籍で獲得した。

リーグ戦では、持ち味の攻撃力で昨年を上回るリーグ2位の総得点69を記録したものの、守備が安定せずリーグワースト4位の総失点59を喫した。優勝争いからは早々と脱落し、最終的に年間順位は9位に終わった。ルヴァンカップでは準決勝で柏に敗れた。

AFCチャンピオンズリーグ2020では、グループリーグを4勝1敗1分の1位でクラブ史上初の決勝トーナメント進出を決めるも、ラウンド16で水原三星ブルーウィングスに敗戦。シーズン無冠に終わった。


2021年

チームスローガン:Brave & challenge 勇猛果敢

ポステコグルー体制4年目。

大津が磐田へ、仙頭が鳥栖へ完全移籍。期限付き移籍していた泉澤、山本、杉本、前、朴、エジガル・ジュニオが完全移籍、エリキ、ジュニオール・サントスが期限付き移籍期間満了でそれぞれ退団した。 一方で大分から岩田智輝ECバイーアからエウベルECヴィトーリアからレオ・セアラが完全移籍加入し、期限付き移籍で加入していた前田が完全移籍に移行。興国高校から樺山諒乃介田川知樹平井駿助南拓都の4選手が加入。ユースからは植田啓太寺門陸が昇格し、それぞれ栃木、山口に期限付き移籍。

夏の移籍期間ではオナイウがトゥールーズFC、高野と伊藤が磐田に移籍し退団。一方FCザンクトパウリから宮市亮を完全移籍で、浦和から杉本健勇を期限付き移籍で、2022年から加入が内定していた筑波大学角田涼太朗が予定より半年早めて加入した。

6月10日、監督のポステコグルーが退任[32]。暫定後任は松永英機。7月18日、ケヴィン・マスカットが監督に就任[33]

天皇杯では2回戦でHonda FCに敗戦。 ルヴァンカップでは4勝2分の1位でグループステージを突破するも、プレーオフで札幌に敗戦。

J1リーグでは第20節から2位をキープし、第26節に首位の川崎に勝ち点1差まで詰め寄るも、その後の7試合で3勝1分3敗と勝ち切れず、全勝した川崎に引き離されて、第34節にG大阪に敗れて優勝の可能性が消滅。最終的に2位でフィニッシュした。それでも総得点数は82、勝ち点は79とJリーグが2回戦総当たり制になった1996年以降ではクラブの過去最多得点と年間最多勝ち点を更新したのに続き、前田が第35節のFC東京戦で1点目と4点目を挙げた事で(その後前田はハットトリックも達成した)1998年城彰二以来2人目となるクラブの日本人選手シーズン20ゴールをマークし最終的には23ゴールで川崎のレアンドロ・ダミアンと得点王[34]のタイトルを分け合った。


 

2022年 基本フォーメーション

2022年

チームスローガン:Brave & challenge 勇猛果敢

マスカット体制2年目。 扇原が神戸、ティーラトンがブリーラム・ユナイテッド、和田が横浜FC、梶川が磐田、チアゴ・マルチンスがニューヨーク・シティFCへ完全移籍。また、期限付きで加入していた杉本は契約満了、天野は蔚山現代FCに、前田はセルティックFCに期限付き移籍(後に完全移籍)で退団した。 一方、仙台から西村拓真、徳島から藤田譲瑠チマ、鹿島から永戸勝也、C大阪から小池裕太、鳥栖からエドゥアルド武漢足球倶楽部からアンデルソン・ロペスを完全移籍で獲得。また、樺山、オビ、吉尾、ンダウ・ターラらが期限付き移籍から復帰。ユースからは山根陸西田勇祐が昇格。 8月にはモレイレンセFCからヤン・マテウスを獲得した。

天皇杯は3回戦で栃木に敗戦。 ルヴァンカップは準々決勝で広島に連敗して敗退。 AFCチャンピオンズリーグ2022では4勝1分1敗でグループリーグを突破するも、ラウンド16で神戸に敗れた。

J1リーグでは第16節から首位をキープ。残り4試合時点で2位の川崎に勝ち点8差をつけてリーグ優勝に王手をかけたものの、圧倒的な強さを見せていた日産スタジアムで残留争いを強いられていたG大阪と磐田に連敗。この間に連勝した川崎に勝ち点2差までに詰め寄られる。しかし、残り2試合を連勝して3年ぶり5回目のリーグ優勝を達成した。総得点数は70で最多、総失点数は名古屋と並んで35で最少タイ。11月1日に発表されたワールドカップメンバーに一人も招集されていないクラブがリーグ優勝するのはいずれもJリーグ史上初である。またその年の国際Aマッチに、1人も出場していない[35]クラブが優勝するのは2007年の鹿島に次いで史上2クラブ目である。

成績編集

J1リーグ Jリーグカップ 天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会
順位 回数 年度 成績 回数 年度 成績 回数 年度
優勝 5 1995, 2003, 2004, 2019, 2022 優勝 1 2001 優勝 2 1992, 2013
2位 4 2000, 2002, 2013, 2021 準優勝 1 2018 準優勝 1 2017
3位 1 1997 ベスト4 9 1994, 1997, 2005, 2006, 2007, 2009, 2013,
2016, 2020
ベスト4 5 1994, 2008, 2011, 2012, 2016
4位 3 1993, 1998, 2012 ベスト8 8 1999, 2000, 2003, 2004, 2008, 2011, 2014, 2022 ベスト8 5 1993, 1999, 2000, 2003, 2006
5位 3 1999, 2011, 2017 プレーオフ敗退 1 2021 5回戦敗退 3 2004, 2005, 2007
6位 1 1994 グループリーグ
敗退
10 1992, 1993, 1996, 1998, 2002, 2010, 2012,
2015, 2017, 2019
4回戦敗退 7 1997, 2002, 2009, 2010, 2015, 2018, 2019
7位 3 2007, 2014, 2015 3回戦敗退 5 1996, 1998, 2001, 2014, 2022
8位 2 1996, 2010 2回戦敗退 2 1995, 2021
9位 4 2005, 2006, 2008, 2020
10位 2 2009, 2016
12位 1 2018
13位 1 2001

