橋本 順福(はしもと のぶよし)は、江戸時代後期の公卿国学者。地下家でありながら従三位に叙され、公卿となった。

 
橋本順福
時代 江戸時代後期
生誕 明和7年(1770年
死没 弘化5年1月5日1848年2月9日
官位 従三位非参議
主君 光格天皇仁孝天皇孝明天皇
氏族 橘姓橋本家
父母 父:橋本定該、母:星野氏の娘
定栄、麻子、ほか
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生涯 編集

春日潜庵の妻が順福の娘であることから、その碑文を撰した[1]。それによると、安永8年(1779年)には10歳で従五位下に、天明3年(1783年)には14歳で従五位上に叙され、翌年(1784年)には15歳で梅宮大社の祠官となった。

天保14年6月18日1843年7月15日)、74歳で従三位に叙され、公卿に列せられた[2]。その後非参議として5年半在り続け、弘化5年(嘉永元年、1848年)、79歳で薨去した[3]

系譜 編集

  • 父:橋本定該
  • 母:星野氏の娘
  • 先妻:児島氏の娘
  • 後妻:上田氏の娘
    • 女子:橋本麻子 - 春日潜庵の妻。
    • 女子:他4人。
    • 男子:5人。

脚注 編集

出典 編集

  1. ^ 春日精之助 1906, p. 138–139.
  2. ^ 『公卿補任』, 仁孝天皇弘化元年条.
  3. ^ 『公卿補任』, 孝明天皇嘉永元年条.

参考文献 編集

  • 『春日潜菴伝』春日精之助編、1906年。 
  • 『公卿補任:第五篇』黒板勝美、國史大系編修會編、吉川弘文館〈新訂増補国史大系〉、1974年。