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橘 右近(たちばな うこん、1903年11月18日 - 1995年7月3日)は、東京芝浜松町出身の落語家橘流寄席文字家元書家。本名は椙田 兼吉

たちばな 右近うこん
本名 椙田 兼吉
生年月日 1903年11月18日
没年月日 (1995-07-03) 1995年7月3日(91歳没)
出身地 日本の旗 日本・東京
師匠 3代目柳家つばめ
弟子 橘左近ほか
名跡 1. 柳家龍馬(1922年 - 1932年)
2. 柳家さん三(1932年 - 1939年)
3. 橘右近(1939年 - 1946年)
4. 柳家さくら(1946年 - 1947年)
5. 橘右近(1947年 - 1995年)
活動期間 落語家:1922年 - 1949年
寄席文字書家:1949年 - 1995年

来歴編集

家業は庭師だったが継がず、最初は浪曲吉川小龍の門で龍馬を名乗る。

  • 1922年 - 18歳の時に柳家さくら(後の3代目柳家つばめ)に入門。柳家龍馬で初高座。
  • 1932年 - 師匠であり父の名、柳家さん三と改名。
  • 1939年 - 橘右近と改名。
  • 1946年 - 同じく師匠の名、柳家さくらと改名。
  • 1947年1月 - 橘右近に復名。
  • 1949年4月 - 落語家を廃業し神田立花演芸場楽屋主任と専門の寄席文字の書家専業になる。
  • 1954年11月 - 神田立花演芸場閉場。
  • 1955年8月 - 東宝名人会再開にともない楽屋主任と寄席文字の担当になる。
  • 1965年11月 - 8代目桂文楽の薦めで橘流寄席文字家元になる。
  • 1980年 - 8月一杯で東宝演芸場閉鎖のため楽屋主任と寄席文字担当退任。以後、フリーとなる[1]
  • 1995年 - 肺炎で死去。

寄席文字の復興編集

寄席のビラ字(現代風に言えば寄席宣伝ポスターの文字)は江戸期から専門の職人が書いていたが、寄席の軒数が減少すると次第に職人がいなくなってしまった。 やむなく各寄席で間に合わせ的に書くようになったが、専門職ではないため統一した様式は失われていった。 橘右近は落語家時代から寄席にまつわる物を収集しており、『ビラ辰』などのビラ字を教えを乞う師匠がいない状態から見よう見まねで書き始め、自身のスタイルを確立していった。 弟子の橘左近に語るには「最初のころのは見せられないくらいひどい」出来だったという。 昔の名人が書いたビラ字を見てきた古い噺家(落語家)たちや席亭がいたのでうるさかった。ことに5代目柳亭左楽新宿末廣亭席亭北村銀太郎がひかえていたので真剣だったと語っている[2]

橘右近コレクション編集

落語家時代からビラと共に寄席周辺諸々を集めていた。当初はコレクションというより「大勢の人の手と工夫で出来ているもの」をそのまま捨てないということだった。 しかし、すべてコレクションするのは不可能なのでテーマを決めて整理した。本業のビラ、落語会のパンフレット、プログラム、新聞の切り抜き、演芸関係の古書等多岐に渡っており[2]、 国内有数のものである。なお右近のコレクションは4代目古今亭志ん馬(初代集古庵)から譲り受けたものも多く、「二代目集古庵」と名乗っていた。

コレクションのうち、右近が集めた落語関係の品物に関しては、2002年に千葉県松戸市の自宅を「集古庵ミュージアム」として一部を公開したが(のちに閉館)[3]、遺族と一門の橘右龍と橘紅楽が資料の散逸を恐れ一括して受け入れてくれる先を求めて奔走[4]、2013年に3466点[4]江戸東京博物館に「橘右近コレクション」として収蔵された[5]

落語家の系図研究編集

江戸時代より続く落語は、落語家の名跡や亭号の系統が不明な点が多い。新しい名前が作られては消えていき、また歌舞伎の様に世襲ではなく、噺家が自らの所属する一門を離れ他門へ移籍したり、他門の名前を襲名する毎に系統に乱れを生じた。 また、残されている資料もことに明治以前のものは少ない。断片的な資料が多いなかで明治期に系図の形でまとめられたものは4代目桂文之助著『古今落語系圖一覧表』1909年(明治42年)8月(文之助系図と通称される)[6]が有名だが、その他の資料は噺家の所属団体の台帳や、当時の雑誌など。落語評論家や落語研究家があまりに手間がかかりすぎると敬遠してきた分野[7]を収集した資料を基に研究し、後世に残した功績は大きい。

落語家の系統・系図の研究は弟子の橘左近に引き継がれている[7]