タイトル・表彰編集

国内タイトル編集

国際タイトル編集

表彰編集

個人別編集

J1リーグ編集

Jリーグカップ編集

ユニフォーム編集

ユニフォームの色
カラー シャツ パンツ ストッキング
FP(1st) [1] [1] [1]
FP(2nd) [1] [1] [1]
GK(1st)
GK(2nd) 黄色 黄色 黄色
GK(3rd)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
FP 1st
 
 
 
 
 
 
 
 
 
FP 2nd
 
 
 
 
 
 
 
 
 
GK 1st
 
 
 
 
 
 
 
 
 
GK 2nd
 
 
 
 
 
 
 
 
 
GK 3rd

チームカラー編集

  •    [1]   [1]   [1]

ユニフォームデザイン編集

  • 左胸のエンブレム上の星4つ(★)は、1995年・2003年・2004年・2019年のJ1リーグ優勝を表す[36]
  • 2ndユニフォームは、原則上:白、下:青、靴下:白。
    • 2003年から2006年はグレー。
    • 2011年 上/黄色、下/黒、靴下/黄色。
    • 2013年 上:白/グレー、下:ダークネイビー、靴下:白/グレー。
    • 2014年 上:オレンジ、下:オレンジ、靴下:オレンジ。
    • 2015年 上:金、下:黒、靴下:黒
    • 2016年 上:ピンク、下:ピンク、靴下:ピンク
  • 2001年は黒が基調の3rdユニフォームを制作したが、2002年までで3rdユニフォームの採用を取り止めた。
  • 2002年は横浜カントリー・アンド・アスレティック・クラブ(YC & AC)で使われた紺と白の概念を取り入れた上衣が青と紺のツートンのユニフォームを採用した(上:青/紺、下:白、靴下:赤) 。
  • 2003年は上下靴下全て紺、副は上:白/シルバー、下:黒(チェンジショーツはシルバー)、靴下:シルバー。
  • 2009年は期間限定で、横浜港開港150周年記念として、青と白の2色横じま模様(NISSANのロゴ、背番号と選手名ローマ字は赤文字、全日空ロゴは企業カラーの青地に白文字)であしらった特別ユニフォームを制作・着用。
  • 2009年から背番号に選手名を記入。中澤佑二は「BOMBER」、清水範久は「JIRO」と表記されるなど、姓名に捉われないニックネーム表記のものも存在する。
  • 2012年は、前身の日産自動車サッカー部の80年代後半およびJリーグ発足当初のデザインを現代風にアレンジした、クラブ創設20周年記念の復刻ユニフォームを制作・着用した。ベースカラーに鮮やかなブルー、白い襟にピンポイントのトリコロール。また、2000年モデル以来、胸に黄色の「NISSAN」の文字が入ったものである[37]。このユニフォームはいずれも横浜FMホームゲームの鹿島アントラーズガンバ大阪名古屋グランパス清水エスパルスおよびサガン鳥栖戦で着用。

スポンサー編集

掲出箇所 スポンサー名 表記 掲出年 備考
日産自動車 NISSAN 1993年 -
鎖骨 ドラフト DRAFT 2021年7月 - 両側に掲出
背中上部 日清オイリオグループ NISSHIN
oillio
2021年 - 2017年 - 2020年は袖
2017年 - 2020年は「日清オイリオ」表記
2021年は「NISSHIN oillio 植物のチカラ」表記
背中下部 オウルテック Owltech 2019年 -
リミックスポイント リミックス
でんき
2021年8月 -
パンツ前面 マネーフォワード Money
Forward
2020年10月[38][39] -
パンツ背面 なし - -

ユニフォームサプライヤーの遍歴編集

  • 1992年 - 1996年:リーグ戦はミズノ、カップ戦はアディダスデサント
  • 1997年 - 2007年:リーグ戦・カップ戦ともにアディダスに統一(厳密には1998年まではデサント、1999年以降はアディダス・ジャパン)
  • 2008年 - 2011年:ナイキ
  • 2012年 - 現在:アディダス
    • ナイキとは8年総額30億円というJリーグ史上最高のユニフォームサプライ契約であったが、2011年11月14日にナイキとの契約を解消(結果、8年→4年に短縮される)。代わって2012年からアディダスと再び契約を結んだ[40][41]

歴代ユニフォーム編集

FP 1st
 
 
 
 
 
 
 
 
 
1993 - 1994
 
 
 
 
 
 
 
 
 
1995 - 1996
 
 
 
 
 
 
 
 
 
1997 - 1998
 
 
 
 
 
 
 
 
 
1999 - 2000
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2001
 
 
 
 
 
 
 
 
2002
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2003
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2004 - 2005
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2006
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2007
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2008 - 2009
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2010
 
 
 
 
 
 
 
 
2011
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2012
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2013
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2014
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2015
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2016
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2017
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2018
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2019
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2020
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2021
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2022 -
FP 2nd
 
 
 
 
 
 
 
 
 
1993 - 1996
 
 
 
 
 
 
 
 
 
1997 - 1998
 
 
 
 
 
 
 
 
 
1999 - 2000
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2001 - 2002
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2003 - 2004
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2005 - 2006
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2007
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2008 - 2009
 
 
 
