橘 右之吉(たちばな うのきち、本名:吉田 秀男、1950年1月23日 - )は橘流寄席文字江戸文字書家。寄席文字橘会理事。若手真打噺家との雑俳の会「つ花連」や、投扇興「綾香連」にも属する。文京区伝統工芸会会員[1]、文京区技能名匠者(平成25年度~)[2]

たちばな 右之吉うのきち
本名 吉田 秀男
生年月日 (1950-01-23) 1950年1月23日(74歳)
出身地 日本の旗 日本東京都台東区
師匠 橘右近
弟子 橘吉也
活動期間 1969年 -
活動内容 橘流寄席文字書家
江戸文字書家
所属 寄席文字橘会
つ花連
綾香連
公式サイト 株式会社UNOS / 橘右之吉
主な作品
ミニ千社札
消し札
備考
寄席文字橘会理事
文京区技能名匠者

経歴 編集

橘流寄席文字家元・橘右近に師事し、1969年に正式な一門継承者として認められ「橘右之吉」の筆名を認可される。神社や寺などで見かけるミニ千社札は右之吉が考案したものである。(出典:(株)文字プロ、裏側に「文字プロ」のロゴがないものは彼の作品ではない)また、近年は彼が考案し、柘植の板に漆で文字を書いた「消し札」と呼ばれる携帯ストラップが人気を得ている。

寄席文字の直弟子に橘吉也

生家は浅草の宝船熊手の製造販売元「よし田」[3]。熊手職人の吉田啓子は母[4]、吉田京子は妹[5]。浅草・鷲神社酉の市での熊手の販売時には、「よし田」での購入者に、右之吉の寄席文字直筆で名前を書いた名札を入れるサービスを行なっている。

長男はドイツ語の通訳・翻訳家でプランナーの吉田真祐。海外公演の際は通訳としてサポートをしている。また2009年には橘右之吉因維納と称したイベントを開催。日墺修交140周年に際し、在オーストリア日本国大使館での展覧会、ウィーン大学での講演、ウィーン日本人学校での記念授業をプロデュースしている。

2024年2月に開催された「高円寺演芸まつり」では、「橘右之吉の仕事 寄席文字、江戸文字と色紙コレクション」が座・高円寺のギャラリーアソビバで展示された。

主な作品および筆耕歴 編集

インタビュー記事 編集

マスメディア 編集

関連人物 編集

その他の情報 編集

  • 『新しい勘三郎 楽屋の顔(文藝春秋)』によれば、中村勘三郎は、襲名前に勘三郎のサインを習得しようと、彼に一年の集中稽古を頼み、楽屋での空き時間に教わっていたという。
  • 坂東三津五郎の著書『粋にいなせに三津五郎(ぴあ)』によれば、過度の高所恐怖症らしく、二段ベッドの上段にも寝る事ができないらしい。
  • 坂東三津五郎の著書「粋にいなせに三津五郎(ぴあ)」によると、一緒に旨いものを食べ歩く「五季の会」というサークル活動をしている。
  • 俳優の唐沢寿明は、共演者によると「白い巨塔」「浪人街」など、芝居の都度「消し札」を橘右之吉に依頼し、お世話になったスタッフや共演者に、公演タイトルと各々の氏名が入った札を、打ち上げ記念に贈呈しているという。
  • 読売新聞社「第18回読売広告大賞2001」によると、社会・環境部門「優秀賞」を受賞した三井不動産の15段新聞広告「隅田川大花火」の制作チーム欄に、イラストレーターとして加わった橘右之吉の表記がある。
  • 週刊朝日の内館牧子の連載「暖簾にひじ鉄」に、コラムニストの中野翠が、橘右之吉に「古今亭志ん朝」と寄席文字を書いてもらい、それを柄に京都で帯を誂え、志ん朝さんのお墓参りにしめて行きたい、との文章がある。
  • なぎら健壱はその昔、橘右之吉に寄席文字を習っていたことがある。
  • 近年は山口智子プロデュースのもと、いとうせいこう、荒井修と共に"中目黒かきつばた"にて暦作成委員会というイベントを定期的に開催している。

脚注 編集

  1. ^ 文京区伝統工芸会会員”. 文京工芸会. 2024年1月26日閲覧。
  2. ^ 文京区経済課. “文京区技能名匠者認定事業”. 文京区. 2024年1月26日閲覧。
  3. ^ 大島賢一. “橘右之吉”. OMVE. 株式会社Arki. 2024年1月16日閲覧。
  4. ^ Bruce Osborn (1998年7月20日). OYAKO photographs. インクス. p. 158. ISBN 4401770102 
  5. ^ 文:阿部純子 写真:伊藤なたね (2002年9月22日). 木川真希子. ed. 若き女職人たち. 集英社新書. pp. 97. ISBN 4087201570 
  6. ^ Japan Alternative Tradition LLP (2016年5月10日). “欧州歌舞伎で江戸文字を披露”. value press. 2023年8月11日閲覧。

外部リンク 編集