橘右近の系譜(橘流寄席文字家元)編集

†印は物故者

3代目つばめ†─右近†──┬左近新宿末廣亭笑点暦 ほか)
            ├右京
            ├右一郎(大阪在住上方落語中心)
            ├右之吉国立演芸場 ほか)――吉也(梶原いろは亭 ほか)[8]
            ├とし子
            ├右之輔初代右朝†(落語家へ転向し寄席文字を廃業。志ん朝門下で古今亭右朝)
            ├右橘鈴本演芸場ほか)――さつき[9]神田連雀亭[10])
            ├右太治蒲郡在住、大須演芸場、中京地区)
            ├右龍浅草演芸ホール[11]
            ├右楽(池袋演芸場、仙台花座[12]、「いだてん」寄席指導、落語協会カレンダー)──紅楽池袋演芸場 [13]ほか)
            ├右女次円楽一門会高円寺演芸まつり ほか)
            ├2代目右朝
            ├右佐喜(上方落語中心、天満天神繁昌亭喜楽館のロゴ製作、ざこば・鶴瓶らくごのごの題字製作)
            ├右雀横浜にぎわい座)
            ├右喜与
            └右門志の輔らくご ほか、文化庁文化交流使[14]


書籍編集

  • 『寄席文字教本(ひらがな・カタカナ編)』(グラフィック社、1982年1月)
  • 『寄席文字教本(漢字編)』(グラフィック社、1982年1月)
  • 『寄席百年 橘右近コレクション』(小学館、1982年12月)
  • 『寄席文字字典』(グラフィック社、1986年4月)
  • 『寄席文字字典』(グラフィック社、2001年10月)
  • 『橘右近寄席文字集成(2014年改訂版)』編:橘流寄席文字勉強会(弘文出版、2014年8月)
  • 『寄席文字字典(普及版)』(グラフィック社、発売:復刊ドットコム、2016年5月)

脚注編集

  1. ^ 橘右近 橘左近「子弟対談右往左往(2)」『落語』第6号、1980年秋号、弘文出版。
  2. ^ a b 橘右近 橘左近「子弟対談右往左往(1)」『落語』第5号、1980年夏号、弘文出版。
  3. ^ 季刊 ミュージアムデータ「 2001年開設博物館一覧表」. 丹青研究所. (2002年9月30日). p. 5. 
  4. ^ a b 佐藤友美, ed (平成25年6月28日). 7月号 演芸界最新情報TOPICS「橘右近 寄席関係資料江戸東京博物館へ」. 東京かわら版. p. 29. 
  5. ^ 企画展 平成24年度 新収蔵品展「市民からのおくりもの2013」”. 江戸東京博物館 (2013年8月3日). 2019年2月25日閲覧。 “寄席文化の宝庫・橘右近コレクション”
  6. ^ 六代目三遊亭圓生『明治の寄席芸人』青蛙房、2001年。
  7. ^ a b 橘左近『東都噺家系圖』筑摩書房、1999年。
  8. ^ #33 寄席文字職人 橘 吉也 Kichiya Tachibana”. 人生デザイン U-29. NHK (2018年3月20日). 2019年9月3日閲覧。
  9. ^ PLART編集部 (2018年2月15日). “技術と思いをしなやかに受け継ぐ【寄席文字職人・橘さつき】”. PLART STORY. OrangeOne(オレンジワン)株式会社. 2019年9月3日閲覧。
  10. ^ 三遊亭天歌 (2019年8月29日). “連雀亭を楽しくする集い 用語集”. 三遊亭天歌の奇妙な冒険. ameba blog. 2019年9月3日閲覧。 “連雀亭のポスターは橘さつきさんの作である。”
  11. ^ #16 寄席文字書家:橘右龍(たちばな・うりゅう)”. 辻井伸行 感動バックヤード. BS朝日 (2017年10月16日). 2019年9月2日閲覧。 “浅草演芸ホールの寄席文字全てを担当している、寄席文字書家・橘右龍さん。”
  12. ^ 千葉元 (2019年4月2日). “「令和」仙台の寄席にも 「魅知国定席 花座」”. iza!. 産経デジタル. 2019年9月3日閲覧。 “招木看板を手がけた書家の橘右楽(うらく)さん”
  13. ^ 『日曜カフェ』寄席文字ってなに?”. 小金井 宮地楽器ホール (2016年11月20日). 2019年9月2日閲覧。 “池袋演芸場のポスター類を担当。”
  14. ^ 橘 右門”. 文化庁 文化交流使. 文化庁. 2019年9月2日閲覧。

関連項目編集

外部リンク編集