 
 
 
 
 
2010
 
 
 
 
 
 
 
 
2011
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2012
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2013
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2014
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2015
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2016
 
 
 
 
 
 
 
 
2017
 
 
 
 
 
 
 
 
2018
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2019
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2020
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2021
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2022 -
FP Other
 
 
 
 
 
 
 
 
 
1993 3rd
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2001 - 2002 3rd
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2004
ACL 1st
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2009
横浜開港
150周年記念
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2012
20周年記念
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2013
PSM記念
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2014
ACL 1st
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2014
ACL 2nd
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2014
天皇杯優勝記念
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2015
CUP 1st
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2015
CUP 2nd
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2016
CUP 1st
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2016
CUP 2nd
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2016
横浜開港記念
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2017
CUP 1st
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2017
CUP 2nd
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2017 SP
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2018 SP
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2019 SP
横浜開港
160周年記念
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2020 SP
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2021 SP

歴代ユニフォームスポンサー表記編集

年度 箇所 サプライヤー
鎖骨左 鎖骨右 背中上部 背中下部 パンツ前面 パンツ背面
1992 - 解禁前 - 解禁前 - 解禁前 解禁前 Mizuno /
adidas
1993 NISSAN Kodak BP
1994
1995
1996 xanavi
1997 adidas
1998
1999 ANA -
2000 - /
Fuji ten
SNOW RESORT
2001 Fuji ten
SNOW RESORT
2002 - -
2003 GE - /
NATURALLY PLUS
2004 -
2005 mlj
2006
2007
2008 メガネスーパー Nike
2009
2010 ELGRAND[注 4] KARADA factory
2011 - ANA -
2012 三栄建築設計 ほけんの窓口 adidas
2013 -
2014 日本化成
2015
2016 MUGEN ESTATE -
2017 - /
イソジン
日清オイリオ EZインベスト証券
2018 - MUGEN
ESTATE
イソジン -
2019 - /
MELCO
Owltech
2020 MELCO MUGEN
ESTATE
30th ANNIVERSARY
- /
Money
Forward
-
2021 MELCO /
DRAFT
NISSHIN oillio
植物のチカラ
- /
リミックス
でんき
Money
Forward
2022 DRAFT NISSHIN
oillio
リミックス
でんき

スタジアム・練習場編集

スタジアム編集

 
ニッパツ三ツ沢球技場でのF・マリノスサポーターのコレオグラフィー

ホームスタジアムは横浜国際総合競技場(日産スタジアム、横浜市港北区)。Jリーグ発足当初より三ツ沢公園球技場(横浜市神奈川区)をホームスタジアムとして使用していたが、1999年に横浜国際総合競技場が完成すると主催試合の大半をそちらに移している。以後、両スタジアムを本拠地として併用する形としていたが、Jリーグクラブライセンス制度の兼ね合い[42] もあり、2016年よりJリーグへの届け出上の本拠地を日産スタジアムに一本化している(ただし同年以降も三ツ沢での開催も継続)。

ホームゲーム開催試合数[43]編集

Jリーグ杯=Jリーグカップ
ACL=AFCチャンピオンズリーグ
(ACWC)=アジアカップウィナーズ選手権
(ACC)=アジアクラブ選手権
年度 リーグ戦 Jリーグ杯 ACL 備考
横浜国
(日産ス)
三ツ沢球
(ニッパ球)
その他
1992 - - - 国立2
平塚2
(ACWC)
国立3[注 5]
国内大会はJリーグカップのみ
天皇杯優勝
1993 15 国立1
博多陸2
三ツ沢球2
国立1
(ACWC)
三ツ沢球2[注 6]
1994 16 国立3、栃木1
博多陸1、平塚1
博多陸1 不参加
1995 21 国立5
札幌厚別1
非開催 (リーグ戦)国立=チャンピオンシップ(年間決勝)1を含む
サントリーS(年間前期)・チャンピオンシップ優勝
1996 10 国立3、新潟市陸1
長崎1
三ツ沢球7 (ACC)
三ツ沢球1[注 7]
1997 15 山形県1 三ツ沢球3 不参加
1998 8 7 山形県1
国立1
三ツ沢球2 横浜国完成。
この年より横浜国・三ツ沢球の2か所を本拠として登録
1999 14 0 新潟市陸1 横浜国1、三ツ沢球1
丸亀1
2000 9 5 国立2 三ツ沢球2
山形県1
(リーグ戦)チャンピオンシップ1を含む
第1S(年間前期)優勝
2001 13 1 国立1 三ツ沢球4[注 8]
2002 8 2 国立4
熊本陸1
横浜国2
三ツ沢球1
2003 14 0 国立1 横浜国4 (リーグ戦)第1・2S(年間前後期)完全優勝
2004 国立2 横浜国1
三ツ沢球2
横浜国1
三ツ沢球2
(リーグ戦)横浜国=チャンピオンシップ1を含む
第1S・チャンピオンシップ優勝(リーグ連覇)
(Jリーグ杯)=ACL進出につき決勝Tよりシード
2005 15 1 国立1 日産ス1
三ツ沢球1
三ツ沢球3 横浜国=命名権採用により「日産ス」に変更
(Jリーグ杯)=ACL進出につき決勝Tよりシード
2006 2 - 日産ス3
三ツ沢球2
不参加 (Jリーグ杯)日産ス=決勝T2含む
2007 日産ス1
三ツ沢球4
(Jリーグ杯)日産ス・三ツ沢球=決勝T1ずつ含む
2008 14 3 ニッパ球4 三ツ沢球=命名権採用により「ニッパ球」に変更
(Jリーグ杯)ニッパ球=決勝T1含む
2009 13 4 日産ス3
ニッパ球2
(Jリーグ杯)日産ス・ニッパ球=決勝T1ずつ含む
2010 14 3 日産ス1
ニッパ球2
2011 ニッパ球2
2012 ニッパ球3
2013 日産ス1
ニッパ球4
(Jリーグ杯)日産ス・ニッパ球=決勝T1ずつ含む(予選はニッパ球のみ)
天皇杯優勝
2014 13 4 ニッパ球1 横浜国[注 9] 3 (Jリーグ杯)ACL出場のため決勝トーナメントのみ
2015 14 3 ニッパツ3 不参加 三ツ沢球=命名権呼称を「ニッパツ」に変更[44]
2016 ニッパツ4
日産ス1
登録上本拠地を日産Sのみにする
2017 ニッパツ3
2018 15 2 ニッパツ5
日産ス1
(Jリーグ杯)日産SはプライムS(決勝T)のみ、ニッパツはプレーオフ1、
プライムS1をそれぞれ含む。
2019 12 5 ニッパツ3 8月 - 10月はラグビーワールドカップ2019が日産Sで行われるため、
リーグ戦はニッパツで開催
2020 13 4 ニッパツ1 横浜国1 (Jリーグ杯)ACL出場のため決勝トーナメントのみ
2021 11 6 ニッパツ4 不参加
2022 14 3 (Jリーグ杯)ACL出場のため決勝トーナメントのみ

練習場編集

 
マリノスタウンにあったクラブハウス

練習場は日産スタジアムと同じ新横浜公園内にある小机競技場(日産フィールド小机)および新横浜公園球技場を使用する[45]

F・マリノスになってからの練習場は戸塚トレーニングセンター戸塚区、元々はフリューゲルスの練習施設、現在は横浜FCが練習施設として使用)、クラブオフィスは神奈川区新子安にあったが、2005年に両者を横浜市西区みなとみらい地区61街区に移転集約[46]、「マリノスタウン」(横浜F・マリノスMM21トレーニングセンター)として運用してきたが、2016年5月にみなとみらい地区の定期借地契約が満了となることを受け、2015年12月末をもってマリノスタウンにおけるクラブの活動を終了することが発表され[47]、本社も新横浜に移転した[1]

2018年1月25日、クラブは練習場の新設・拡充方針を発表。JR久里浜駅(神奈川県横須賀市)近くの公園に観客席やクラブハウスを備えた練習施設を新設。本拠地の日産スタジアムがある、新横浜公園でも練習用グラウンドを整備する。一部は地元住民に開放し、地域への浸透を深める。

計画では、横須賀市所有で約2.2ヘクタールの規模である、くりはまみんなの公園とその周辺を再整備。コート2面とハーフコート1面に加え、1,000席程度の観客席、トレーニングルームなどを備えたクラブハウスも新設する。この施設は、一部を周辺住民も使えるように貸し出し、周辺商店街などとの賑わい活性化につなげていく。一方、新横浜公園では、現在は土のグラウンドとして活用している部分に、コートを2面整備する予定。横須賀市の上地克明市長は、同日の記者会見で「2022年を施設稼働の目標にしていきたい」と表明。横浜市の林文子市長も「チームの一層の強化につながることを願っている」とコメント。古川宏一郎社長は、記者団の取材に「総投資額は現時点で未定。できるだけ早く(両市と)基本協定を結び、具体化を進めたい」と語った[48][49]

2019年5月31日、横須賀市と久里浜1丁目公園整備に関する基本協定を締結。JR久里浜駅西側の3.6ヘクタールの敷地に、天然芝のピッチ2面、人工芝のフットサルコート2面、ジム、管理棟、駐車場、芝生広場、周遊路などを備えるクラブハウスが整備される。横須賀市の総事業費は64億円で、クラブ側は年間1億7,000万円の施設使用料を支払う。2020年から整備を開始し、2022年1月に一部施設利用開始、2022年9月で全施設利用開始を予定。契約期間は20年間となる[50][51]

所属メンバー編集

永久欠番編集

  • #3 松田直樹
    • 2011年8月4日に死去。同年8月12日、クラブは「横浜F・マリノス、日本代表、そして日本サッカー界への多大なる貢献への敬意と謝意、さらには、松田直樹という偉大な選手への心からの追悼の証」として、永久欠番に指定[19]

エピソード編集

  • 新設または大幅改修後のスタジアムのこけら落とし試合をアウェイチームとして迎えた試合は以下の通り。
年度 試合会場 対戦相手 スコア 備考
1993年 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 ヴェルディ川崎 ○2-1 Jリーグ開幕戦
1998年 横浜国際総合競技場 横浜フリューゲルス ●1-2 会場自体のこけら落としはダイナスティカップ1998(日本代表vs韓国代表)
2001年 埼玉スタジアム2002 浦和レッドダイヤモンズ ○2-0
札幌ドーム コンサドーレ札幌 △1-1
御崎公園球技場 ヴィッセル神戸 △1-1
2005年 千葉市蘇我球技場
(フクダ電子アリーナ)
ジェフユナイテッド市原・千葉 △2-2
2012年 日立柏サッカー場 柏レイソル △3-3 改修後のオープニングゲーム
  • 1ステージ制に移行した2005年以降、J1へ初昇格したクラブとのリーグ戦初対戦において5クラブ連続で敗れていたが[注 10]、2014年リーグ戦第3節で徳島ヴォルティスに勝利し連敗記録は止まった。

育成組織編集

横浜F・マリノスの育成組織はトップチームを頂点としたピラミッド型となっており、第2種(高校生世代)のユース、第3種(中学生世代)のジュニアユースとジュニアユース追浜、第4種(小学生世代)の選抜クラスであるプライマリー、プライマリー追浜がある。

また、日産自動車サッカー部時代の1985年に発足したサッカースクールは、対象の年代は幼児から中学生で、女子は小学生から中学生以上までとなっている。2015年時点で、3500人を超えるスクール生がいた[52]。2021年現在では、次の10校で活動している。

  • 追浜校
  • 二俣川校
  • 大和校
  • 東山田校
  • リーフスタジアム校
  • 中山テクニカル校
  • Shunsuke Park校
  • 小机校
  • 新吉田校
  • 京急上大岡校

育成組織の沿革編集

1985年4月に横浜の新子安にて、日産サッカースクールが開校した。スクールを立ち上げたのは、日産自動車サッカー部監督の加茂周であった。加茂は、ドイツを何度も訪問して地域に密着したドイツサッカークラブの組織の姿にすばらしさを感じており、これを日本でも展開しようとした[53]。新子安のスクールの指導は、日産自動車OBの下条佳明樋口靖洋らが担当した。スクールには予想を超える多く入校希望者が集まり、翌1986年には早野宏史が担当した追浜スクール、1987年には坂木嘉和が担当した左近山スクールが開校した。また、ジュニアユースは1985年、ユースは1986年に立ち上がった。ユースとジュニアユースの立ち上げは、かながわクラブにいた永井洋一が加茂に話を持ちかけることで実現した[54]。なお、左近山スクールは1990年に閉校した。

1993年にJリーグが開始すると、横浜マリノスサッカースクールへ名称を変更。マリノススクールの知名度は一気に上がり、会員数も激増した[55]1997年にはマリノスジュニアユース出身の中村俊輔がトップチームに入団し、1年目から主力選手となった。

1999年に横浜マリノスが横浜フリューゲルスと合併すると、フリューゲルスのスクールは横浜F・マリノス菅田サッカースクールとなった。フリューゲルスジュニアユースは、監督の前田治ら6名の指導者を引き継ぐ形で横浜F・マリノス菅田ジュニアユースとなった[56]。菅田スクールと菅田ジュニアユースの活動は2000年までで終了してスクールは閉校となり、元フリューゲルスのスタッフは横浜F・マリノスの他のスクールに異動したり、クラブ内の別の業務に就いたりした。ジュニアユースの監督だった前田治は2000年までで横浜F・マリノスから離れた。フリューゲルスユースの選手は合併時に横浜F・マリノスユースに移籍し、その中の坂田大輔田中隼磨はのちにトップチームの主力選手となった。また、フリューゲルスが行っていた地元の小学校を巡回指導する「サッカーキャラバン」事業も横浜F・マリノスへ引き継がれた[57]

2004年から2006年は、プライマリーが全日本少年サッカー大会で3連覇した。

2007年にマリノスタウンがオープンすると、新子安の横浜マリノスサッカースクールはみなとみらい校へ移転した。また、2004年から2014年にかけて、NAS二俣川校(のちの二俣川校)、大和校、港北校(のちの東山田校)、リーフスタジアム校が開校した。2015年、マリノスタウン閉鎖にともない、みなとみらい校は閉校となった。その後、2016年に中山テクニカル校、2017年にShunsuke Park校と小机校が、それぞれ開校した。Shunsuke Park校は、そごう横浜店屋上にある中村俊輔プロデュースフットサルコートで開催される。

年表編集

  • 1985年 - 日産サッカースクール開校。ジュニアユース立ち上げ
  • 1986年 - 日産追浜スクール開校。プライマリー、ユース、立ち上げ
  • 1987年 - 日産左近山スクール開校。ユース、日本クラブユース選手権優勝
  • 1988年 - ジュニアユース追浜立ち上げ。ジュニアユース、日本クラブユース選手権3位
  • 1989年 - プライマリー追浜立ち上げ。プライマリー、神奈川県少年サッカー選手権優勝
  • 1990年 - 日産左近山スクール閉校
  • 1992年 - 横浜マリノスサッカースクール、横浜マリノス追浜サッカースクールへ名称変更
  • 1999年 - 横浜F・マリノスサッカースクールへ名称変更。横浜F・マリノス菅田サッカースクール開校
  • 2000年 - 横浜F・マリノス菅田サッカースクール閉校
  • 2004年 - NAS二俣川校開校
  • 2006年 - マリノスフットボールアカデミーへ名称変更。大和校(高座渋谷)開校
  • 2007年 - マリノスタウンオープン。新子安校、みなとみらい校へ移転。港北校開校
  • 2008年 - 大和校が、高座渋谷から鶴間へ移転
  • 2010年 - 港北校が東山田校へ移転
  • 2011年 - NAS二俣川校から二俣川校へ名称変更
  • 2014年 - リーフスタジアム校開校
  • 2015年 - マリノスタウン閉鎖。みなとみらい校閉校
  • 2016年 - 中山テクニカル校開校
  • 2017年 - Shunsuke Park校開校、小机校開校
  • 2018年 - 新吉田校開校、上大岡校(現京急上大岡校)開校

育成組織の戦績編集

主な全国大会結果について記載する。

横浜F・マリノスユースの戦績編集

ジュニアユース追浜の戦績編集

プライマリーの戦績編集

  • 2004年 第28回全日本少年サッカー大会 優勝
  • 2005年 第29回全日本少年サッカー大会 優勝
  • 2006年 第30回全日本少年サッカー大会 優勝 
  •  2016年 第40回全日本少年サッカー大会 準優勝

『決勝』vsセンアーノ神戸ジュニア      1-2●

プライマリー追浜の戦績編集

育成組織の決算編集

育成組織の決算は、つぎのとおり。

育成組織の決算
年度 収入 経費 所得
2011 425 295 130
2012 458 315 143
2013 455 314 141
2014 464 310 154
2015 413 293 120
2016 315 225 90
  • 収入、経費、所得の単位: 百万円
  • 出典: 各年度のJ1 クラブ決算一覧。201120122013201420152016

ユース出身者編集

参考文献編集

  • 『マリノスフットボールアカデミー30年史』2015年。 

ホームタウン活動編集

サッカー教室編集

ホームタウンである横浜市、横須賀市を中心とした地域の学校やスポーツセンターで横浜F・マリノス専属コーチによるサッカー教室を行っている。サッカー教室は大きく分けて小学生以下の子供を対象とした「ふれあいサッカー教室」、「サッカーキャラバン」と成人を対象とした「ENJOY FOOTBALL」に分かれる。

障がい者サッカー編集

2004年より、障がい者サッカープロジェクト「futuro(フトゥーロ)」が行われている。「futuro」では横浜ラポールで行なわれている「体験・育成」プログラムと連携しながら横浜F・マリノスのコーチを中心に基本的な技術や個人・チーム戦術のトレーニングを行い、大会に参加している。

地域イベントへの参加編集

横浜市、横須賀市、大和市の商店街や大学、メインスポンサーである日産の工場関連のイベントにブースを出展している。また、公式チアリーディングチームであるトリコロールランサーズによる演技が披露されることもある。また、2012年時点で200を越える地元商店街にチームフラッグやポスターの掲出をしている。 マスコットキャラクター「マリノスケ」は大半のイベントに登場してくる。

学校との業務提携編集

ホームタウン活動の一環として、関東学院大学横浜国立大学神奈川大学の3大学および日本工学院専門学校と提携し、サッカーチームのコーチ派遣や、地域コミュニティー活動、人材育成などの連携を実施している。関東社会人サッカーリーグ所属の日本工学院サッカー部のトップチームは横浜F・マリノスとチーム名を共有しており、「日本工学院F・マリノス」と呼称している。

トピック編集

トリパラ編集

応援の必須アイテムの一つとして、トリコロールの傘、通称「トリパラ」があり、試合に勝つとトリパラをコーヒールンバをベースにした応援に合わせて回す(コーヒールンバを基調にした応援はボカ・ジュニアーズFC東京ヴァンフォーレ甲府なども行っている)。 2004年頃から一部サポーター有志が特注で製作し普及し始めたが、2006年にクラブがオフィシャルショップで販売を開始してからはゴール裏を中心に爆発的に広まり定着、下記の応援番組のタイトルともなっており、横浜F・マリノスサポーターの応援の代名詞となった。

メディア編集

トリコロールマーメイズ編集

2007年、公式チアリーディングチームとしてトリコロールランサーズが結成された。その後、2008年6月28日からトリコロールマーメイズと名称を変更しリニューアルした。

海外クラブとの提携編集

2008年6月にフランスのオリンピック・リヨンと、サッカーの発展と強化およびスポーツ・教育・文化の各領域における協同と友好の促進を目的に業務提携を締結した[58]

2014年1月、カンボジア・リーグに所属するトライアジア プノンペンFCと提携を発表した。だがトライアジア プノンペンFCの事業が親会社のトライアジアグループから譲渡されたことにより、2014年12月31日をもって提携は解消された[59]

その他編集

  • Jリーグ発足時、同じ横浜市をホームタウンとしていた横浜マリノスと横浜フリューゲルスが同じ日にホームゲームを組むことがあった。しかし、Jリーグではスタジアムの芝生保護や観客入れ替えなどの観点上、1日2試合の開催を認めていなかったので、横浜Mが三ツ沢(球)、横浜Fは九州地方(特別活動地域の長崎県熊本県鹿児島県の3県)または国立などで試合を行うことがあった。1995年以後はホームゲームの開催日が調整され、同じ日に横浜Mと横浜Fの主催試合を重複開催することは皆無となった。
  • オフィシャルテーマソングはゆずが歌う「We are F・Marinos」。横浜市営地下鉄新横浜駅JR東日本小机駅では同曲が発車メロディに採用されている。
  • マリノスクイーンと呼ばれる広報や試合運営補助を仕事とする女性がいる。なお、マリノスクイーンは神奈川県在住・通勤・通学者から選ばれている。
  • 日産スタジアムで行われるホーム試合開催日ではトリコロールランドで行われるステージにおいて横浜出身のバンド「CHURU-CHUW(ちゅるっちゅう)」が出演した場合、横浜F・マリノスのサポーターの為のサポーターズソング「Winning flags」が披露される。
  • 2015年10月、ドイツのソフトウェア大手SAPと提携。SAPの技術を利用し、選手のパフォーマンス向上やクラブチーム運営業務の効率化、ファン満足度向上のためのマーケティング活動などに取り組むことを発表した。SAPはITを活用したスポーツビジネスにおいてドイツ代表やバイエルン・ミュンヘンを優勝に導いた実績を持っており、同サービスを利用した横浜F・マリノスのチーム強化と成績向上が期待されている。[60][61][62]

決算編集

横浜F・マリノスの決算は、つぎのとおり。

損益編集

年度 収入 広告料 入場料 配分 その他 費用 事業費 人件費 管理費 利益 純利益
2005 4,822 2,551 933 335 1,003 4,816 3,896 2,105 920 6 -4
2006 4,559 2,520 826 304 909 4,508 3,467 2,210 1,041 51 -110
2007 4,909 2,626 837 293 1,153 4,674 3,732 1,961 942 235 -1
2008 4,092 1,836 859 279 1,118 4,089 2,704 1,290 1,385 2 0
2009 3,505 1,322 846 263 1,074 3,505 2,733 1,165 772 0 -36
2010 3,565 1,414 932 251 968 3,905 2,962 1,374 943 -340 -341
  • 金額の単位: 百万円
  • 人件費は事業費に含まれる。

出典: 各年度のJ1 クラブ決算一覧。 200520062007200820092010

年度 収益 広告料 入場料 配分 育成 その他 費用 人件費 試合 トップ 育成 女子 販売 利益 純利益
2011 3,463 1,197 795 254 425 792 3,975 1,441 322 405 295 0 1,511 -512 -518
2012 3,717 1,364 783 220 458 892 4,217 1,601 331 442 315 0 1,528 -500 -499
2013 4,315 1,513 1,069 228 455 1,048 4,306 1,701 341 443 314 0 1,506 9 1,000
2014 4,590 2,059 958 226 464 883 4,584 1,765 334 508 310 0 1,667 6 178
2015 4,567 2,256 948 204 413 746 4,567 1,860 331 485 293 0 1,598 0 9
  • 金額の単位: 百万円

出典: 各年度のJ1 クラブ決算一覧。 20112012201320142015

年度 収益 広告料 入場料 配分 育成 物販 その他 費用 人件費 試合 トップ 育成 女子 物販 販売 利益 純利益
2016 4,696 2,366 1,005 224 315 509 277 4,696 1,966 354 395 225 0 351 1,405 0 10
  • 金額の単位: 百万円

出典: 各年度のJ1 クラブ決算一覧。 2016

資産編集

年度 総資産 総負債 純資産 資本金
2005 2,231 2,205 25 30
2006 2,462 2,547 -84 30
2007 2,425 2,510 -85 30
2008 1,426 1,511 -85 30
2009 739 860 -121 31
2010 719 1,182 -462 30
2011 637 1,685 -1,048 31
2012 491 2,168 -1,677 31
2013 1,778 2,456 -677 31
2014 1,516 1,515 1 99
2015 1,635 1,626 9 99
2016 2,074 2,055 19 99

出典: 各年度のJ1 クラブ決算一覧。 200520062007200820092010201120122013201420152016

金額の単位: 百万円

脚注編集

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注釈編集

  1. ^ 相模鉄道崎陽軒タカナシ乳業神奈川新聞テレビ神奈川横浜信用金庫サカタのタネの7社。
  2. ^ 「Jクラブは、直接たると間接たるとを問わず、他のJクラブまたは当該他のJクラブの重大な影響下にある法人の経営を支配しうるだけの株式(公益社団法人または特定非営利活動法人にあっては社員たる地位)を保有している者に対し、自クラブまたは自クラブの重大な影響下にあると判断される法人の経営を支配できるだけの株式(公益社団法人または特定非営利活動法人にあっては社員たる地位)を保有させてはならない。」というもの[14]
  3. ^ で、チーム名が「横浜マリノス」変わってから初優勝。Jリーグ発足以降、8チーム目の国内3大タイトル(J/J1・ナビスコ杯・天皇杯)全獲得となった。
  4. ^ スポンサー名義は日産車体
  5. ^ 当初は4の予定が1回戦不戦勝のため
  6. ^ 当初は3の予定が2回戦不戦勝のため。また準決勝は日程が過密になりスケジュール調整ができなかったため出場辞退
  7. ^ 当初は2の予定が1回戦不戦勝のため。準々決勝は中立地開催
  8. ^ 決勝戦は中立扱いのため含めず
  9. ^ ACLでは命名権が使用できないため「横浜国」扱い
  10. ^ 対戦相手は大宮アルディージャ(2005年)、ヴァンフォーレ甲府(2006年)、横浜FC(2007年)、モンテディオ山形(2009年)、サガン鳥栖(2012年)の5クラブ。

出典編集

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac クラブガイド:横浜F・マリノス”. 日本プロサッカーリーグ. 2013年9月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年9月6日閲覧。
  2. ^ 施設概要”. 日産スタジアム. 2019年11月12日閲覧。
  3. ^ クラブプロフィール”. 横浜F・マリノス. 2013年9月29日閲覧。
  4. ^ “横浜F・マリノスのホームタウン広域化を承認” (プレスリリース), 日本プロサッカーリーグ, (2005年1月25日), http://www.jleague.jp/release/article-00000509/ 2017年1月7日閲覧。 
  5. ^ “横浜F・マリノスホームタウン追加について” (プレスリリース), 日本プロサッカーリーグ, (2017年4月27日), https://www.jleague.jp/release/post-48752/ 2018年1月14日閲覧。 
  6. ^ クラブ紹介”. 横浜F・マリノス 公式サイト. 2022年2月20日閲覧。
  7. ^ ワルノス・プロフィール”. ワルノス公式サイト. 2013年3月21日閲覧。
  8. ^ a b c d 2017年度(平成29年度)Jクラブ個別情報開示資料”. 日本プロサッカーリーグ. 2018年8月7日閲覧。
  9. ^ a b 横浜マリノス株式会社 第30期決算公告
  10. ^ 横浜マリノス株式会社 第三者割当新株発行(増資)について”. J's GOAL (2005年1月26日). 2013年2月3日閲覧。
  11. ^ “日産とシティフットボールグループ グローバルサッカーパートナーシップを締結” (プレスリリース), 日産自動車, (2014年7月17日), https://newsroom.nissan-global.com/releases/140717-02-j 2017年1月7日閲覧。 
  12. ^ Fマリノスから「NISSAN」ロゴが消える日”. 東洋経済オンライン (2014年7月20日). 2017年1月7日閲覧。
  13. ^ “シティ・フットボール・ジャパン発足のお知らせ” (プレスリリース), マンチェスター・シティFC(シティ・フットボール・グループ), (2015年3月3日), http://マンチェスターシティ.jp/News/Club-news/2015/March/City-Football-Japan-3001 2017年1月7日閲覧。 
  14. ^ Jリーグ規約 (PDF) , p.10
  15. ^ “三菱自動車の浦和レッドダイヤモンズへの出資比率を変更” (プレスリリース), 三菱自動車工業, (2016年10月31日), http://www.mitsubishi-motors.com/publish/pressrelease_jp/corporate/2016/news/detail5021.html 2020年1月10日閲覧。 
  16. ^ 【J1:第33節 横浜FM vs 東京V】”. J's GOAL (2008年11月29日). 2013年6月30日閲覧。
  17. ^  週刊サッカーマガジン 1994年3月9日号 no.445 p.104-117 ベースボールマガジン社
  18. ^ “横浜ダービー」で場外乱闘、マリノスサポーターを逮捕/港北署”. 神奈川新聞. (2008年1月11日). https://web.archive.org/web/20080115122957/http://www.kanaloco.jp/localnews/entry/entryxiiijan0801157 2008年1月11日閲覧。 
  19. ^ a b 背番号「3」永久欠番のお知らせ”. 横浜F・マリノス公式サイト (2011年8月12日). 2013年2月3日閲覧。
  20. ^ “【第94回天皇杯 3回戦 横浜FM vs 北九州】レポート:ディフェンディングチャンピオンが3回戦で散る。北九州は“普段仕様”のスタイルで金星奪取!”. J'S GOAL. (2014年8月21日). http://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/00177443.html 2014年8月23日閲覧。 
  21. ^ “波乱続出の天皇杯。横浜FMは限定ユニ発送前に敗退、予約したファンは困惑”. フットボールチャンネル. (2014年8月21日). http://www.footballchannel.jp/2014/08/21/post47981/ 2014年8月23日閲覧。 
  22. ^ “横浜Mサポーターが人種差別的行為”. デイリースポーツ. (2014年8月24日). http://www.daily.co.jp/newsflash/soccer/2014/08/24/0007267100.shtml 2014年8月24日閲覧。 
  23. ^ “Jリーグの裁定内容及び再発防止策等に関して”. 横浜F・マリノス公式サイト. (2014年8月29日). http://www.f-marinos.com/news/detail/2014-08-29/180000/172124 2014年8月30日閲覧。 
  24. ^ 来シーズンの監督に関するお知らせ
  25. ^ 横浜非情…3年連続フル出場38歳中沢に“年俸半減”提示”. スポニチアネックス (2016年11月5日). 2017年1月9日閲覧。
  26. ^ “F・マリノスファン、サポーターの皆様へ”. 横浜F・マリノス公式サイト. (2016年11月11日). http://www.f-marinos.com/news/detail/2016-11-11/144500/145948 2017年1月9日閲覧。 
  27. ^ “中村俊輔選手の移籍に関して”. 横浜F・マリノス公式サイト. (2017年1月8日). http://www.f-marinos.com/news/detail/2017-01-08/150000/121642 2017年1月9日閲覧。 
  28. ^ http://www.f-marinos.com/news/detail/2017-04-27/170000/170745
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  32. ^ "サッカー横浜Mのポステコグルー監督が退任". KYODO. 共同通信社. 10 June 2021. 2021年6月10日閲覧
  33. ^ ケヴィン マスカット氏 監督就任のお知らせ | ニュース” (日本語). 横浜F・マリノス 公式サイト. 2021年7月19日閲覧。
  34. ^ 初代のディアス、2019年に同点で得点王になった仲川とジュニオール以来4人目である。
  35. ^ 厳密に言えばEAFF E-1サッカー選手権に畠中、小池龍太、岩田、水沼、藤田、西村、宮市が招集されたが、E-1選手権はFIFAの国際Aマッチではなく、2022年に行われた国際Aマッチには、7人全員一度も招集されていない。
  36. ^ 横浜Fマリノス 05アウェイ半袖ユニフォーム”. スポーツウェブショッパーズ. 2013年3月21日閲覧。
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  41. ^ 横浜F・マリノス新ジャージー 2012年3月誕生。”. アディダス公式サイト. 2013年3月21日閲覧。
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  51. ^ “横須賀市と横浜Mが基本協定 久里浜駅西側に新練習拠点 4年から使用予定” (プレスリリース), 産経新聞公式サイト, (2019年6月6日), https://www.sankei.com/region/news/190606/rgn1906060004-n1.html 2019年6月17日閲覧。 
  52. ^ 『マリノスフットボールアカデミー30年史』, pp. 60–63.
  53. ^ 『マリノスフットボールアカデミー30年史』, p. 8.
  54. ^ 『マリノスフットボールアカデミー30年史』, p. 18.
  55. ^ 『マリノスフットボールアカデミー30年史』, p. 26.
  56. ^ 横浜F消滅で人生を狂わされた男。天皇杯優勝を喜びきれなかったJrユース指導者【フリューゲルスの悲劇:20年目の真実】”. フットボールチャンネル (2017年4月28日). 2017年9月17日閲覧。
  57. ^ 『マリノスフットボールアカデミー30年史』, pp. 30–31.
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  59. ^ トライアジアプノンペンFCとのパートナーシップに関して”. 横浜F・マリノス公式サイト (2015年1月30日). 2015年1月30日閲覧。
  60. ^ 独SAPと日産、横浜F・マリノスが提携、技術をマリノス強化に活用
  61. ^ 独サッカー代表、躍動の裏にデータ分析あり SAPの流儀とは
  62. ^ バイエルン・ミュンヘンと、これからのブンデス・リーガ

関連項目編集

外部リンク編集